空を見上げて 16
これまでのお話は
居場所を失って友人の家に住むことになったエマ。本屋を営むタキの家で、朝から晩まで本を読んで過ごしていたが、体調を崩して声が出なくなってしまう。
タキは心配するが、それを重く感じ始めてしまったエマは、タキの家から離れるようになってしまった。
一方で、タキはそんなエマを心配しつつ、どう接すればよいか悩んでいた。そんなとき、タキは彼がどこへ行っているのかを知人から聞かされる。
黙っていられなくなったタキは、ついエマを問いただしてしまう。翌日、出て行ったきり帰ってこないエマ。タキはどこかで迷っている彼を連れ戻す決心をする。
第一話の次に
楽しかったです
キッチンから、謎の料理が運ばれてきた。病院で点滴をされたり、嫌というほど食事指導をされたりしたから、いつもに輪をかけて食べることが面倒だったが、何が運ばれてくるのかは楽しみだった。きっと、変に美味しいはずだ。
タキは鼻歌まじりに皿を三つ、テーブルに置いた。どうやって三つも持ってきたのかは分からない。見ていたけど分からなかった。松井家は大道芸人の末裔なのかもしれない。
彼はまたキッチンに引き返していく。
一つは、野菜と肉と米を炒めたものだった。そう聞くと、チャーハンだと思うだろう。チャーハンにしては野菜と肉が大きすぎる。しかも、米が少なすぎる。大雑把に切った野菜と、おそらく細切れ肉、として売られていたものをそのまま突っ込んだらしい炒め物に、米が混入している。それが、真っ青な大皿に盛られていた。青い皿は食欲を減退させるらしい。エマは最初から持ち合わせていないし、タキは多少減退したところでなんとも思わないのだろうけど。
もう一つは、スープのように見えて、こっちにも米が入っていた。これもボウルのような雑な器に入っている。ボウルじゃないのか。たぶん、リゾットか、卵が入っているから卵雑炊か卵がゆだ。
はあ、とエマは口に出してため息をついてやった。
「何、気に入らなかった? 好きなの食べていいから、食べられそうなやつ」
ガチャガチャと音を立てながら、きっとタキは取り皿を探している。またおかしな小皿がやってくるんだろう。そういうところだよ、と、これは小さな声で言う。え、何、と聞き返されたが無視だ。
米が中途半端に炒め物に入っているのは、リゾットとの配分を間違ったからだ。エマのために、リゾットを作ったんだ、まず。だけど全部が目分量で適当だから、このままチャーハンにしようと思ったけど足りなかったんだ。
いや、違うか。
茶碗によそおうとして、足りなかったんだ。だから面倒になって炒め物にいれた。なるほどそう思って見てみると、炒め物に入っている米は、色が白い。炒めたというより、混ぜたのか。本当に混入じゃないか。
もう一皿は、誰だか知らない人がエマの見舞いに持ってきてくれたらしい、カステラとメロンが切られて乗っていた。その取り合わせもさることながら、なぜ自分は、見ず知らずの他人に見舞いをもらっているのか分からない。
事情が事情だから、という理由で病院にいる間、タキにしか会わなかった。なのに、何人もの客が来たらしい。
やってきた小皿は、和風だった。縁が緩やかに花びらの形を作っている。白地に柔らかな青で梅と小鳥が描かれていた。鶯か、目白か。いずれにしろ、メニューとも季節とも合っていないことだけは確かだ。
さらに言えば、例えばリゾットを食べたいと思った場合、どうしたらいいのだろう、小皿は平たい。
「リビング作らなければよかっただろ」
思い切ってエマは言ってみた。
「は?」
と、炒め物を引き寄せていたタキが顔を上げる。彼は律儀に自分の取り皿に取り分けていたが、エマはそれを食べる気はない。
「リビングなければ、中庭に雨も光も入っただろ、せめて、小さくするとか」
何言ってんだ、とタキが険しい顔をする。
「リビングがなかったらどうなるんだよ」
どうもならないと思う、とエマは答えかけたが、彼が口を開くより前にタキが続けた。
「リビングは家の中心だろ? 家族が集まる場所だろ?」
家族って。タキの家族はもういない。
新しく、誰と暮らすつもりだったのか、エマは聞こうと口を開いて、言葉を呑み込んだ。
「あのな、勘違いしてるみたいだから言っておくけど、お前のこと、邪魔な居候だと思ったりしてないからな」
どう答えていいのか分からず、エマはソファに置かれた例の悪趣味な毛布を見た。これがここにあるということは、タキはここで寝でもしたのだろうか。
「部屋も……別に余ってたわけじゃない」
え、と彼は顔を上げた。
「……小豆堂の……佐伯さんに怒られた。俺は、大事なことを全然言わないんだって。ごめんな、そのう……エマが不安に思ってる原因の大半は、俺が何も言わないからだって」
「……タキは悪くない」
悪いのは自分だ。大事なことを言わない、という点では、エマは何一つタキには言っていないし、もう一つ言えば、知りたいことがあっても聞いてもいないわけだから、ほとんど自分が悪い。タキに悪いところがあるとすれば、酒癖とセンスの無さだ。
「家は、お前と住めたらいいと思って建てた。勝手に。勝手にやったから、いらないって言われてもいいと思ってた。思ってたけど、断られるのが怖くて、偶然部屋が余ってるみたいに言った」
そこまでタキは一気に言った。あまりに早口で言われたので、エマはその一つひとつを理解するまでにぼんやりして彼を眺めるしかなかった。少しずつ意味が浸透していく途中で、タキが続ける。
「だから、居候なわけじゃないんだ、あれはお前の部屋だし、ここはお前の家だよ。まさか本当に、行く場所が無くなってるなんて思ってなかったんだ。嫌になったら、お前が、山の向こうで疲れて、帰る場所が欲しくなったら、そしたら、いつでもここに来ればいいと思って、それで……」
「家族ってそういうんじゃないだろ」
本当は、ありがとうとか、自分もごめんとか、そういうことを言わなければならないはずだったのに、口から出たのはそんな指摘だった。自分で自分が嫌になる。
なのに、なぜかタキは笑った。力が抜けたように笑ってそれからいつもみたいに、偉そうな顔をした。
「なんでだよ? 同じ『家』に住んでる『族』なんだから間違ってないだろ」
そんな解釈は初めて聞いた。というか、なんで勝手に自分が住む家が建っているんだろう。それなら色々と言いたいことがありすぎる。これまでずっと、タキが家主だと思っていたから黙って、いや、黙ってはいなかったか、半分くらいは我慢していたのに。いや、出資したのはタキなんだから、いいのか。
こっちが黙っていたら、調子を取り戻したらしいタキが、重ねて偉そうに言う。
「だいたい、エマは何でもかんでも難しく考えすぎなんだよ。あれだ、あれ。本の読みすぎだ」
なぜ、本屋の店主にそんなことを言われなければならないのか。
見上げた空は、曇っていた。
どうも、よく晴れた夏の空なんてものは来そうにもない。
ねえ、と思いついてまたエマは言った。
「なんで星空書房っていうの」
天窓から星空を見たかったんだろうとは思うが、なんの星も見られるとは思えない。返事がないのでタキの方を見ると、彼はびっくりした顔をしてエマをまじまじと見ていた。
彼の顔に、これまでタキが雄弁に語った以上の多くの感情が、現れては消えていくのがありありと見えた。こいつ、本当は嘘が下手くそなんだな、となんだかおかしくなる。普段は言葉がやかましすぎて、表情そのものをよく見ていなかった。これからは、何かを聞くときは顔に聞こう。うるさい言葉じゃなくて。
その中には失望や怒りもあったから、どうやらエマは自分が失言したのだと気がついたが、タキを絶句させられたということの方が、彼を愉快な気分にさせた。
ふふっと声に出してしまったら、止まらなくなった。
「笑うなよ! なんで笑うんだよ! 笑うところじゃないだろ!」
そうタキが怒り出して、エマは慌てて顔を引き締めた。どうやら自分がこうやって、笑ってはいけない場面で笑ってしまうから、人を不愉快にさせる、ということもなんとなく分かっている。
ところがタキは、そんなエマを見て慌てて、いいんだ、と手を振った。
「いいんだ、でもなんか違う! 笑っていいけど笑われたくはない」
と半ばやけくそのように言う。
許可が出たので、エマはまた、ふふっと言ってしまった。そうしたらもう、今度こそ止まらなくなって、人生で笑うのを我慢してきた分か、それ以上におかしくて、おかしくて仕方がなくなった。最後にはなんで笑っていたのかも分からなくなるほどになって、息が切れて苦しくなってしまう。しばらく声を出していなかったから、それもあって喉も痛い。
「お前が言ったんだろ」
タキは拗ねたように言いながら、白湯を持ってきてくれた。こういうところだよ、と思ったのにそれすらおかしくて、でもさすがにまた笑ったら怒られるだろうし、説明が面倒だから、どうにか堪えた。堪えて澄ました顔で白湯を飲んだ。
湯は透明なのに、マグカップの内側が真っ青だから、青湯だった。外側にはサイケデリックなタイルが貼られている。自分なら絶対に選ばない。
え、とエマはそのタイルを見ながらタイミングを完全に外してタキの発言の意味を理解した。
「お前が言ったんだろ、本屋がやりたいって」
今度はエマがぽかんとする番だった。タキは完全に不貞腐れた顔をして投げやりな態度でソファに腰を下ろす。彼が座った分、座面がそちらに傾いて、エマも少しだけ傾いた。
自分が何かをしたいなんて、言ったことがあっただろうか?
前に、とタキはため息と一緒に続けた。
「泊まりに来たことがあったろ、家に」
それは覚えている。タキが失くしてしまった前の家だ。古くてあたたかくて気に入っていたのに。
「そんときに、大人になったら本屋がやりたいって言ってた。覚えてないの」
全く覚えていなかった。あの部分だけは非日常だったから、こまごまと記憶が残っているはずなのに、タキと何を話したかは全く覚えていない。何かを話した気もするし、いつものように、タキは自分のことや最近読んだ本のことや、社会に対する理想だか怒りみたいなものを、延々と語ってくれていた気はする。それらをまるきり忘れているのも失礼な気もするが、おおよそ、同じことを毎日話して聞かせてくれたのだから、このときのことを忘れてしまっても、話の概要は変わっていないと思う。
自分も、いつもと同じようにそれに適当な相槌を打っていたと思っていた。
「覚えてないのか」
さらに暗いトーンで言われて、エマは苦笑した。そんなこと言われても、全く記憶にない。自分が自分のことを積極的に話すなんて、想像もできないし、なんだって本屋になりたがったのか、全く分からない。
「寝ぼけてたんじゃないの。それか、酔ってたんじゃないの」
「さすがに酔ってない! お前が自分のことしゃべるなんて、あんときが最初で最後だよ、こっちは忘れらんないよ、なんだと思ってんの?」
なぜか、最終的に怒られたので、また笑ってしまった。
「俺は記憶力がいいから全部覚えてる。お前は、本屋になりたいって言ったんだ。だから俺は言ったの、本屋でどうやって接客するんだよって」
自分が言った部分は思い出せなかったのに、タキのそのセリフだけは思い出した。だから、そう。確かこう返した。
「売れない本屋でいい」
「覚えてんじゃん」
「そこだけ思い出した。それと星空と関係あるの?」
タキは黙ったまま、にやっと笑った。顔の横に擬音が表示されそうなくらいに。腹立たしい笑顔だった。
「絶対に教えない。頑張って思い出せよ。よその誰に聞かれたって答えるもんかってはぐらかしてきたけど、絶対お前にも教えない」
あ、そう、とエマは何食わぬ顔をして天窓を見た。
やっぱり曇っている。
だけどあの日、あの夜は確かに、珍しく晴れていて、それでもどこか湿った風がまとわりつくのを感じながら、あの家の縁側で空を見上げていた。
星の名前は知らないけれど、無数に散らばっていたのだけは、本当は覚えている。
fin.

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