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空を見上げて 1

このお話は
 行き場をなくして雲岬町の友人の家で暮らすことになったエマは、雨ばかり降る町で憂鬱な毎日を送っていた。
 友人のタキは、そんなエマの世話を焼きながらそっと見守っているが、それすら彼にとっては重い。
 やがて、エマはタキの元からも離れて行こうとする。
全18話予定 全16話)

なんか暗いねんけど
ラブコメをお求めの方には
おすすめできません
エマと一緒に鬱々としたい方には
おすすめです


二話



 この町はいつでも雨が降っている。いつでも、というのは言い過ぎかもしれないが、とにかく雨の日が多い。降っていなくても空には雲がわいている。そう聞けば、陰鬱な町だと思うかもしれない。エマもそうだった。
 実際に訪れてみれば、町は明るく、行き交う人々も楽しげだ。今は観光に力を入れているとかで、多少無理をした感じのある「盛り上げ」が行われていて、ぱっと見は景気よく感じられる。

 観光客は彼が身を寄せている友人、タキの店にもやってくる。何だかいう有名な建築デザイナーが店のデザインを手がけたらしく、それを見にやってくるのだ。店の商品に興味があるわけではない。
 あまり喜ばしいこととも思えなかったが、当のタキは、それで町が活性化するならいいじゃないか、などとなまぬるいことを言った。昔はそんなやつじゃなかったのに、いつの間にか故郷の町の空気にじっとり馴染んでいる。

 そう。町は明るいが、雨が多いことには変わりがない。曇りがちなことも間違いがないし、だからこそ雲岬という。岬の付け根にある山に海からの風が当たって、そのせいでいつでも雲がわいている。

 エマは雨が苦手だった。だからタキからこの町に住まないかと誘われたとき、非常に悩んだ。彼にはそのとき、行き場がなくて、他に選択肢はなかったが、そんな雨だらけの世界で暮らすことには抵抗があった。
 今でも少しも馴染めた気がしない。これからも、馴染める気がしない。死ぬまで馴染めないだろう。それなのにここで老いて死ぬことを考えているのはおかしな気もするが。
 どちらにしても、今も行き場はない。タキが店を開いたのが、家を建てたのが、もっと別の町だったらよかったのに。そう思わずにはいられない。
 だから、どんなに町が生き生きと明るいとしても、それすら彼にとっては、不快なことに感じられてしまうのだ。

 そんな憂鬱な気持ちで、エマはその日も目覚めた。雨が降っていて、見上げた窓の向こうは、いつもの灰色の空だ。
 なんだってわざわざ寝室の天井に窓を設けたのか、さっぱり分からない。彼は雨が強く降るたび、いつかこの雫がここを破って落ちてくるのではないかと不安になったし、何より目覚めるたびに曇天を突きつけられるのは、愉快とは言い難い。
 今日も、雨粒が、ぽつりぽつりと天窓を叩く。
 激しく降るわけではないことも、彼の気持ちを陰鬱にさせる。いっそのこと、ざあざあと音を立てて降ればよいものを、いつまでもゆっくりと雨は降る。

 時計を見るとすでに昼を過ぎていた。家の中はしんとしている。もちろん、それはいつものことだった。雨のせいで寝過ごしたわけではない。晴れていれば眩しくて目が覚めるのかもしれなかったが、それでもまた寝直しただろうから、同じことだ。
 タキはいつも一人で忙しく働いている。本屋が儲かっているわけではない。
 まずは自分の好きな本を仕入れるのに忙しい。仕入れた本を読むのに忙しい。もちろん、客の相手もそつなくこなして、なおかつ、彼のいうところの「町の活性化」に嬉々として参加している。さらには、別の本屋だか古本屋だか製本所だかとも親しく交流して、何かにつけて出かけている。
 原動力の大半が「本」という点で、エマとタキは同じだったが、エネルギーの方向性が違った。タキは異様に人と会っては飲みまくる。飲んでいるのか読んでいるのか分からない。

 店そのものには、いつも人は少ない。タキは謎の信念から、ネットやなんかで話題の新刊を入荷したりはしないから、誰それの何なにを買い求めて朝から人が並んだりもしない。置いてあるのは彼が読みたい、読ませたいと思った本だけだ。エゴの塊だ。
 それでも、これもまた謎なことに、客足が途絶えることはない。地味に何かと人がいる。店主は立ち読みを推奨しているから、買わずに読むだけ読んで帰っても怒らない。そりゃあそうだろう。自分が読みたい本を買い付けているだけなのだ。
 逆に売れてしまったらまた探さなくてはならない。
 というようなわけのわからないことをぶつぶつ言いながら、夜中にネットで情報を漁っているのを見たことがある。じゃあ、売らなければいいじゃないか、とも思う。
 実際には、売っていない本も大量に別の建物に詰め込まれていて、そっちはもっと、個人的な趣味に走りすぎている。それを考えると、ここの一階にあるのは、それでも売り物で書店の体裁を繕ってあるのだ。一応。
 ただし、これまた謎なことに、長い時間をかけて読み耽った客の大半は、本を買って帰る。
 読んでいた本を買う者もいれば、読み終わった本はそこへ戻して、新しく家に帰って読む本を買って帰る者もいる。図書館じゃないんだから、恐ろしく間違っている気もするが、かくいうエマ自身、入り浸っているうちの一人だった。

 店まで降りてみたが、家だけでなく店にも人の気配はなかった。電気が消えて、どうやら閉まっている。
 タキもいないようだった。
 この店の休みがいつなのか、エマは分からない。
 勝手に書庫を通って、薄暗い店内に入る。

 エマは店を手伝ってはいない。手伝え、とは言われていないし、何をしたらいいのかもわからない。完全に趣味でやっているとしか思えない、その上、人手が要りそうにもない店の、何を手伝えばいいのか分からない。
 好きなだけ読んでいいよ、とは言われたから、そうしている。
 立ち読みを推奨している店主は、客が長い時間立ち読まなくてもいいように、狭い店内に椅子やソファを置いていた。
 エマが気に入っているのは、中庭に面したソファだ。本当は、彼が占拠していいものではないだろうが、朝、いや、昼に起きて、店に降りたらソファにだらしなく座って本を読む。
 それが彼の今の日課だった。

 中庭には雨が降らない。

 中庭の真上にはリビングがあるからだ。
 タキ曰く、本当は、屋根に降った雨をどうにかして中庭に雨のように落とせないか、考えたらしい。これは、その何とかいうデザイナーと、それから工務店とで、あれこれと皆で知恵を絞ったのだという。
 この話は、酔っ払ったタキに何度も聞かされた。タキは高確率で酔っ払っているから、本当に何度も聞いた。その度に思った。失敗してくれてよかった、と。
 家じゅうの窓という窓が雨に叩かれていても、中庭だけは静かだった。嵐の日でも、中庭の上の方にある、テラスとつながった窓に雨粒がぶつかるだけだ。
 中庭には、松と椿と、なぜかサボテンが植わっていた。
 他にも、こまごまと植栽があって、鉢植えには花をつけているものもある。タキにガーデニングの趣味があるのは知らなかった。だが、色の取り合わせといい、種類の取り合わせといい、微妙すぎる。
 いい眺めというには程遠い。本屋と同じで、完全にタキの実験場のようなありさまで、これもエゴの塊だ。
 上の窓からかろうじて光はさすし、開ければ風も入るのだろうが、こんな窮屈なところで植物を育てたい意味がわからない。

 はっきり言おう。
 タキは、広い土地を彼の祖父母から受け継いだ。町の北東の、山地が少しなだらかになったあたりの、農地と、あとは彼の実家、つまりは彼の祖父母の家があった土地だ。
 そのくせ、建てた店は小さい。狭い。住居部分も必要最小限のものしかない。
 彼が一人で住むつもりだったのだろうから、それでも問題はないと思う。そもそも、こちらは居候なわけだから、家に文句を言う気はない。

 しかし、外には広大な土地が余っているのだ。
 それを彼はどうしているか、といえば、どうもしていない。使わないのなら、誰かに売るとか、整地するとかすればいいのに、そのまま放ってある。広いものだから、勝手に草木が生える。もうすぐ夏になるから、きっととんでもないことになるんじゃないか。
 そうエマが言ったのに、タキはいいじゃないか、と適当なことを言った。放っておいたら自然に戻るんだよ、それでいいじゃないか、と。
 自然に戻るのが本望なら、何だって、中庭で植物を育てているのか、それも分からない。
 中庭の植物は、どこにも行き場のない自分自身のようでもあって、エマは見るたびに息苦しく思う。思うのに、今日もまた、中庭に向かって座る。
 そこしか、晴れていないからだ。

 それなら、この建物自体、もう少し大きくすればよかったのではないか、と思う。わざわざ別棟に倉庫よろしく書庫を作らなくても、同じ建物にすればよかったのだ。中庭ももう少し広げて、外と行き来ができるようにすることだって、できたはずだ。
 ちなみに、あの蔵書は商売をしているうちに増えたわけではない。元々、タキがあちこちから集めていたものと、彼の祖父母の家にあったものだ。半分は、蔵にあったもの、半分は彼の部屋にあったものを、ここへ持ってきたのだ。
 つまり、最初から店部分にも家部分にも入らないことは明白だった。

 この件に関して、エマは一度だけ、聞いてしまったことがある。そして後悔した。それ以来、中庭に関する件に併せて、タキが酔ったら繰り返してくる話リストの一つになってしまった。

 酔っ払ったタキ、というのは非常に面倒くさい。酔っ払いというものは、だいたいにおいて面倒くさいものだが、それが身近な人間となると、逃げ場がないから怖い。
 こんなやつだとは思わなかった、というのが正直な感想である。
 タキの酒癖が悪いのには気が付いていた。大学のときに、何度か一緒に飲みに行ったことがあるが、飲めば飲むほどしゃべり出す。周りの知らない人間を巻き込み始める。
 その辺りで、飲み会、などというものに耐性のないエマは帰っていたから、最終形態をこの目で見たことはなかったのだが、共通の友人の証言によると、ほぼ、毎回、知らない誰かと別の店に行ってしまうのだという。

 それが、自分が住んでいる家の主人だった場合、酔っ払ったタキは、エマのいる場所に戻ってくるわけだ。
 ここに住み始めて、三ヶ月、たった三ヶ月だ。辟易するほど、酔っ払いの相手をする羽目になった。
 酔って帰ってきたのだから、寝てくれればいいのに、飲み足りない、と言う。エマはその時間は静かに本を読んでいるのだから、放っておいてほしい。
 面倒くさいから、部屋から出ないでいたことがあるが、それは許されなかった。タキの方が勝手に入ってくる。家の主人だから仕方がない。
 仕方がないだろうか? 普段は、決して勝手にエマの部屋に入ったりはしないのに。
 タキはエマにも執拗に酒を飲ませようとする。ただ、これは断っても問題はない。要は、彼は自分が飲みたいだけだからだ。そして、延々と同じ話をする。

 一つに、中庭にはどうして雨を流せなかったか。
 彼らはあれこれと雨樋やなんかで、水を流す方法を考えたという。
 技術的にはできるんだよ、技術的には、とタキは言う。ここが重要ポイントらしく、何度も言ってくれるのだが、酔っ払っているから「技術」が言えていない。
 どうも、水を流すことはできるが管理が難しい、というのが結論だったようだ。話し合いの中にいた、誰かとても素晴らしい、エマにとっては神のような存在の方が、樋が詰まる可能性と、中庭のガラスが苔むす可能性を指摘してくれたそうだ。
 そんときな、昔家にあった、金魚の水槽を思い出したんだよ、というのも重要ポイントだ。これも、発音があやしく、きんぎょ、が、ちんぎょ、になっていることがある。
 俺、タニシを飼わないといけないのかな、それとも、あの黒板消しみたいなやつで、毎日窓を掃除するのかな、と思ってさ、やめたんだよ。
 思うに、水槽に生えているのは藻だ。
 タキの話は聞き飽きていたが、彼が一生懸命に苔むした中庭の窓を掃除しているのを想像すると、なぜか毎回笑えた。
 もしかしたら、ここでエマが笑うものだから、オーディエンスが喜んでいると勘違いして、彼は何度も話してくれるのかもしれない。次は、真顔で見つめ返してやろう。

 一つに、どうしてこの建物はこの広さでなければならなかったのか。
 CUBEっていうんだよ、分かるか、とこれも呂律が回っていない。たまにTUBEになっている。
 そんなもの分かる。立方体だろ、と返したのは、最初だけだ。
 お前分かるか、を繰り返すのも、酔っ払いの面倒くさいところだ。分かるか、と聞くわりに、どちらを選んでも同じ展開になることを、エマは知っている。試してみたからだ。
 お前分かるか、一辺を増やすと全方向に増えるんだ、ほんと分かってんのか。
 エマはタキよりも数学が得意だから、というのを抜いても誰だってそんなもの分かるだろう。そもそも、立方体にこだわるからいけないんじゃないか。
 冷静に考えてみろ、誰が建物の前に立って、なるほどこれは素晴らしい立方体だ、なんて思う? 角度がつくから、真四角になんて見えない。逆に、普通の家よりも高さがあるように見えて、長細いと感じるはずだ。
 これは、エマが実際に最初にうっかり突っ込んでしまった部分だ。もちろん怒られたから、以来、二度と口にしていない。
 物の形というものは、人類の長い歴史の中で使いやすい形に変化してきた。世の中に立方体の家が少ないのは、単に向かないからだ。
 なぜ、デザインから始めるのかが分からない。施主の持ち物や生活スペースを考慮した上で、デザインすればいいじゃないか。
 しかし、どうやら話を聞くに、何とかいうデザイナー、というか、建築デザイン事務所の親玉が、立方体の建物群を夢想しているところへ、タキが乱入し、ならばまずは自分が一号店になりたい、いや、してくれ、と頼んだのだそうだ。
 施主がそもそも、阿呆だ。




二話



#なんのはなしですか
#空を見上げて
#雲岬町
#君と魔術と星空と




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