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わたしは、世界でただ一人のわたし

 レッテルを貼ってはいけません。
 子どものころにそう教わった。レッテルの意味が分からず、おかんに聞いたら、ラベルと同じだと言われた。その時から、この言葉が出るたびに、アオハタのジャムの瓶が思い浮かぶ。なぜなら、最も身近なラベルがついた瓶だったから。

 にもかかわらず、人々は、何かにつけて自分自身を、そして他人をカテゴライズしようと張り切っている。わたしも、性格分析は大好きだ。占いも大好きだし、なんとか診断と書いてあれば、無駄に飛びついてしまう。
 しかして、それをあまり公表する気にはならない。
 だって、それがわたしの全てではないもの。そんな数問の診断やら分析やらで、わたしのことが分かってたまるか。

 なぜなら、わたしは世界でたった一人のわたしだから。


 そんなわたしは、数年前に病院でASDと診断された。
 ここ最近は、この「ASD」が市民権を得たようで、あちこちに出現する。日本語で言うと、自閉症スペクトラム。スペクトラムとは、ざっくり説明すると、いろんな特性があるよ!という意味だ。
 一般の人とは発達の度合いが違うが、一概には言えず、普通の部分もあるが、違っている部分もある、とされる。だから、グレーゾーンなるものもあって、ASD寄りだが診断が出ないケースも多いらしい。

 これが、ASDの最たる所以であり、すなわちお前は間違いなくASDなんだよ、と姉には言われるのだが、こんなはっきりしないことは、腹立たしい。
 一般の人、というのは誰のことを指すのだ。誰しも、得意な部分と苦手な部分があるだろう。全てが得意な人間が一般か、といえば、そうではない。何かしら、「普通とは違う」部分が誰にだってあるわけで、では、その「普通」ってなんだという話になる。
 スペクトラムという言葉の意味を持ってするのならば、全世界のすべての人間が、ASDである。診断もへったくれもない。
 それ以前に、わたしからすれば、おかしいのは周りの人々であって、わたしは至って普通である。わたしの世界の中では、これが普通なのだから、なぜ「発達障害」と、生まれに失敗したみたいに言われなければならないのか、理解に苦しむ。

 ただ、そうはいうものの、実は子どものころから、世界との差をひしひしと感じていた。

 まず、女の子の友だちができない。仲良くなろうにも、どう仲良くしていいのか分らない。あの、何かよく分らないヒソヒソ話や、仲間うちでの暗黙のルールみたいなものについていけない。
 だから、小さいころはたいてい、男の子と遊んでいた。彼らは、女子が紛れ込んでいても、特に突っ込んだり、爪弾きにしたりしないし、空気を読まない自由な発言や発想で行動しても、盛り上がればこそ、眉を顰めるようなこともないからだ。
 帰り道に、工事中の溝の上を飛び越えさせられたことには、さすがに抵抗したが(というか、それを推奨する大人たちもどうなんだ、今では考えられないだろう)それだって、よく分からないヒソヒソ話に頷くよりは格段に簡単な溝だった。

 かといって、男の子となら、円滑な人間関係が築けるのか、というとそうでもなかった。子どものころに親から言われていたのは「お友だちをたたいてはいけません」「お友だちと仲良くしなさい」。通信簿の学習欄より、生活面の評価を上げるように、ばかり言われていた。
 わたしはすぐに癇癪を起こす子どもだった。いや、厳密には調子が悪いと今もそうだ。言葉で表現できなくなると、どうしてもたまらなくなって、爆発してしまう。
 その結果、周りの人間に暴力を振るうこともあったし、ちゃぶ台のごとく自分の机や机の上にあるものを文字通り投げ出すこともあった。

 明らかに、周りの子ども、特に女の子とは違う。浮いた存在だ。
 振り返って考えれば、こいつ明らかにおかしいのだから、現代ならさっさと病院に連れて行かれて、さっくり診断されるだろう。でも、当時は違った。
 まだ、自閉症は男の子の障害だと思われていた時代だ。わたしが当時読んでいた文献のほとんどにも、そう書いてあった。別に、自分が自閉症ではないかと疑って読んでいたのではない。
 母が市の施設で朗読のボランティアをしていたことで、「障害がある」とはどういうことかについて、興味があった。また、母からも学ぶようにと推奨されていた。医学的知識としてそういう文献を読んでいたのだ。
 のちに、それらの本の一冊に、女の子の自閉症について書かれたものがあり、それがあまりにも自分の現状と合致していたので、なるほどこれなのだなあ、と納得した。それでも、そのことを周りに話さなかったあたりが、まさにASDのASDたる所以である。世界は閉じているから、自分で探究し、答えが出ればそれで問題はない。

 わたしはそのまま、大人になった。
 このとき、自分の正体に気がついたからか、単に自分が成長して賢くなれたのか、周りも成長して異端を排除しなくなったのか、そのあたりは全てがうまい具合に働いて、人間のふりをして暮らすことができるようになった。
 周りと違う気がする、ことは薄々わかっていたが、それでも「普通」に生活できるようになった。
 特に、創作に勤しんでいたころは、誰もが「人と違う」ことを目指し、自分の中にある「世界」をいかに育てられるかを競っている。これまでにない新しいこと、奇矯な言動ですら、アーティスティックだと評される世界だ。

 さあ、みなさん。考えてみてほしい。そんなわたしがある日、一般企業に就職したところを。
 上司たちは、組織に所属していることが美徳だと思っている人だった。これまでまともに会社で働いたことがないわたしのことを、完全に馬鹿にしていた。
 そのくせ、彼らはわたしの能力が高いことを利用しようとした。わたしの作業方法をチームの全員に浸透させればチームの力が底上げされると考えたのだ。
 わたしは、四角四面にきちんとそれに反論した。このわたしのやり方は、わたしにしかできません。人それぞれに、違う特性があります。同じことを別の人間がやるのはナンセンスです。
 当たり前である。わたしはわたしの独自の観点で世界を見、理解し、分析し、構築している。表面上、人間に擬態しているだけで、わたしの書いたメモで、わたしの作ったチェック表で、それ以外の人間ができるようになるものか。
 ところが、彼らは「同じ人間ができることだからできるはずだ」と信じて疑わない。挙句、わたしに対しても「もっと周りの人間に気を遣って発言をするように」などと言い出した。曰く「自分たちの真似をすればできる」「賢いんやからできるやろう」である。

 少しでもASDの知見がある人間なら、そんなわけはないだろう、と気がつく部分である。しかし、旧態然とした彼らには理解できない。
 わたしは、仕方がないのでASDの診断を受けることにした。
 ところで、非常に興味深く、かつよく分からないのだが、あのとき、自分は自閉症なのだ、と納得したわりに、ASDにおいては、間違いなくグレーゾーンだろうと確信して病院に行った。
 病院で楽しかったのは、知能テスト部分だ。二ヶ月くらいにかけて、ちょっとずつテストを進めていったのだが、図形のテストの日がとにかく楽しかった。
 好きだったのは、紅白に塗り分けられた立方体をお手本の通りの図形に並べ替えるテストと、マス目にお手本の図形を正確にかつ高速で書き込んでいくテストである。
 前者は、先生がストップウォッチを構えて待っているのだが、ぴ、と押したときにはもう完成していて、最終的に先生は計測を諦めてしまった。後者はあまりに集中して高速で取り組んだ結果、勢いよく次のページをめくったら、机だった。
 反対に、言葉についてのテストは最悪だった。「春」という言葉から連想される言葉を述べよ、などと意味のわからないことをさせられた。お絵かきならいくらでもしてあげたのに、本当に残念なことだ。
 最終的に、ここで、診断が下り、あなたは、グレーゾーンとかではないですね、まず、数値が完全にASDです、と説明された。ついでに言えば、その、図形の識別と言語の間に残念な差があります、とも。
 まあ、そんなことは言われなくてもわかっていた。なぜグレーゾーンでありたいという謎の希望を持って受診したのかは知らないが、ずっと昔に自分で診断を下しているのだ。

 診断結果を、上司に提出した。一人は、まるでわかったふうな顔をして受け取った後、こう言った。

「で、これはいつ治るの?」

 もう一人は、会議中にわたしとわたしの後輩や部下がいる前で、はっきりとこう言った。

「しょうがないやろ、あいつは頭がおかしいんやから」

 そう、わたしは頭がおかしい。それは間違っていない。ただ一つ言えるのは、頭がおかしくなければ会社に貢献できるような、異常な成績を叩き出すことは無理だったわけで、それを横取りしているのは、自分たちである。
 これを言い出すと話が脱線するので、一言に止めるが、どんな部下でも上手に「使う」のが「できる上司」だとは組織大好きな彼らが言ったことである。

 彼らは、わたしのオリジナリティや斬新なアイデアを根こそぎ奪った。人同じであれ、決してはみ出そうとするな。少し前まで暮らしていた世界とは別物である。
 仕事が忙しく、夜中まで働いていたこともあって、わたしから創作は遠ざかっていった。わたしの世界は、わたしのどこかに追いやられ、わたしは帰る場所を探して彷徨った。わたしのどこを探しても、わたしが安全だと感じられる場所はなくなった。

 2025年のまとめに、わたしはAIにこんな記事を書かせた。

 二年ぶり、と書いてあるが、生きている実感を取り戻せたのは十年ぶりだ。二年前に、その組織系上司の魔の手を逃れて転職中、そのときも絵を描いていたが、少しも上手く描けなかった。
 人とどう関わったらいいのかもわからなくなっていたし、何しろ、自分の発言を全て否定されていたせいで、自分が面白いと思うことを言っても、馬鹿にされるだけだと思って怖かった。自分らしさを出したら、また誰かに嫌なことを言われるかもしれない。
 組織系上司に会う前のわたしは、自分のことが大好きだった。しかし、否定され続けて以来、自分はダメな人間で、人に害悪しか与えず、そんな自分を好きだと思うことは無理になってしまっていた。
 今でこそ、脊髄反射でお絵かきします!なんていうけれど、当時は、ペンを手にしても、何も描くことができなかった。わたしの世界はもう死滅してしまったのかもしれない、と本気でそう思った。

 去年、noteだけではなく、ネット上でではあるが「なかよし」と思える相手が増えた。お前のいうことは誰も聞かない、お前の言い方の全てが悪い、そんなやつからはみんな離れていく、お前のせいで人がやめた、お前のせいで〇〇は病気になったと言われ続けて、自分が口を開いたら人を嫌な目に合わせるだけだろうと、実は今でも思っている。
 それでも、わたしがいてくれてよかった、といってくれる人がいて、仲良くしてくれる人が現れた。それはもう、感謝しかない。
 今でも、現実世界では怖くて人と関わらないようにしているし、自分を出さないように気をつけている。ちょっとでも調子に乗ってしまったら、また、あいつは〇〇と嫌がらせを受けるかもしれないからだ。
 でも、直接ではないにしろ、人と少しだけ関われるようになって、わたしは、またわたしのことが好きになっていた。去年の終わりくらいに、ふと気が付いたのだ。あんなに嫌いだったのに、あんなに迷子になっていたのに、またちゃんと自分の場所に戻ってこられた。
 去年一年、わたしと関わってくださった全ての方に感謝しかない。

 わたしは、毒を吐くことも多い。発言に首を捻ることもあるだろう。あまりに突拍子もなくて、理解できないかもしれないから、理解してください、とは思わない。
 でも、これがぱちこだから。わたしは、世界でただ一人しかいない、わたしだから。


#なんのはなしですか
#熟成下書き


この記事は
2025年7月19日に
4分の1ほど書かれて
放置されていたものを
書き足しました

本当はどんな結論だったのか
定かではありません
なぜなら、描き始めた時点で
気持ちは動いていたものの
まだ自分が好きには
なれていなかったからです

人生は
「経て」
いく
昔、姉が買ってきた
松ちゃんのコントの
「経て」
が好きで
何回も見ました

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