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49.5%のためのフェミニズム

世間はロシアとウクライナの戦争だ、戦争でジェンダーが云々、頼みの綱のロシアが戦争おっぱじめたおかげで原油や天然ガスが高止まりだ、みたいなことが言われるようになりましたが、そのあたりの話はいったんこの方この方この方の記事に任せます。ただ私は国際女性デーが近いので(本当はあまり関係ないのですが)、この機にどうしても言いたいことが出てきました。

危うくだまされるところだった…

皆さんは、この記事の冒頭で紹介したトイアンナ氏の記事を覚えていらっしゃいますでしょうか。

ただ、その中で特徴的なのは、弱者男性はフェミニスト女性を「加害者」と見がちな傾向だ。
たとえば、最近多くの読者を集めた記事は、タイトルが「弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください」となっている。つまり、フェミニストがこの「男らしさ」を強いる加害者だと感じているわけだ。
これは、国際的なフェミニズムのトレンドと大きく乖離している。フェミニズムには1860年代ごろに生まれてから現代に至るまで、多数の潮流がある。しかし、今トレンドになっている主な流派は「99%の人が連帯できるフェミニズム」であり、男性を敵視しない。

ここで注目してほしいのは、「99%の人が連帯できるフェミニズム」という言葉。おそらく元となっているのは「99%のためのフェミニズム」(Feminism for 99%)というスローガンでしょう。

素晴らしいじゃないですか。1%(人口的に?)の支配階級に対抗するものとして、様々な勢力と共闘しよう、「女性」以外の弱者の存在も顧みよう、そういう動きであると感じさせます。

ところが、私も最近気づいたのですが、「99%のためのフェミニズム」とはどうもそういうスタンスの主張ではないらしいのです。

これでは私の言う「ふたつの潮流」の「草の根側」と同じだ

「99%のためのフェミニズム」は1%のための「リーン・イン・フェミニズム」と対照される。「リーン・イン・フェミニズム」とは、男性中心社会に「リーン・イン」=「前のめりになる」ことによって、「体制の一員にな」り、(leaning-in)「ガラスの天井を打ち破」り(cracking the glass ceiling)、「自由競争」に勝ち残る、「勇気を与えてくれるような(empowering)、才能のある女性の地位向上を図ろうとするリベラル・フェミニズムを指す。リベラル・フェミニズムは、あくまで少数の特権的な人々が同じ階級の男性たちと同等の地位や給料を得られることを目指している。その恩恵を受けられるのは、すでに社会的、文化的、経済的に相当なアドバンテージを有する者たちに限られている。その結果として、家事労働やケア労働といった「シャドウ・ワーク」は、さらに賃金の安い外国人労働者や労働者階級の女性たちに押し付けられ、既存の格差を拡大する、と指摘されている。そうではない、反自由主義かつ反資本主義である女性解放を目指すのが、「99%のためのフェミニズム」だ。

つまり、ここで言う「99%」とは、あくまでも女性の中にある●●●●●●●「1%の支配階級と99%のそれ以外の闘争」という構造のことを言っているわけです。これは、反フェミニズム側の言葉で言うと「女女格差」・「女の敵は女」を表していると考えられます。

これでは私の記事で述べたような「ふたつの潮流」の「草の根側」の主張と変わりません。まあ元々のトイアンナ氏が勘違いしていたものとは思いますし、あえて日本の動きではそのような解釈で受容しようとしている可能性もありますが、とても「99%の人が連帯できる」ものとは言えません。

そして「女性の中の99%」ということは、社会の全体人口で考えるなら、単純に半分にして49.5%程度ということになってしまいます。まあ実際には、この記事で述べたように日本の若い世代に限って言えば女性人口は男性非女性よりも少ないので48%程度になるのでしょう。

ともあれ、このような議論では、弱者男性の声は蚊帳の外になってしまうことは必至です。なお、ここで言う「弱者男性」とは、「非モテ男性」のことを指しません。紫藤氏の記事でも「非モテ男性とは『特権的地位が奪われた』と感じている男性に過ぎない」というようなことが述べられていますが、私もそれを「社会構造の変化(それは必ずしも“女性の地位向上・社会進出”だけによって起きたものではなく、他の要因としては“バブル崩壊”などがある)によって振り落とされた中の下の階層●●●●●●の声」という意味では同意せざるを得ません。私は常に「弱者男性」という言葉を「文字通り社会的弱者●●●●●たる男性非女性」という意味で用いています。

「女女格差」の是正された社会とは

さて、本気で「自由主義・資本主義」に反対し、「女女格差」の完全な解体を実現するとしたら、どのようなことになるのでしょうか。考えられるものとしては二つあります。

一つは、すべての女性が「平等に貧しくなる」社会。その社会においては、女性が能力ないし性的魅力で選別されることは禁じられるでしょうが、同時に男性による援助も、「その援助をすべき完全な大義名分」(少なくとも同じ権利が男性にも認められる必要があるでしょう)を得ない限り、全く見込めなくなります。

もう一つは、すべての女性が「一握りの甲斐性ある強者男性」に保護される社会。たとえばイスラムの一夫多妻制のようなものが考えうるでしょう。イスラムの一夫多妻制は、女性を意図的に抑圧するというよりは、未亡人や不妊女性を包摂する目的があったと言われており、妻を複数持つのは現実的に資本家階級のみ許されていました(逆に、石油が出ないなど経済が豊かでないイスラム国家では一夫多妻制を禁止しているところもあります)。

まあ草の根女性が望むとすれば、明らかに後者ですね。海外の一部ミサンドリーラディカルフェミニストは、そのような「甲斐性ある男性」は男性非女性の全体人口に対して「10人に1人くらい」と見積もっているようです。そのくらいのレベルの社会的強者でもなければ男性非女性は彼女らの望むような社会に不要である、というメッセージが込められているようにも思えます。

ところで、これまで伝統主義的アンチフェミが目指してきた「皆婚社会」とは、どういうものだったのでしょうか。その答えは、草の根女性たちにとって「甲斐性ある魅力的な」社会的強者たる男性の数が多い、という社会です。女性の教育・就労・昇進の機会を制限するのはあくまでもその手段でしかなく、そうした地位格差が適齢期女性に対する「魅力的な男性」の数の相対的●●●増加につながらなければ意味がないのです。昭和期の日本では「一億総中流」というスローガンとその下で設計された日本型雇用モデルおよび標準家庭モデルがその役割を果たしていたといえます。

しかし忘れてはならないのは、そのような社会であってもすべての男性非女性が社会的強者になれたわけではないこと、その社会においてさえ弱者だった男性は今日こんにちとさえ比べ物にならないほどの迫害を男女双方から受けていたということです。

皆婚社会・性別分業社会・一億総中流社会の復活が本当に弱者男性のためになるのかは、このような視点からも考えなければなりません。

この理屈の半分を作ったのは…

そしてもう一つ、言及しておかなければならない重要なことがあります。それは、この理屈の半分は●●●

直接的に「伝統主義的アンチフェミニストが作った」といえる

ということです。これははっきりと告発しておかなければなりません。

どういうことかと言いますと、かつて伝統主義的アンチフェミの一部論客は、「女性の地位向上・社会進出を進めたエリートフェミが結果的に女女格差を拡大させてきた」と主張し、半ば若い女性・草の根の女性に向けて煽っていたところがあるのです。特に顕著だった一人がProf.Nemuro氏です。

スウェーデンでは1980年代末に「女の社会進出」がほぼ完了したが、ブルジョワジーやノーメンクラトゥーラになった少数の女と、低賃金プロレタリアートになった多数の女に二極化していた。
女性解放とはこのような考え方に基づいていたが、このイラストのように、家事労働から解放されたエリート女と、エリート女の家事労働を低賃金で請け負う一般女の格差を拡大させることになったわけである。『動物農場』の豚=エリート女、その他の動物=一般女に相当する。一般女はエリート女の強欲を満たすために利用されただけである。

女が労働市場に参入する→労働力の需給が崩れて賃下げ圧力が強まる→実質賃金が上がらなくなる→片働きでは家族の生活が成り立たなくなる→共働きしなければならなくなる、という単純なもので、多くの女が"could work"から"have to work"に追い込まれてしまったのである。
すべてはフェミニストのシナリオ通りである。
「職場に出たり入ったりできる仕組み」とは、企業が従業員を自由に出し入れできる仕組みのことである。
フェミニズムでは、定期昇給がある年収600万円の正規雇用よりも、定昇が無い年収300万円の非正規雇用が望ましいとされる。
フェミニズムの雇用政策がネオリベラリズムと同じになることは上野千鶴子も認めている。フェミニズムとはネオリベラリズムの一派なのである。
女が妊娠・育児中に経済的に頼りにできる男が減少したため、結婚と出産も減少している。フェミニズムは多くの人々を貧乏暇なしに追い込んだだけでなく、次世代再生産を阻害することで、社会の存続も危うくしている。上野千鶴子の「稼がない人間には価値が無い」との主旨の発言が示すように、フェミニズムとは「稼得能力による男女の選別・淘汰」つまりは「生産性で人を測る」思想である。子育てには価値が無いと示唆していることにも注意。
フェミニズムが多くの女にとっての災厄なのは、イデオローグの多くが子供を産まないか、産後に助力が得られる恵まれた女だったことにある。ネオリベラリズムは1割の勝ち組のために9割を負け組にするイデオロギーだが、フェミニズムも1割のキャリア志向の女が成功するために9割の女を犠牲にするイデオロギーなのである。

また実際、「99%のためのフェミニズム」が初めて提唱された書籍には、アンチフェミニスト男性論客の一部からも、称賛とは言わないまでも高い評価があります。もっともこうした煽動の裏には、以下のツイートで示されているような彼らの「狙い」があることは、言うまでもありません。

その報いを受けるときが、今まさに迫っています。しかし、あまりに理不尽なこととは思いますが、実際にその報いを受けさせられるのは、彼らではないのです。