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再録:「愛しのアイリーン」考


Ⅰ. 山谷哲夫『じゃぱゆきさん』:闇ブローカーと人身売買の告白

1. 概要と主題

山谷哲夫氏の『じゃぱゆきさん』は、1980年代以降、日本に急増した東南アジア出身の外国人女性たちの性産業従事を巡る社会問題に焦点を当てたルポルタージュである。この本は、単に「じゃぱゆきさん」と呼ばれる女性たちの実態を描くだけでなく、彼女たちを日本へ送り込む「闇ブローカー」たちの存在、その手口、そして背後にある貧困と搾取の構造を告発している。タイトルに含まれる「ある日本人闇ブローカーの告白」というフレーズは、この書籍が踏み込んだ、その「売り飛ばし」の具体的なメカニズムや、ブローカー側の視点をも含んでいることを示唆している。

2. 書籍が描く「フィリピン女を売り飛ばす」実態

本書では、闇ブローカーたちがどのようにしてフィリピンやタイ、ベトナムなどの女性たちを日本に斡旋し、性産業に従事させていたのかが詳細に描かれている。

  • 貧困につけ込む勧誘: ブローカーは、現地での極度の貧困に苦しむ女性やその家族に対し、日本での高収入や経済的な安定という「夢」を提示し、巧みに誘い込む。借金を肩代わりしたり、家族への仕送りを保証したりする甘い言葉で、女性たちを精神的・経済的に追い詰める。

  • 「渡航費」「前借金」による拘束: 日本への渡航費用や、現地での家族への「前借金」と称して多額の借金を負わせることで、女性たちを日本での労働から逃れられない状況に置く。この借金は、多くの場合、女性たちが稼いだ金から高額な利息とともに天引きされ、結果的に長期的な拘束へとつながる。これは、かつての「女衒」の手法と構造的に共通している。

  • 偽装結婚や偽造書類: 合法的に日本に入国させるために、偽装結婚やパスポート、ビザの偽造といった非合法な手段が用いられることも詳述されている。入国管理局の監視の目をかいくぐり、組織的に女性を「輸入」する実態が明らかにされている。

  • 日本社会の闇: 本書は、闇ブローカーだけでなく、日本の性産業側の受け入れ態勢、さらには暴力団の関与、そして一部の入国管理局職員による癒着や腐敗といった、日本社会が抱える闇にも切り込んでいる。女性たちが日本で置かれる劣悪な労働環境や人権侵害の実態も告発されており、彼女たちが「売春婦」として消費される社会構造そのものに問題提起をしている。

0:59「ユメもて、ニホンにきたけど、いいことなんてナニもなかたよ。」

3. 告白の意義

「俺はこうしてフィリピン女を売り飛ばした」という告白めいた記述は、本書が単なる被害者の証言集にとどまらず、加害する側の論理や、そのビジネスがいかに構築され、維持されてきたのかという、より構造的な側面を明らかにしようとする試みであることを示している。ブローカー自身の言葉を通して、この人身売買の「システム」の全貌を暴き、その根深さを読者に突きつけることが本書の重要な狙いである。

山谷哲夫氏の『じゃぱゆきさん』は、日本の高度経済成長期からバブル期にかけて顕在化した、外国人女性の出稼ぎと性産業問題という、社会の複雑な側面を抉り出した、重要なノンフィクション作品として刮目かつもくに値する。

アマゾン・レビュー

西明石順三郎 ★★★☆☆
しっかりと取材されてますね。
私が歌舞伎町で一年間暮らしていたまさのその時代の話で、当時は学生だったのでそれほど関心もありませんでしたが、今思えば大久保のホテル街やコインランドリーなんかですれ違ってた人たちがまさにこの本の主人公だったんでしょうね。さすがにその時は何も深く考えることはありませんでしたが、想像を絶するような大変な思いをして日本で生活していたんですね。じゃぱゆきさんのその後も知りたいですね。

hatayan
 ★★★★☆
適度に毒を盛った文体で人身売買の現場に迫る
単行本は1985年刊。「じゃぱゆきさん」とは、東南アジアから日本に出稼ぎにやってきた娼婦を称する言葉。著者は日本やフィリピンの盛り場を訪ねながら、現地の女性を日本に斡旋する地下組織に迫り、入国管理局の内部で職員と女性が関係していた事実を、適度に毒とユーモアを交えた文章で追いかけます。

国が貧しいときはじゃぱゆきさんは貴重な外貨の稼ぎ手。しかし経済が発展すると過去の日本でもそうであったように娼婦は見えない存在にされてしまう。そこにあるのは、人身売買をする側もされる側も社会で差別を受けている弱者であるという現実。

自分が作家としてのし上がるために女性を踏み台にしてきたことを女衒の独白に著者が重ね合わせる場面は、心を打ちます。

ボムノスケ ★★★☆☆
山谷哲夫「じゃぱゆきさん」(岩波現代文庫、2005)
本書は1985年に情報センター出版局から刊行された、アジアからの出稼ぎ女性労働者に焦点を当てたドキュメンタリーである。92年の講談社文庫版で削除された部分を再録し、2005年に岩波現代文庫に入った。
全九章に加え、現在の日本を巡る状況を記した書き下ろしの追章を付す。

「はじめに」では2005年の視点から歌舞伎町〜大久保駅周辺の変貌を記述する。
第一章、第ニ章では、刊行当時の裏歌舞伎町周辺の混沌を描く。年間10万人を超す(推定)アジアからの女性出稼ぎ者(「じゃぱゆきさん」)、地元住民の浄化運動、覚醒剤とエイズの蔓延、売春グループ同士の対立が語られる。
著者は、違法「実演」小屋で働いていた一人の女性、マリアを追跡取材するため、マニラへ飛ぶ。

第三章では、人身売買の拠点となったバンコクを中心に、ベトナム戦争以後の歴史と、アジアの中で日本人がどう見られているか(「バナナ」)を記す。

第四章〜第六章は、売買春を取り仕切るブローカーや「商品」である女性たちへの取材を通して、底無しの闇につながる「チャイニーズシンジケート」、「マニラコネクション」と日本の暴力団、グループと警察との癒着が描かれる。命の危険のため取材対象のガードが固く、著者は実相に迫れていない。
マリアの家族と会う。家族は、マリアが日本で売春をしていることを知らない。

第七章で、日本に戻った著者はマリアと再会し、彼女の仕事をみる。本書で最も虚無感漂う一節である。

第八章で、マリアの手記を元に入管内部の性的スキャンダルを掴むが、関係者の沈黙を前にまたしても取材を断念している。

第九章では、かつての日本の「からゆきさん」の歴史に触れ、国際的人身売買は外貨獲得を求める途上国と先進国の経済格差がもたらす「構造売春」(p.347)であるとする。

追章は冒頭に記した通り。

著者は必ずしも、買春を行う特定の日本人や日本人の民族性を糾弾しているのではない。

アジアと日本の圧倒的な格差の帰結としての性的搾取は、資本主義が要求する構造的悲劇である。そのことを、かつての「からゆきさん」や米軍の慰安婦に触れ著者は強調している。

その中で買春を行う老人や障害者などの性的弱者、場所を提供する歌舞伎町周辺ラブホテル経営者(在日コリアンが多いと著者は書く)、さらには売買春を取り仕切るブローカーですらも一様に被害者性を帯びた存在として描かれていく。

このように被害者を拡げていく議論はやりすぎると責任者が消滅するが、構造自体を(直接言うと資本主義)問題にするならそうするしかないであろう。

ところで、そのような著者にして、「女性特有のねちねちした」(p.160)とあっさり書き、2005年の再刊にあたって修正の必要を認めなかったこともまた、人間がいかに偏見から自由になれないかをこれ以上なく示す事例の一つである。

曇り雨のち晴れ ★★★★★
性の買春・売春の実態に迫ったドクメンタリー(1885年刊行、増補・復活本・完本)
日本が貧しかった時代・明治前期、特に天草あたりの女性が海外へ出稼ぎ(売春)行った。「からゆきさん」という。そして時代は過ぎ、今度は貧しいタイやフィリッピンの女性が金満日本に売春でおしよせた。上記の名に対して、じゃぱゆきさん。

ドキュメンタリーは歌舞伎町の裏通り(百人町1丁目、大久保1丁目)の「裏歌舞伎町(ハレルヤ通り)」の売春・買春、ストリップの実態から始まる。その凄まじい性を商売にし、それに群がる客の「闇の世界」に迫って行く。
興味本位のものではなく、あくまで性にまつわる人間の欲望と金が渦巻く世界に迫る。主役はタイ、フィリッピンから来る(人身売買的)女性とそれを商売にする組織、人物達である。まさに迫真のドキュメンタリー作品と仕上がっている。

ただ驚いたのは、講談社から出された文庫からは省かれた9章の「アジアは女だ」の章も復活され、そこの驚くべきことが載っていた。私は高校まで山口県の岩国寄りの市に住んでいたが、そのページに彼女たちを思う「島原の子守歌」の全歌詞が載っているが、なぜか最初の「おどみゃ島原の」と最後の「おろろんばい」だけが、メロディーと共に私の脳裏に残っている。どうして??である。

今一つは、福沢諭吉が「賤業婦の外出は決して非難す可きに非ざれば、移住の奨励と共に其出稼ぎを自由にするは経世上の必要なる可し」(福沢諭吉全集第十五巻)としているのであり、「寧ろ公然許可することこそ得策なれ」など述べている日本の指導者のメンタリティーには驚かされた。慰安婦問題に通ずる)。ぜひ、一読されたし。

Ⅱ. 映画『愛しのアイリーン』に見る現代の「女衒」:国際結婚斡旋業者の実態

映画『愛しのアイリーン』は、日本の過疎化と高齢化が進む農村で深刻化する「嫁不足」の問題に焦点を当て、東南アジアの女性を日本の男性に結婚斡旋する業者を描いている。これらの業者は、かつての「女衒」が果たした社会経済的役割を、現代の国際的な文脈で果たしていると言えるだろう。


1. 現代版「嫁不足」と国際結婚斡旋の背景

映画の舞台となる農村では、若年層の流出と未婚化が進み、特に男性にとって結婚相手を見つけることが極めて困難な状況にある。この深刻な「嫁不足」は、高齢化社会における新たな貧困と孤立の問題を引き起こしている。かつての貧しい農家が娘を売らざるを得なかったように、現代の日本の農村男性もまた、結婚という「労働力」と「生活の安定」を外部に求める必要に迫られている。

国際結婚斡旋業者は、この需要に応える形で、経済的に豊かな日本での生活を求める東南アジアの女性と、結婚相手を求める日本の男性をマッチングさせている。


2. 「前借金」ならぬ「支度金」と「費用」による女性の拘束

映画では、日本の男性側が女性を日本に招き、結婚に至るまでに高額な費用を負担する様子が描かれる。これは、かつての「前借金」のように、女性の家族に金銭が渡される形ではないものの、女性が「日本に行くための費用」や「支度金」といった形で金銭的な恩恵を受けることで、男性側や斡旋業者に対して一定の「負い目」や「拘束力」が生じる場合がある。

  • 経済的誘引と夢: 東南アジアの貧しい地域に暮らす女性にとって、日本での生活は経済的な安定や家族への仕送りを可能にする「夢」として提示される。斡旋業者は、この「夢」を巧妙に利用して女性を誘い込む。

  • 逃げ出しにくい状況: 高額な費用をかけて日本に来た女性は、言葉の壁、文化の違い、保証人の不在などから、日本の社会で自立することが極めて困難である。この状況が、たとえ結婚生活に問題があっても、容易に逃げ出すことを許さない「囲い込み」の状態を生み出す。


3. 「商品」としての女性と斡旋業者の利益構造

国際結婚斡旋業者は、女性を「結婚相手」として紹介する一方で、実質的には「日本の農村における生活を支える労働力(嫁)」として、あるいは「生殖能力を持つ存在」として扱っている側面がある。彼らは、結婚が成立することで、男性側から多額の斡旋料を得て利益を上げている。

  • マッチングの非対称性: 斡旋業者による「お見合い」は、多くの場合、短時間で行われ、男性と女性が互いの背景や性格を深く理解する機会は限られている。これは、結婚という人生の重要な選択が、あたかも商品を選ぶかのように、表面的な情報や経済的なメリットだけで判断される危険性をはらんでいる。

  • 「斡旋」と「人身売買」の境界: 現代の法制度下では、直接的な人身売買は禁じられているが、斡旋業者が女性の経済的・社会的な弱みを利用し、選択肢を極端に限定された状況で結婚を「斡旋」することは、間接的ながらも個人の自由な意思決定を阻害し、搾取に繋がり得るという点で、かつての女衒の行為と本質的な共通点を持っている。


4. 『愛しのアイリーン』が問いかけるもの

映画『愛しのアイリーン』は、このような国際結婚斡旋の現実を、ユーモラスかつ時に残酷な描写で描き出す。主人公の男性がアイリーンを「購入」するような感覚で結婚を進める様子や、日本社会に適応できないアイリーンが置かれる過酷な状況は、このビジネスの裏に潜む人間的な尊厳の喪失や、文化摩擦、そして孤独を浮き彫りにしている。

この映画は、現代の国際結婚斡旋業者が、かつての女衒と同様に、社会の経済的・構造的な歪みと個人の切実な欲求(男性側の「嫁が欲しい」、女性側の「生活を良くしたい」)の間に立ち、そこから利益を得る存在であることを示唆している。彼らは、単なる結婚の仲介者ではなく、経済的な弱者や社会の隙間を利用して、新たな形の「身売り」とも呼べる状況を作り出していると言えるだろう。

ネタバレ全開noteだけれど、深い分析の映画評

このシーン↓で、つくづく岩男がクズ野郎だと実感する。男として物凄く恥ずかしいと感じる!! それだけに、こんな恥さらしの行為を演じられるヤスケンは凄いと思った。

新井英樹の原作漫画

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