生きる意味って、何でしょう?―フランクルを読んだ看護学者が住職になるまで―What Is the Meaning of Life?How a Nursing Researcher Who Read Frankl Became a Zen Temple Priest
❇️若い頃、フランクルの『夜と霧』を読んで立ち止まりました。
「生きる意味って、何でしょう?」
六十五歳になった今も、私はその問いを抱えながら山寺で暮らしています。
When I first read Man's Search for Meaning, I paused and wondered:
“What is the meaning of life?”
Now, at sixty-five, I still carry that question with me as I live in a small mountain temple.
若い頃、私は看護学の研究をしていた。
研究テーマの一つは「健康」だった。
健康とは何だろう。
病気がなければ健康なのだろうか。
しかし、現場にいるとそうではないことに気づく。
末期がんであっても生き生きと暮らしている人がいる。
反対に、検査結果はどこも悪くないのに、生きる気力を失っている人もいる。
私は次第に、健康とは単に病気がない状態ではないと思うようになった。
そして出会ったのが「レジリエンス」という考え方だった。
困難や喪失に直面しても、再び立ち上がる力。
私は、健康とはレジリエンスを高めることではないかと考えた。
では、そのレジリエンスを支えるものは何だろう。
その問いを追いかけていた頃、一冊の本に出会った。
フランクルの『夜と霧』だった。
強制収容所という極限状況を生き抜いた精神科医の言葉は、私の心を揺さぶった。
しかし同時に、私は戸惑った。
フランクルは言う。
人は生きる意味を持つことで困難を乗り越えられる、と。
その時、私は本を閉じて思った。
「生きる意味って、何でしょう?」
若かった私は、その言葉の意味がよく分からなかった。
それから長い年月が過ぎた。
看護師として働き、大学で教え、研究を続けた。
そして、なぜか私は仏教に惹かれていった。
本当は仏教を研究したかった。
禅や仏教には、人間が苦しみを乗り越える知恵があるように思えたからだ。
レジリエンスを高める方法として、禅は有効なのではないか。
そのことを確かめたかった。
ところが人生は不思議なものである。
研究するつもりだったのに、いつの間にか研究対象の中に入ってしまった。
坐禅を組み、
修行をし、
得度し、
気がつけば臨済宗の住職になっていた。
大学教授だった私が、山の中の小さな寺で暮らしている。
人生とは分からないものである。
今、私は六十五歳になった。
耳は若い頃ほど聞こえない。
足も痛む。
お寺の経営も決して楽ではない。
それでも私は毎朝起きる。
草を抜き、
蓮を育て、
法事を勤め、
子どもたちに勉強を教え、
文章を書く。
そんな暮らしを続けている。
そして今なら、若い頃の私が分からなかったことが少しだけ分かる気がする。
生きる意味とは、世界を変えるような大きな使命ではない。
朝咲いた花を見ることかもしれない。
誰かの話を聞くことかもしれない。
今日の仕事をすることかもしれない。
遠くに住む家族を思うことかもしれない。
生きる意味は、案外そんな小さな場所に宿っている。
私は今でも健康とは何かを考える。
そして一つの答えにたどり着いた。
健康とは、病気がないことではない。
健康とは、生きる意味を持ち続けることである。
たとえ病気になっても。
たとえ老いても。
たとえ死が近づいても。
今日やることがあり、
会いたい人がいて、
誰かを思う心があるなら、
その人の精神は健康なのだと思う。
フランクルを初めて読んだあの日、
私は「生きる意味って何でしょう?」と思った。
六十五歳になった今も、その問いの答えを探し続けている。
けれど、もしかすると答えは探すものではなく、生きるものなのかもしれない。
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