ノートルダムの鐘を鳴らすのはあなた③
皆さんこんにちは。③です。
ようやく作品のお話に入っていきますが、ここから本格的にわたしのわたしによるわたしの為の解釈や考察が入りますので「この人から見た鐘はそうなんだな〜〜」と。思っていただけましたら幸いです。あくまで個人の見解です。
今回は【ノートルダムの鐘のテーマとキーワード】について書いていこうと思います。
何を隠そうめちゃくちゃ見切り発車です🎶ほぼ何も決めてません🎶
ではよろしくお願いいたします。
何が怪物をつくり、何が人間をつくるのか
まず、テーマを考えるにあたってこのミュージカル版はユゴーの原作とディズニーアニメのハイブリッドというか、ミックスして若干原作寄りになっています。
カジモドが醜い、エスメラルダは美しい
こういう設定を見ると「外見で中身を判断してはならない」っていう話かな〜とも思えます。それは間違いではない。
ただ②で書いた15世紀当時のヨーロッパの状況と階級制度を考えてみるともう少し深いところに主題があると思っています。『美女と野獣』とはまた違うんです。
能力ではなく、生まれとそれによって決められた身分によって全てを判断される
本来、人々を救う役割であるはずの宗教や聖職者がその階級から外れた者を弾圧,排除する。そしてその排除の道具として聖書や教えを使う。
自分が正しいと信じるものを武器にしてそれに反する者を差別し排除することに外見や職業、身分は関係ない。さて、あなたはどうですか?と問いかけている。
これを持っているってことは〇〇ってことだ
〇〇語を喋っているってことは〇〇人だ!危ない!
とか、そういうことをしてはいませんか?という。
物語の最初と最後に出てくる印象的な言葉
「答えてほしい謎がある。人間と怪物どこに違いがあるのだろう?」
これ、英語詞だとちょっとニュアンスが違います。(アニメ版やCDによっては日本語詞と同じニュアンスの場合もあります)
What makes a monster? and What makes a man?
(何が怪物をつくり、何が人間をつくるのか?)
ちょっと受ける印象違いませんか?
“違い”ではなく“つくられる過程”に目を向けると物語の見方も少し変わります。
外見が醜いから“怪物”になるのではない。階級が高いから“人間”になるのではない。
言語が違い、肌の色が違うから“悪”になるのではない。同じ言語を話し、大勢と同じ肌の色をしているから“正”になるのではない。
全員が等しく、怪物にも人間にもなりうる可能性を持っている。
その上であなたはどうすべきだと考えますか?自分はどっちになりかけていると思いますか?
これがこの作品の大きな主題のひとつであるとわたしは思っています。
罪と救い
作中何度も登場する言葉です。
「悪人は罰を受ける」
「そんな救いならわたしにはいらない」
①で書いたキリスト教の教えの定義でいくと、まず皆等しく原罪を抱えてこの世に生まれています。
その上で、神の律法に背くこと,神の教えに背くこと,7つの大罪を犯すこと これが罪。
作中命を落としたカジモド,フロロー,エスメラルダ,ジェアンの罪と受けた罰、そして救いはなんなのでしょう。
罪においては、①で書いたことを参考に考えてみればいいとして“罰”はどうでしょう。
キリスト教では、肉体的な死は魂が離れただけであり原罪により必ず起こる現象です。罰=永遠の死/地獄行き は肉体的な死のあとに神の裁きによって与えられるもの。
日本では「お天道様が見てるよ」とか「バチが当たったんだ」という考え方がありますが、キリスト教においてはそう言ったものは存在しないそうです。つまり生きている間の人間の行いに神は介入しないということ。
もし介入していたら多分皆死んでます。滅‼️です。(言いたいだけ)
人間の行いによって神が介入するということは、神が人間の行いによってコントロールされていることになってしまうのでそれは聖書の神の性質とは違うものになります。
とはいえ、聖書にはこういう言葉もあります。
「人は種を蒔けばその刈り取りもすることになります。」
だから隣人を大切にしようねその行いは自分に返ってくるよという意味になると思うのですが、これは誰かに害を与えることも同様に自分に返ってきますよね。
要するにこの世に生きている間に起きていることは、自分の行いの結果である可能性もある と言えます。
そしてこれは、あくまで自分で決めることであり他人が判断できるものではないと思います。
例えば友人に傷つく言葉を言われたとき、「わたしが何かしてしまったのかも。自分のしたことが返ってきたのかも。」と思う人と「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの?意味わかんないんだけど」と思う人でその後の生き方って変わってきませんか?(※これは簡単な例であり、必ず常に自責思考でいなくちゃいけないとか心身を酷く傷つけられたときも我慢をしなくちゃいけないということではないです。)
赤子を残して天然痘で亡くなったジェアンとフロリカは罰を受けたんでしょうか?
エスメラルダが人々から迫害され、火炙りによって殺されたのは罰ですか?
カジモドが聖堂の地下で亡くなったのは罰なのでしょうか?
それはあくまで、本人達のみぞ知ることです。
外野の人間が、「あれは天罰がくだったんだ」と判断するのはこの作品においては適さないとわたしは考えます。
それは我々が判断することではないのです。
救いについても、色々な考え方があります。
結局この作品においての救いも、本人のみぞ知るところなのだと思います。
他の何を犠牲にしても、自分だけが生き続けることを“救い”と思う人もいれば、例え命が果てようとも、己の信念を貫くことを“救い”だと思う人もいる。
何が罰で、何が救いなのかは自分の価値観に基づいて判断すること というのが今のわたしの考えです。
その前提を決めた上で、主要キャラクターたちはどうなのか?は次か次の次で書きます。(見切り発車が故に計画が立っていないことがわかる発言)
4つの愛
①で書いた聖書に登場する4つの愛。
フィリア,ストルゲー,エロス,アガペーがどのように物語に関わっているか?
そして神の子であるキリストの教えであるアガペー(無償の愛,隣人愛)を体現したのは一体誰なのか?
ノートルダム大聖堂=聖域
聖域(Sanctuary)
・神聖な場所
・安らぎの場所
・避難所
・そこには手出しができないという不可侵性
調べたところいくつかの意味が出てきました。
大衆にとっては恐らく神聖な場所、安らぎの場所という役割を担っていたのではないかなと思いますが
カジモドとフロロー(ジェアン),エスメラルダにとってはまた違った役割があったのではないでしょうか。
以上のキーワードから、次はその観点から見るキャラクターの役割と特徴について書いていきます。
よろしくお願いします。
始めたからには終わらせるんですけれどウィキッドとオペラ座より大変❣️
それではまた次回に。
