ノートルダムの鐘を鳴らすのはあなた⑤
皆さまこんにちは。
予定では終わるはずだった⑤
全然終わらない。
今回は前回の続きで、フロローについてです。この人が多分凄く難しい。書く前から時間がかかることを確信しています。
これ完全に見切り発車で頭の整理と自分のいつかの2回目のために書き始めたのですが、Twitter(X)の方で楽しみにしているとのお言葉を…いただきまして…大変嬉しいです。そう言ってもらえると本当に元気出る🎶
はい。多分長くなりますよろしくお願いします。
今回も念の為端的に申し上げますと個人の感想と解釈です。ご了承くださいませ。
フロローについて
クロード・フロローは弟のジェアンと共に孤児の兄弟として聖堂で育てられました。
原作だと年齢差は20歳。大司祭という役職で厳密にいうと偉い人です(?)
そして②で書いたとおり、当時キリスト教は政治に大きな影響を及ぼしていました。国王に実際に謁見できたり地域の人々がペコペコしているところを見るに(言い方)かなり権力を握っていたと思います。
20歳差というとほぼ親子ですよね。(仮に原作通りでなかったとしても10歳〜は差がありそうです。役者さんの年齢もそうですし)親がいない中でほぼ赤子の弟を抱えて教会に助けを求めたフロローの心情を想像するに本当に…とてつもない責任感に苛まれていたと思います。
なぜならフロローがいなければ死んでしまう生き物と2人残され生きていかなければならなかった。
“自分がしっかりしなければ”
“守らなければ”
雨が降ろうが風が吹こうが雪が降ろうが彼は自分の意思で倒れられないカカシになったのです。ジェアンという守るべき存在がいたから。自分にその使命を課したわけですね。
そして聖堂で安全と衣食住、聖職者という立場を手に入れました。
人々が教会に話を聞きに来たり、膝を折って祈る姿を見て過ごし自分自身も教えを習う内に彼はキリスト教の教えに共感してというよりも“これが正しいのだ”と思ったのだと思います。もちろん教えに救われた部分もあったとは思いますが。
そこから恐らく、彼の価値観は“人々にこの正しさを教え導いていくこと“が軸になった。
正しいと思いますよね。聖堂に行ったら孤児から当時のヒエラルキーの1番上になったんです。
弟もその道に導くことが正しいことであり彼のためになると考えた。
ジェアンがジプシーを連れてきた時も
ジェアンが亡くなる時も彼は“正しさ”こそが“正義”だと信じて疑わなかった。
現代でいうと子が望んでいないのに小学校の時から塾に通い、中高は進学校に行き、東大京大一橋に行くことを子どもに強いる親みたいな感じ。フロローの場合はそのルートを自分が歩んできたからこそそれが安心安全間違いなしと思っている。そしてそれを押しつけるタイプ。子どものことを考えていると見せかけて自分のことしか考えていないエゴイストですね。
ジェアンをその道に導けなかったこと、そして教えに従わず、ジプシーと自由を選んだジェアンが病気で亡くなった上に2人の子どもに先天性の奇形があったことでよりその考えが強固になります。
“それ見たことか”
“自分の言うことを聞かなかったから、聞かせられなかったから天罰がくだった”
だから
“カジモドだけはそうはさせない”
カジモドの存在はフロローにとって、息子というよりもジェアンの代わりであり背負う十字架になったのだと思います。
そして自分の欲望が芽生える前にジェアンと聖職者の務め、己の正しさにばかり目を向けて生きてきたが故に彼は自分の内面と向き合わざるを得なくなります。
Hell Fire(日題:地獄の炎)
この曲すごい人気ですよね⁉️鐘が好きな人、ここが好きな人が多いイメージです。(芝さんが凄いのもあると思うけれど)
歌詞についての詳細や解説はわたしよりも遥かにキリスト教やラテン語に詳しい方がしてくださっていますので、ここは付け焼き刃素人のわたしなりの解釈を書いていきます。
さて場面はエスメラルダに出会った後、彼女に焦がれ欲を抱いてしまったことを懺悔していると見せかけソングです。(?)いかんせん彼はエゴイストなので。
この曲はフロローとコーラスの2種類の声で歌われています。
曲の最初は、「神と天使に懺悔します。なんで私は彼女を見てしまうのでしょう。」という内容の歌詞で始まりメロディーも重厚で神聖な感じ。
フロローの歌に挟まる形で歌われるコーラスの歌詞が「COGITATIONE(思考によって)」「VERBO ET OPERE(言葉と行動)」「MEA CULPA(私のせいです)」=言葉,行動,思考全てで罪を犯してしまった
聖職者としてあるまじき行為であることは、真面目に教えを学んできた彼自身がよく理解しているわけです。
と、言いながら出てくる言葉が
「It’s not my fault(私のせいじゃない)」「I’m not to blame(私が非難される謂れはない)」
⁉️⁉️⁉️
その後もひたすらにエスメラルダを責める歌詞が続きます。
メロディーも申し訳なさ0(言い方)の炎が燃え盛るようなものに変化。
「まあ確かに、教えに背いていけないことをしました。それは認めますよ。よくないことだ。でもそれは私のせいじゃないです。あの女が悪いです。あの女が私に何かしたんですよ。だったら罰を受けるべきはあの女ですよね?これ以上私に何かをする前に火炙りにしましょう!でも…そうでないなら私だけのものにします。」的な。
そして最終的には「God have mercy on her God have mercy on me(神よ 彼女に慈悲を そして私にも慈悲を)」
この“慈悲”は彼女の命を救ってくれということではなく「エスメラルダは火炙りにはなっちゃうの確定だけれども…せめてその苦しみは取り除いてやってください。そして火炙りにしてしまう私にも情けを…許してくださいね」ということだと思います。
フードを被った人たちが彼の内なる声を歌い、理性として彼を責める役割を引き受け
メロディーと共にフロローという人間の二面性を表現しているものすごい構成の曲だと思います。マジでスティーヴンとアランメンケンって天才で。
理性と本能
光と闇
強欲と寛容
色欲と純潔
傲慢と謙虚
そしてこの前にカジモドが歌う『天国の光』と対照とされており、1人の同じ女性に対する全く別の感情。
既に怪物と人間がどちらなのか問われている…外見と階級はそれを定める材料にならないということです。
罪と罰
罪:これはもう。十戒における⑥殺してはならない,⑦姦淫してはならない,⑨隣人に対し、偽りの偽証をしてはならない
さらに7つの大罪における傲慢(聖職者として権力を持っていることを盾に人を貶めた),憤怒(エスメラルダに責任転嫁),色欲(エスメラルダに対して)
ほぼフルコンボだドンです。
罰:これです。これを言いたいが為に全員分この項目を入れたと言っても過言ではないです。これに関しては見切り発車ではありません。
わたしは③で“この世に生きている間に起きていることは、自分の行いの結果である可能性”と“何が罰で何が救いなのかは自分の価値観に基づいて判断する”と書きました。
それをほぼ回収してくれるのがフロローです。
まずフィナーレでカジモドが「悪人は、罰を受ける!」と言った後に
ジェアンの枠の人「悪人は罰を受ける」
フロリカの枠の人「邪悪なものは災い」
って歌うんですよ。
(英詞には明確に“JEHAN‘S GHOST””FLORIKA’S GHOST”と書いてあるものもある)
今まで、フロローが散々、ジェアンやカジモドに言ってきた言葉です。神によるものではなく、彼が自分のしたことが明確に自分に返ってきたわけです。
そして、フロローはカジモドに突き落とされたとき四季版だと「あーーーーー!」と叫んで終わりですが、英語版はセリフがあります。
「Damnation!(天罰だ!)」
つまり彼は、自分の行いによってジェアンの代わりでもあり十字架であるカジモドに突き落とされたことを“天罰がくだった”と自覚していたことになります。
誰よりも教えを学んでいたフロローだからこそ、自分の行動や感情、思考がいかに“罪”であったかを理解していたのだと思います。
その証拠としてカジモドがエスメラルダを救出する場面までは十字架の模様が入ったスカーフをつけていますが、エスメラルダが亡くなったあとに塔の上に来るときにはもうそのスカーフはついていないんですね。(四季版は1回しか観ていないので定かではないが、アメリカ版ではそう)
十字架を身につけるに値しないことを本当は解っていたのではないでしょうか。
愛
カジモドに4つの愛の中のどれも注げなかったのは彼自身も愛を与えられていないから…
人間は“与えられたものしか人に与えられない”ので…
彼は「弟を愛していた」とカジモドに話しますが、そのあと「導こうとした」と続きます。彼の中ではそれが愛を体現する行動だったんです。
聖堂で育ち、キリスト教の教えを学び人々を導くことで感謝され評価され力を得ていったフロローにとってはそれが“正しさ“。
本来ならば人間はそれぞれに自分だけの道を切り拓き歩いていく権利があります。
でも当時は階級や生まれによって職業や待遇が決められていた時代。ヒエラルキーが下の者やそもそも適さない者は差別され、迫害されていました。その中で孤児であったフロローにとっては聖職者になることが1番安全だった。
自分が切り拓いて障害を取り除き補整された道を弟にも歩いてほしかった。手を引いてそこに導くことこそが彼なりの愛情だったのだと思います。
聖職者として真面目に教えに従ってきた、人を導いてきたと自分では語りますが教えの中心である“隣人愛”を体現している描写が作中一切無いのは中身は空っぽで外側(階級や権力)だけを重視してきたことの表れなのではないかなと考えます。記憶力でどうにかなる範囲の決められたテストは成績が良いけれど、本質や流れを理解していないと解けないテストはてんで点数が取れない人。みたいな。
聖域と大聖堂
フロローにとって聖堂は自分が育った家であり、権威の象徴でもあるわけですが“家”とはいえ安心できる温かい存在ではないと思います。
ジェアンがフロリカを連れてきたとき、白状したらジェアンは追い出されました。
その瞬間フロローはこの場所が完全に安心できる場所ではないと思い知ったのだと思います。
教えに従い聖職者でなければ家が家でなくなる可能性をまざまざと突きつけられた。
そのまま位を上げていったのも、自分のためでもあるしもし自分に権力があればジェアンを呼び戻せると思ったのかも。
聖域=避難所であるのは一般人だけで、聖職者にとっては監視の目でもあったのではないでしょうか。
以上で今回はフロローについてでした。
このまま次はエスメラルダについて、そしてこの作品についてのまとめに続いていきます。
今週中に終わるといいな終わるかな。
どなたかのお役に立てば幸いです。
また次回!
