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ムーミンブームとトーベの苦悩~「ムーミン・コミックス」の歴史②


前回のあらすじ

 英訳版「たのしいムーミン一家」をきっかけにイギリスで人気が高まったムーミン。そこに目を付けた大手コンツェルン「アソシエイティッド・ニュースペイパーズ」(AN)社は、トーベ・ヤンソンにムーミンの新聞連載を打診する。
 安定した収入と海外進出のため、AN社と7年契約を締結したトーベ。しかし、この新聞連載にはさまざまな制約があった。

 本記事は、「ムーミンブームの火付け役~「ムーミン・コミックス」の歴史①」の続きとなります。


巻き起こるムーミンブーム

世界へはばたいたムーミン

 1945年にフィンランドでひっそりとデビューを果たした、小説の「ムーミン」。それから約10年のときを経て、ムーミンは英国、そして世界中で、その名を轟かせることとなる。

 1954年9月に、英国の「イヴニング・ニューズ」で連載が始まったムーミン・コミックス。北欧生まれのまん丸でナイーブな生きものたちが織り成す、牧歌的ながらも現代諷刺が効いたこの連載漫画は大きな人気を博した。
 1955年にはスウェーデンの「スヴェンスカ・ダーグブラーデット」、デンマークの「ポリティケン」、母国フィンランドの「イルタ・サノマット」でも連載が開始された。
 原作者のトーベ・ヤンソンはスウェーデン語系フィンランド人であったため、スウェーデン語でムーミン小説を執筆した。母国でありながらフィンランド語話者が多数を占めるフィンランドにおいて、ムーミンの知名度はさほど高くはなかった。しかし、フィンランド語新聞の「イルタ・サノマット」で漫画の連載が始まったことにより、ようやく母国におけるムーミン受容が広がり、ムーミン小説もフィンランド語で翻訳されるようになった

 新聞連載のムーミンは、ヨーロッパ諸国のみならず南アフリカやインドといった英語圏の国々にも広がっていった。最盛期には40ヶ国・120紙に掲載され、数100万人の読者を獲得した。

ムーミンビジネス

 連載漫画のブームにともない、1950年代には多種多様なムーミングッズが生み出された。
 1956年にはヘルシンキのストックマン・デパートで、イースターと秋の二度に渡り大規模なムーミングッズのキャンペーンが開催された。このイベントでは、トーベ自らがウィンドウディスプレイのデザインを手掛けた。1957年には、ストックホルムのNKデパートにムーミン関連の特別コーナーが設置された。
 こうしたムーミングッズを、トーベはすべて管理し、グッズをタイプごとに分類した商品リストにファイリングしていた。トーベ自らデザイン・監修をおこなったムーミングッズは数多く、それらは細部まで丁寧につくられ、メーカーに対してはサイズや配色等の細かい指定がおこなわれた。

 ムーミンビジネスの興隆に伴い、トーベのもとには種々の契約に関する書類や問い合わせ・提案の手紙、作品に対するクレーム等、多くの文書が届くようになる。インタビューを受けることもあった。多忙な中でもトーベは丁寧に対応した。トーベ・ヤンソンは、ビジネスパーソンとして、何より「ムーミントロールのママ」として、活躍の場が広がっていった。


失われる画家としてのキャリア~ラルスの協力

 新聞連載の大ヒットにともない、トーベは安定した収入と知名度を得た――児童文学作家、そして新聞連載漫画家として。

奪われていく時間

 トーベが7年契約を受け入れた理由の1つとして、経済的に安定すれば、本来やりたいこと、つまり画業に専念できると考えていたことがあげられる。実際、契約するまで不安定な収入で生活していたトーベは、新聞連載のヒットにより経済的な心配から解放されることとなった。
 しかし、その代償は大きかった。名声や富の対価として、彼女は多くの時間を失う羽目になった。連載漫画の執筆に暇はない。前回のnoteでも述べたように、新聞に掲載される半年前には、原稿を仕上げていなくてはならない。週に6日、1日につき約3~4コマ、毎回小さな山場をつくる――それをひたすら描き続けるのだ。

 結果的にトーベは原稿を落とすことも、7年契約を途中で投げ出すこともなかった。どれほど多忙でも、丁寧に仕事をこなしていった。しかし、彼女は「仕事を締め切りまでに仕上げることができないのではないか」という強い恐怖心を常に抱いていた。
 連載漫画では、1度描いたネタを繰り返すことはできない。常に新しい話を描かなければならない。契約から数年後には、話のアイデアが枯渇し始めた。トーベは常に、漫画のネタ探しに頭を悩ませていた。

ムーミン、海へいく」((英) Moomin Under Sail)より
締め切りが迫る中、物語のきっかけを探すムーミントロールとパパ。
どうしよう……と読者に直接訴えかける。

募るストレス

 トーベを苦しめたのは、連載漫画の執筆だけではない。前述の通り、ムーミン人気の加速に伴いムーミン関連の仕事量は肥大化した。それは物理的・時間的に彼女を画業から遠ざけたことはもちろん、「ムーミンの作者」として彼女を世間に認知させることとなった。「児童文学作家」「連載漫画家」「ムーミントロールのママ」――本業である「画家」としてのトーベ・ヤンソンは、「ムーミン」という名声によって隅の方に追いやられてしまった。自らを「画家」と称するトーベにとって、画業から遠ざかっていくことは耐え難いことだった。

 かつて、戦時下で色彩を描く意欲を失ったトーベにとって、ムーミンの世界はある種の逃避先であり、自己を解放できる居場所であった。ムーミンの物語を書くことは、彼女にとって大きな喜びだった。しかし連載漫画の執筆を経て、ムーミンを描くことは単なる「義務」へと転じてしまった。トーベは次第に、ムーミンに対し吐き気まで感じるようになった

姉弟の共同作業

 1957年、連載をやめたいという気持ちがピークに達していたトーベは、14作目の「黄金のしっぽ」を最後に連載を終了したいと考えていた。しかし、実際の契約期間はあと2年残されている。後継者を一体誰にするか。
 そこで、「黄金のしっぽ」に代わる新たな14話目が生み出されることとなった。この話で初めて、トーベの12歳年下の弟ラルス(ラッセ)が、粗筋担当として本格参入を果たした

 ラルスは連載当初から、トーベにとって大切な協力者だった。トーベが書いたスウェーデン語の台詞を英語に翻訳していたのは、他でもないラルスだった。彼はイヴニング・ニューズの担当者から「英国人よりも英語がうまい」と評されるほど語学が堪能であり、スウェーデン語、フィンランド語、英語のトリリンガルであった。漫画の執筆当初から、トーベは英訳者としてラルスに協力してもらうことを、AN社に約束させていた。トーベが彼に強い信頼を置いていたことは、言うまでもない。
 また、ラルスが漫画制作に本格参入するのはこの1957年からだが、それより前から彼がネタ探しに協力していたことが伺える。1990年、ラルスと共に来日したトーベは、新聞連載当時についてインタビューで下記のように語っている。

ラッセに手伝ってもらうようになってからは、時間的にも余裕ができ、作業は楽になりました。ただ、別の難しい面も出てきました。 非常に男っぱい物語が増えてきたのです。馬とか、タイムマシンとか、 宇宙人とか(笑)。私には非常に描きにくい内容でしたね。

アニメージュ VOL.143 1990年5月号
徳間書店(1990)
p. 22より引用

 ムーミン・コミックスに登場する「宇宙人」といえば、11話目「まいごの火星人」を指す。ある日、ムーミン家の庭に空飛ぶ円盤が墜落する。そこに乗っていた火星人の子どもを匿うことになったムーミン一家だが、彼が持っていた謎の機械をいじったことにより、ムーミン谷に騒動が巻き起こる……という、SF色の強い作品となっている。

 ムーミンの連載漫画の最大の協力者であり理解者でもあるラルスが作成した話を、トーベはAN社に送付した。ムーミン一家がタイムマシンで西部開拓時代にワープするという、SF要素を前面に出したストーリーだった。編集者は、これまでのトーベ作品とは作風が違うことに気づいたが、この新しい作品を概ね受け入れた。
 ラルスが考えた粗筋は、連載漫画の14話目「タイムマシンでワイルドウエスト」((英) Moomin Goes Wild West)として掲載されることとなった。

ラルスとの初共作「タイムマシンでワイルドウエスト」((英) Moomin Goes Wild West

 これ以降(18話目の「黄金のしっぽ」を除き)、作画はトーベ、作話はラルスという分業体制で漫画の制作がおこなわれた。トーベが描いたムーミン・コミックス全21作のうち、8作はラルスがストーリーを考案している。


案の定またもや記事が長くなってしまったので、一旦ここで終了させていただく。次回は、契約終了・ラルスへの引継ぎについて解説すると共に、「ムーミン谷の冬」以降の作風やトーベとムーミンの関係について、独自見解を交えながら述べていきたい(③で完結する予定です……多分)。

続き:「ムーミン・コミックス」の歴史③ ↓↓



参考文献・Webサイト:

  • 冨原眞弓. ムーミンのふたつの顔. 筑摩書房, 2011, 240p.

  • トーベ・ヤンソン, ラルス・ヤンソン. ムーミン・コミックス 第14巻 ひとりぼっちのムーミン. 冨原眞弓. 筑摩書房, 2001, 96p.

  • トーベ・ヤンソン, ラルス・ヤンソン. 英語対訳 ムーミン・コミックス. 冨原眞弓, 安達 まみ. 筑摩書房, 2020, 208p.

  • ボエル・ヴェスティン. トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉. 畑中麻紀 森下圭子訳. フィルムアート社, 2021, 656p.

  • ポール・グラヴェット. ムーミンとトーベ・ヤンソン 自由を愛した芸術家、その仕事と人生. 森下圭子, 安江幸子. 河出書房新社, 2022, 112p.

  • Christina Björk. Tove Jansson- mycket mera än Mumin. Bilda förlag, 2003, 208p.

  • 「だれも知らないもうひつの原作」,『アニメージュ』1990年5月号, p.22, 徳間書店.

  • “Mumin produkter under 1950
    talet” https://www.moomin.com/sv/blogg/mumin-produkter-under-1950-talet/#3cc372e6, (参照2025-3-30) .

  • “Tove Jansson’s sketches for Stockmann’s window display in the 1950s” https://www.moomin.com/en/blog/tove-janssons-sketches-window-display-1950s/#3cc372e6, (参照2025-3-30) .

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