見出し画像

トーベ・ヤンソンはムーミンが嫌いだった?~「ムーミン・コミックス」の歴史③


前回のあらすじ

 1954年に始まった新聞連載を機に、ムーミンは世界中に名を轟かせ、トーベは安定した収入と名声を得た。しかし、新聞連載と肥大化するムーミンビジネスに忙殺され、トーベは画家としてのキャリアを失っていく。
 連載を終了したいという思いがピークに達したトーベは、1957年、漫画の粗筋を弟のラルスに委託する。

 本記事は、「ムーミンブームとトーベの苦悩~「ムーミン・コミックス」の歴史②」の続きとなります。


トーベコミックスの終焉

ムーミン・コミックスの行く末は?

 1957年の「タイムマシンでワイルドウエスト」以降、1959年の21話目までの計8作において、ラルスが考案した粗筋を基にトーベは漫画を制作した。姉弟の共作には「Jansson」のサインが記された(8作のうち最後の3作は無記名)。

 1959年12月31日に、7年契約が満了を迎えることになる。その半年前の6月までには、契約更新の可否をAN社に伝えなければならない。
 1959年2月、トーベはサットンに手紙を送った。
「私が彼(ムーミントロール)と離婚したがっていることを、あなたはきっともうとっくにご存知でしょう」「もはや仕事に喜びを感じられなくなったので、漫画を描くことをやめなければなりません」――契約更新の意思がないことを、トーベはAN社に伝えた
 問題は、後継者を誰とするか。
 AN社としては、大人気コンテンツの「ムーミン」を終了させるつもりなどなかった。以前のnoteで記した通り、トーベが連載を降りたとしても、AN社には別の漫画家を立てて連載を継続する権利があった。その上、ムーミンの連載を継続するか否か、その決定権もまたAN社側に属していた。トーベの7年契約が終了した後も、別の漫画家の手によって「ムーミン」は描かれ続けることになる。

姉から弟へ

 トーベは漫画の連載を、弟のラルスに引き継いでもらいたいと考えていた。彼は漫画の執筆当初から台詞の翻訳を手掛け、数年後には粗筋づくりにも協力するようになった、トーベにとって最も信頼できる存在だった。しかし、画家である姉とは違い、ラルスにプロとして絵を描いた経験はない。これまでトーベが行ってきた漫画制作を、すべてラルスが引き継がなければならないのだ。
 悩む姉弟を後押ししたのは、母シグネだった。彼女は「ムーミンは家族の内に残すべき」という考えを持っていた。
 シグネの一声、そしてラルス自身の才能と努力により、「ムーミン」の針路が決定した。ラルスが制作した原稿に、ロンドンのAN社は納得した。トーベの後継者として、連載漫画「ムーミン」の新たな執筆者として、ラルスが正式に認められた

苦役との離婚

 1959年に、トーベが手掛けた最後の漫画「イチジク茂みのへっぽこ博士」が掲載された。この物語の終盤、とある薬を飲んだムーミントロールはみるみる体が縮んでいき、最終的には完全に姿を消してしまう。最後の場面でスノークのおじょうさんが、ムーミントロールのいた場所に治療薬を注ぐ。ムーミントロールの復活を願いながら。

 1959年、漫画の最後の原稿を書き終えた際、トーベは後半生のパートナーであるトゥーリッキ(トーティ)や家族と共に、7年続いた「歯痛」からの解放を、ワインで祝福した。

 そして1960年、文字通りの 「新生ムーミン」が掲載される。

初のラルスコミックス「ムーミンと魔法のランプ((英) Moomin's Lamp

 それから約15年もの間――トーベによる小説シリーズが完結した後も――ラルスはムーミン・コミックスを描き続けた。ムーミンの世界における彼の功績は計り知れない。もう1人の「原作者」と呼ぶに相応わしいと言えるのではないか。

 一方、トーベが連載漫画のために再び筆を執る日は、二度と来なかった。



ムーミン・コミックスがもたらしたもの

冬の世界

 1957年の「ムーミン谷の冬」は、それまでのムーミン小説とは一線を画する革新的な一作と言える。この作品では、家族や仲間との心躍る夏の冒険譚に区切りをつけ、未知の世界である「冬」に放り出されるムーミントロールが描かれている。

 冬眠から1人目醒めてしまったムーミントロール。見知らぬ光景に、見知らぬいきものたち。頼みの綱であるママは、何度声をかけても目を醒さない。唯一の顔馴染みと言えるミイは冬を謳歌し、ムーミントロールの夏の話には耳も貸さない。
 ひとりぼっちのムーミントロールは、不安と恐怖と怒りを抱きながら初めての冬を経験する。生命の死に触れ、はるか昔の祖先と向き合い、価値観の異なるいきものと交流し、やがては嫌悪していた冬を受け入れるようになる。「ムーミン谷の冬」では、シリーズではじめて、ムーミントロールの精神的成長が明確に描かれる。

 この作風の変化は偶然ではない。作者が意図的に、これまでとは違う物語として書いたものだ。トーベがトゥーティに宛てた手紙には、「まったく新しい物を描きたい」「今までのムーミンテイストは抑えた」といった、これまでとは違うものを描き(書き)たいという意欲が綴られている。
 一方で新聞社から、クリスマスのための「子ども向きの物語」を要求されたときは辟易した。当時の彼女の苛立ちが反映されたかのように、この1956年の短編「もみの木」では、クリスマスの準備に駆けずり回る住民たちの姿が描かれている。
(※1956年版「もみの木」については、下記の記事をご参照ください)

 こういった作者の心境に、連載漫画の仕事が影響を与えていたことは、想像に難くない。連載漫画では常に、肩の凝らない気楽なコメディが求められていた。小説シリーズの前期によく見られた軽妙さや冒険ドラマに、ギャグのエッセンスを加えたものが連載漫画だった。トーベは常に締切やネタ探しに悩まされながら「楽しくて明るいドタバタ」話を書かされていた。
 新聞連載やムーミンビジネスの拡大により、ストレスが蓄積されていたタイミングだったからこそ、トーベはまったく違うものを書(描)きたいと願い、初めての冬に苛立ち葛藤するムーミントロールに己の心境を重ねたのだろう。

トーベ・ヤンソンとムーミン

 連載漫画の大ヒットにより、トーベは「ムーミンの作者」として有名になり、数多のムーミンビジネスに関わることとなった。画家としての時間は奪われていき、次第にムーミンに憎しみを抱くようになっていった。
 連載漫画から解放された後も、ムーミンの作者としての世評と仕事は彼女を悩ませ続けた。もうムーミンを終わりにしたいという気持ちが強くなる一方で、彼女はムーミンの物語で自己を表現していた。

 連載漫画、そしてそれに伴うムーミン人気を経て、ムーミンの物語は変容を遂げていく。「ムーミン谷の冬」では、それまで描かれていた「危機を乗り越える仲間たちの冒険譚」という構図から脱却し、たった1人冬眠から目覚めてしまったムーミントロールの受難や心理的成長、いきものの死といった、シビアな展開が描かれる。
 その後の三作でも登場人物たちは、個人が抱える悩み、アイデンティティの喪失、家族の絆の危機、老いや死といった現実的な問題に直面する。特に最後の二作は、作者が明確に大人の読者を想定して執筆したことを認めている。

 1970年の「ムーミン谷の十一月」で、トーベは一旦ムーミンの物語に幕を閉じた。ここで描かれるムーミン谷は、かつての花が咲き乱れ小さないきものたちが集まる夏の庭ではなく、ムーミン一家不在の、住むものの居ない打ち捨てられた場所だった。幸せな少女時代に別れを告げるかのような幕引きは、「ムーミン」に対する作者の思いの変化を感じさせる

「あんな能天気なおめでたいやつの話なんて、もう二度と書けるわけはない。お互い許し合っているようで、実は騙し合っているだけだっていうことをちっともわかっていないのだ」
(1961年のトーベのノートの記述)

トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉
フィルムアート社(2021)
p. 404より引用

――トーベ本人の談や「ムーミン谷の十一月」の描写を見ると、ともするとシリーズ前期の幸せなムーミン谷はまやかしだったのではないか?と考えてしまう。
 しかし、いつだってトーベは、ムーミンの物語に己の想いを投影していた。少女時代の幸せな思い出も、戦争からの一種の現実逃避も、生きることの不安も、誰かに強要されたからではなく、「書きたい」から書いたものだ
 ムーミンビジネスが肥大化し、名声と引き換えに自由を奪われたトーベは、ムーミンに憎しみを抱くこともあった。それでも、シリーズが完結した後も、彼女は晩年までムーミンに関わり続けた。画家として、イラストレーターとして、脚本家として、作詞家として、監修者として――。
 それは必ずしも本人が望んだ形ではなかったかもしれない。しかし、愛がなければ成し遂げられなかったはずだ。

 シリーズ完結の数年後に描かれた絵本「ムーミン谷へのふしぎな旅」は、初期のムーミンシリーズを彷彿とさせる。世界の危機、懐かしの面々、賑やかなムーミン谷。トーベはこの絵本を、楽しみながら描いたという。
 また、トーティら友人たちと共に制作した2.5m超えのムーミン屋敷。こちらは「趣味」として3年間制作に掛かり、後に写真絵本「ムーミンやしきはひみつのにおい」として自ら物語を添えた。そこには、ムーミン・コミックス出身のスティンキーが、キーパーソンとして登場する。傍では、トゥーティがムーミンキャラクターの人形を作り続けた(トーベ自身が表情の仕上げをしたものある)。

 必要に迫られて、無理強いされて何かを生み出すことは苦しい。連載漫画や押し寄せるムーミンビジネスがその例だろう。しかし、彼女は自らの意思でムーミンの物語を紡いだ。そこには愛憎入り乱れた複雑な感情も、苦しみもあっただろう。それでもムーミンは彼女の一部であり、かけがえのない存在だったはずだ。

ムーミングッズについて考える

 1990年に販売され、今日まで愛され続けている、ARABIA社のムーミンマグ(厳密には1950年代に、最も古いARABIAムーミン食器が登場している)。長年ムーミンマグのデザインを手掛けていたトーベ・スロッテは、トーベ・ヤンソンに直接、最初の製品のプレゼンテーションを行い、承認を得た。当時からムーミンマグのデザインには、コミックスの場面が多く引用されている。

 トーベ・ヤンソンを悩ませ、苦しめた新聞連載。締切に追われながらアイデアを絞り出し続けた日々。
 しかしトーベは、クルーヴハルの別荘において、トゥーティと共にARABIAのムーミンマグを使用していたという。苦い思い出が詰まっているであろうコミックスのイラストを使用した、ムーミンマグを。

 トーベは新聞連載の経験について、このようにも述べている。
「後悔はありませんし、連載漫画が私に与えてくれた経験には感謝しています――諸刃の剣と言えるものではありますが」

 現在、あちらこちらで見かけるムーミングッズには、コミックスの場面が数多く使われている。コミカルで可愛らしいコミックスのイラストは、ムーミンを詳しく知らない人をも惹きつける魅力がある。
 しかし、それらムーミングッズが生み出された背景には、1人の人間の大いなる葛藤があった。

最後に

 ここからは、筆者のちょっとした願望。
 ここまでこのnoteを読んでくださった皆さんへ。今後店頭でムーミングッズを目にすることがありましたら、表面的な可愛らしさ・デザイン性だけに注目せず、そのイラストの原典である物語を思い返したり、物語の制作背景に思いを馳せてみてください。きっとこれまでとは違った視点で、ムーミングッズを捉えることができるでしょう。
 皆さんのお考えも、是非拝読したいです。


参考文献:

  • 冨原眞弓. ムーミンのふたつの顔. 筑摩書房, 2011, 240p.

  • トーベ・ヤンソン, ラルス・ヤンソン. ムーミン・コミックス 第14巻 ひとりぼっちのムーミン. 冨原眞弓. 筑摩書房, 2001, 96p.

  • トーベ・ヤンソン, ラルス・ヤンソン. 英語対訳 ムーミン・コミックス. 冨原眞弓, 安達 まみ. 筑摩書房, 2020, 208p.

  • ボエル・ヴェスティン. トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉. 畑中麻紀 森下圭子訳. フィルムアート社, 2021, 656p.

  • ポール・グラヴェット. ムーミンとトーベ・ヤンソン 自由を愛した芸術家、その仕事と人生. 森下圭子, 安江幸子. 河出書房新社, 2022, 112p.

  • Christina Björk. Tove Jansson- mycket mera än Mumin. Bilda förlag, 2003, 208p.

いいなと思ったら応援しよう!