【ショートショート】寒い薄暗い部屋で
「早く出でおいて。狭い、暗い場所にいつまでもいないでさ。」
上空から差し込む明かりに、私は、白い布団の上でムズムズと体を動かした。
(ああ、朝日が眩しい。)
友の声には、素直になれず、私は、再び、白い布団のはるか下の方に潜り込んだ。
身体が重いし節々が痛い、そして、まだ頭がはっきりとしない。
眼の前が、全体的に黒い靄がかかったような印象に、身体はまだ外へ出るのは無理だと、激しい拒絶を表していた。
「おーい、聞こえてる?早くしないと、1人だけ、このまま取り残されちゃうぞ。」
友の声の通り、近頃は、この季節にしては、珍しく生温い空気が漂っていた。
1枚の白い壁を隔てた向こう側からは、春の若葉や桜の木の蕾んでいく知らせが風に乗って飛んでくる。天井の氷が溶けていく雪解けの合図まで聞こえている。
ふと、思う。
ここが、空気の美味しい渓流の脇の田舎の広大な自然だったら、どんなに気持ちいいことだろうかと。あの雪解けに交じる、上流から勢いよく流れる透明な流水の音に、疲れ切った心が洗われるのだろうか。自然の叡智と峻厳な生業に小人はひれ伏す。
だがここは、都会の団地のど真ん中だった。
『ピッピッ、』
団地脇の木の上に止まる小鳥たちの囀る声だった。
「もう春なのに……」
未だ私は、見渡す限り、薄っすらと黒い幕がかかったような団地の景色の中にいた。
私は、全ての感覚を遮断するごとく両耳を塞ぎ、布団の奥深くで、くぐもった声を出す。
「分かっているよ。でも、今日はムリ。ごめん。」
「え〜、わざわざここまで来たのに……」
「……体調が悪くて、まだ、ムリだから……」
「いま、動かないと、もっと辛くなるよ、意外と外に出てみると、気にならなくなるよ。」
──そんなことは、分かっている。でも、今はまだムリなんだ!
春は最高だ。暖かい光に、春一番とともに土埃が風に舞い上がる。一年のうちで、一番好きな季節。
もし私が小鳥だったら、一番良い声で歌うのだろう。
お尻に火がついたように、陽気な友たちは、内から外側へと這い出す。
期待胸が膨らむ季節に、私は、何を思うだろうか。
──ああ、朝日が眩しい。辛いほどに。
ただいまの気温は、13度。寒く辛い冬の時期を必死に耐えた友たちは、今やっと報われるときが来たのだ。
太陽が空の上。その中心に差し掛かる。
14度。
──身体が、段々ぽかぼか暖かくなってきた。もうそろそろかな。
奥深くで大きく伸びをする。外へと一歩這い出す準備でもしてみるか。まだ、早い気もしていたが、このポカポカ陽気に、理性を奪われ、身体がどうしようもなく脊髄反射を起こしていた。
這い出た時には、多くのモノは気づかなかったと思う。
私たちは、すっかり騙されていたのだ。
それなのに、太陽に急かされる。
時折、鼻腔をそれが掠めた。
明日からは、寒気がやってくる。
そして、すべてを無慈悲なほど白い世界に揺り戻す、寒の戻り『彼岸じゃらく』が待っていた。
三月五日
啓蟄には、北の大地は、まだ早すぎたのだ。
了
啓蟄とは
二十四節気の第3番目で、「冬ごもりをしていた虫が、春の暖かさを感じて穴から出てくる時期」という意味があります。
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