消えかけたチョークの伝言
第4話:『没入するアート空間、魔法の道路白線』
トキの退院を翌日に控えた、青森市民病院の最後の夜。
病室のベッドの上で、トキが紡いできた白い格子模様の編み物は、もうすぐ一枚の美しいマフラーになろうとしていた。
「おばあちゃん、これ見て! この前、駿と東京の豊洲にある『チームラボ』に行った時の写真!」
澪がスマートフォンの画面をトキに見せると、そこには色とりどりのデジタルな光が無限に広がる、幻想的な暗闇が映し出されていた。
「完全にコントロールされた暗闇の中に、光と鏡と音楽が溢れていて、まるで別世界に没入(イマーシブ)しちゃうような最先端のアート空間なんだよ」
隣に座る駿も、楽しそうに身を乗り出して頷く。
「そうそう。床が全面鏡張りでさ。光の彫刻の中にぽっかり浮いているみたいんだ。段差もないし、空調も完璧で、絶対に転ばない安全で最高にチルな場所なんだよね」
トキは二人の楽しそうな顔を見つめ、クスクスと悪戯っぽく笑った。
「まあ、今の若い人は、転ばない安全な光の中で遊ぶのねえ。おばあちゃんたちの若い頃の『最先端の魔法の光』はね、もっと冷たくて、よく滑って、だけど本当にきらきらしていたのよ」
「魔法の光……? 昭和三十年代に、そんなのが青森にあったんですか?」
澪が不思議そうに目を丸くすると、トキは編みかけの白いマフラーに愛おしそうに指先を滑らせた。
「ええ。昭和三十五年の冬、青森駅前の道路に初めて引かれたのよ。真っ黒なアスファルトの上に、真っ白な、ピカピカに輝く『道路の白い線』がね」
「あ、道路の白線! おばあちゃんが編んでるこの格子模様って……」
澪がハッと気づくと、トキは嬉しそうに何度も頷いた。
「そう。あの白線にはね、夜に車のライトが当たると反射して光るように、細かなガラスの粒が混ぜられていたの。夜の暗闇の中で、その線がまるで未来へ続く滑走路みたいにピカピカと輝いて見えて……当時の私たちにとっては、これ以上ない近代化の魔法の光だったのよ。茂さんはね、『この新しい白い線をたどって、合浦公園のスケートリンクに行こう』って、私を誘ってくれたの」
トキの瞳の奥に、昭和三十五年のきらめく雪夜の合浦公園が、鮮やかな原色となって立ち上がってくる。
「夜の合浦公園の天然スケートリンクはね、今のチームラボみたいに平らで安全な場所じゃないのよ。氷はデコボコで、吹雪が容赦なく吹きつけて、風が冷たくて、油断するとすぐにすっ転んでしまうような、スリリングな場所だったわ」
「ええっ、吹雪の中でスケート!? それ、めちゃくちゃ過酷じゃん!」
駿が驚いて声を上げると、トキは「そうなのよ」と、本当に楽しそうに声をたてて笑った。
「私はスケートなんてからきし駄目だったから、何度も滑って転びそうになったの。でもね、そのたびに茂さんが、厚いウールの手袋越しに私の手をぎゅっと力強く引っ張って、支えてくれたのよ」
トキはそっと、自分の手を胸に当てた。
お互いに転ばないように必死で支えあい、厚い手袋越しに伝わる体温。それこそが、二人の関係を本物にする、確かな思いやりでした。
「帰り道、凍えそうになりながら、私たちはヘッドライトに照らされてきらきら輝く『白い魔法の線』を、手を繋いで踏みしめながら帰ったの。あの輝く線が、私たちの未来をどこまでも真っ直ぐに導いてくれるような気がしてねえ……」
病室に、静かな余韻が広がる。
澪と駿は、自分たちのなめらかなスマートフォンを見つめた。
完全にコントロールされて「絶対に転ばない安全な空間」は快適だけれど、不器用に滑りながら、お互いの手を必死に引いて支え合う、あの痛いほどに強く握りしめ合う手のひらの強さの中にこそ、相手を想う本物の体温が宿っているのだと、二人の心に静かに染み込んでいく。
「……ねえ、駿」
「うん。今度の冬、寒くなったら、三人で合浦公園にスケートに行こうよ。おばあちゃん、コーチしてね!」
「あら、嬉しいねえ。でも、おばあちゃんが今転んだら本当に骨折して、またこの市民病院に逆戻りしちゃうわよ!」
「あはは! それは困る! じゃあ、僕たちが両側から絶対に転ばないように、おばあちゃんをぎゅっと支えるからさ!」
病室の中に、三人の明るい笑い声が、温かく、いつまでも響き渡っていた。
📖第5話:https://note.com/juicy_laelia8513/n/ne851e74d96ac
📖第3話:https://note.com/juicy_laelia8513/n/n226b93aaa429
🌐英語版:https://note.com/ttukumoo/n/nc28804afe292?app_launch=false
最後まで読んでいただき、ありがとうございます💗
