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消えかけたチョークの伝言、

第3話:『24時間の位置情報、消えかけたチョークの伝言』


ザーザーと、窓の外で激しい雨が青森市民病院のガラスを叩いている。

「外、すごい土砂降りになってきたね」

澪がスマートフォンの位置情報画面を見ながら言うと、駿がベッドの横の丸椅子で小さく笑った。

「ベースにこのアプリがあって良かったよ。澪のGPSが市民病院にピタッと止まってるのが見えたから、僕もゼミが終わって雨宿りしながら、一歩も迷わずに合流できたしね」

「本当に。これがあれば、お互い『今どこ?』って連絡する手間も省けるし、一秒もすれ違わないで会えるから超快適だよねえ」

二人が笑い合っていると、ベッドの上で器用に手を動かしていたトキが、ふっと編み針を止め、悪戯っぽく目を細めた。

「どこにいるかいつでも丸見えなんて、ちょっと退屈じゃない?」

「えっ、退屈? すれ違わないし、楽じゃん」と駿が不思議そうに聞き返す。

「ふふ、私たちの頃はねえ、雨が降ったらもう大パニックだったのよ。すれ違ったら最後、二度と会えないかもしれない『不便さ』の中で、お互いを必死に想いながら恋をしていたの」

トキは、一目ずつ編み上げていく白い格子模様の毛糸に視線を落とし、昭和三十五年の秋の思い出を語り始めた。

「あれは昭和三十五年の激しい夕立の日だったかねえ。茂さんと青森駅前で待ち合わせをしていたんだけど、彼の乗った列車が遅れてしまってね。携帯電話なんてない時代でしょう? 待ち合わせに遅れたら、もう会えないかもしれないのよ」

トキの語る情景に、澪と駿は引き込まれるように静かに耳を傾けた。

「いつまでも来ない茂さんを心配しながら、私は駅の改札横にあった黒板――伝言板にね、白いチョークで『先に行っています。喫茶マロニエにて。トキ』って書き残したの。でもね、バケツをひっくり返したような大雨が、半屋外の黒板を濡らして、チョークの文字を半分にじませて消しちゃったのよ」

「えっ、じゃあじいちゃん、読めなかったの?」

駿が驚いて声を上げると、トキは「そうなのよ」と、どこか愛おしそうに目を細めた。

「遅れて到着した茂さんは、消えかけた文字を必死に解読して、傘もささずに、ずぶ濡れになりながら駅周辺や新町通りを必死の形相で探し回ったらしいの。私はね、約束通り駅前の『喫茶マロニエ』の窓辺の席で待っていたのよ。ガラスに打ちつける激しい雨の外を見つめていたら、ずぶ濡れになりながら、必死に私を探し回っている茂さんの姿が目に入ったの」

病室の窓の外の雨音に、昭和三十五年の「喫茶マロニエ」を包んでいた激しい夕立の音が重なる。

「雨に濡れて、髪を張り付かせながら、迷子のように私を探すあの人の姿を見たら、胸がぎゅっと締め付けられて……。私はたまらず、喫茶店を飛び出して雨の中へ走っていったわ」

澪は息を呑んで、トキの次の言葉を待った。

「茂さんは、雨の煙る街角で、焦った顔をして辺りを見回していたの。私はその広い背中へ、後ろからだまって、ぎゅっと抱き着いたのよ」

「だまって、後ろから……」と、澪がうっとりとした声を漏らす。

「ええ。驚いて振り返った茂さんは、私の顔を見るなり、何も言わずに私を強く、痛いほど抱きしめ返してくれたわ。あのとき、ずぶ濡れの茂さんの胸の中で感じた、お互いの心臓の音と、驚くほど熱い体温。それは、スマートフォンのなめらかな画面からは、絶対に伝わらない本物の tegotae(手応え)だったのよ」

窓の外の雨音は、いつの間にか優しく病室を包むメロディのように響いていた。

駿と澪はだまって顔を見合わせ、お互いのスマートフォンの位置情報画面をそっと閉じた。

相手が見つからない不便な時間にこそ、どれほど必死に相手を想っていたか。

便利さによって奪われていた「相手を想うアナログの余熱」を愛おしむように、二人はだまって、ベッドの下でそっとお互いの手を握りしめ合った。


📖第4話:https://note.com/juicy_laelia8513/n/nc9621330f6aa
📖第2話:https://note.com/juicy_laelia8513/n/n514f98d8f32d
🌐英語版:https://note.com/ttukumoo/n/nfbd8cf90c8ad?app_launch=false

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