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六道の辻の犬釘

第4話『第三の対話:すべてを失った朝、そして下された審判』

【第四話のあらすじ】 おばあちゃんの口から語られる、因果応報の結末。 昭和34年(1959年)、刑事たちの脅迫に屈し、お寺に送った供養の品を白状してしまったハルと源蔵。 神仏をも恐れぬ刑事たちは、お寺から力ずくで犬釘を強奪します。しかし、それは決定的なタブーの完成を意味していました。 嵐の夜、彼らを待ち受けていたのは、死者たちの怨念が形となった「幻の列車」による凄まじい審判でした。 すべてを失い、己の弱さに泣き崩れる源蔵に、ハルがかけた言葉とは――。


「……そんなん、おじいちゃんを責められるわけないやん」

千尋の目から、大粒の涙がこぼれ落ち、シーツに吸い込まれていった。 鼻をすすりながら、千尋はハルのしわがれた手を両手でぎゅっと包み込む。

「大好きな人の頭にピストルを突きつけられて、それでも黙っていられる人なんていないよ。おじいちゃんは、おばあちゃんを守りたかっただけ。それは弱さなんかじゃない、絶対に愛だよ」

ハルは、千尋の涙を愛おしそうに見つめ、かすかに目を細めた。 その表情には、孫の優しさへの感謝と、それ以上に深い、静かな諦念が入り混じっていた。

「ありがとう、千尋。あんたがそう言ってくれて、おじいちゃんも浮かばれるわ。……でもな、千尋。動機がどれだけ愛であってもな、あのときの私たちは確かに、自分たちの命が惜しくて、お寺への供養という『最後の良心』を裏切って、他者を巻き込んでしもたんや」

ハルは、天井の灯りをじっと見つめた。

「あの白状によって、お寺の静寂は破られ、国家の不条理が神聖な場所を汚した。そしてな、それと引き換えに、恐ろしい因果(カルマ)の最後の歯車が、ゴトゴトと回りだしたんよ……」

* * *

昭和三十四年、激しい嵐の夜。

京都の片隅に佇む、古いお寺。 そこは、あの世への入り口である「六道の辻」からほど近く、行き場を失った霊たちを弔うための静かな祈りの場所だった。

住職が本堂で静かに読経を捧げていると、突如、激しい音を立てて木製の扉が押し開けられた。 吹き込む雨風と共に土足で踏み込んできたのは、びしょ濡れのトレンチコートを着た、冷酷な眼光の私服刑事たちだった。

「おい、ここに東北から送られてきた不審な小包があるはずだ。出せ」

刑事のリーダー格が、懐から警察の身分証を突きつける。 住職は、眉一つ動かさずに、本堂の奥にある小さな祭壇を背にして静かに首を振った。

「あれは、松川の事故で亡くなった方々の無念を、神仏の慈悲によって安らかに弔うための供養物でございます。人の手で強引に触れてはなりませぬ。これ以上、死者の尊厳を汚すのはおやめなされ」

「うるさい。これは国家の安全を揺るがす重大な物証だ。隠すなら公務執行妨害で寺ごと引き潰すぞ」

刑事たちは住職を荒々しく突き飛ばし、本堂の奥へと押し入った。 そして、祭壇に安置されていた、まだ新聞紙に包まれたままの「犬釘とボルト」をむしり取るようにして奪い去った。

「ふん、ただの錆びた鉄くずじゃないか。これで真相を闇に葬れる」

刑事のリーダーは、不敵な笑みを浮かべて包みをトランクへ放り込んだ。 だが、彼らは気づいていなかった。

神仏を冒涜し、他者への供養を力ずくで妨げ、自らの意志で呪物を奪い取ったその瞬間――。 「持つ者に憑く」という無慈悲な呪いの牙が、完全にハルと源蔵から離れ、刑事たちの首元へと深く突き刺さったことを。

* * *

闇夜を切り裂くように、刑事たちを乗せた黒いセダンが、雨の京都の街を疾走していた。

「思ったより簡単に回収できたな。これで上の連中も満足するだろう」

助手席の刑事が煙草に火をつけようとした、そのときだった。

――ジー……ジー……。

カーラジオから、突如として激しい雑音が流れ始めた。 それと同時に、密閉された車内の中に、にわかに「焦げた肉の異臭」と、息が詰まるほどの「石炭の煤煙」が漂い始める。

「おい、なんだこの臭いは……? エアコンの故障か?」

「いや、違う……。なんだか、車がやけに揺れないか?」

ガタゴト、ガタゴト、ガタゴト……。

アスファルトの道路を走っているはずなのに、車体の底から、鉄輪がレールを激しく軋ませるような、凄まじい振動が伝わってきた。

「おい、前を見ろ!」

運転席の刑事が悲鳴のような声を上げた。 前方の闇の中に、いつの間にか、遮断機が上がったままの静かな踏切が現れていた。 だが、その線路は、あるはずのない場所に不気味に敷かれていた。

ゴオオオオオオオオ――!!!

激しい蒸気音と、鼓膜を破らんばかりの警笛。 車のヘッドライトの向こうから、漆黒の巨大な蒸気機関車が、ヘッドライトを血のように真っ赤に光らせながら、怒涛の勢いで突っ込んできた。

「嘘だろ、こんな場所に列車が走るわけが――!」

刑事は狂ったようにブレーキを踏み、ハンドルを切った。 しかし、ハンドルは凍りついたようにびくとも動かない。 フロントガラスの向こう、運転席に座る幽霊機関士たちの、額から血を流した凄まじい怒りの形相が、はっきりと刑事たちの目に焼き付いた。

『し・ん・じ・つ・を・闇・に・葬・る・者・に・災・い・あ・れ――』

ドガアアアアン!!!

凄まじい衝撃音と共に、黒いセダンは、幻の列車に真っ正面から衝突された。 それはまるで、目に見えない巨大な鉄の槌に押し潰されたかのように、一瞬にして鉄くずへと変形し、激しい火花を散らして大破した。

刑事たちは、自分たちが闇に葬ろうとした「真実の重さ」に、肉体ごと押し潰されたのだった。

* * *

翌朝。 昨晩の嵐が嘘のように、京都の空には澄み渡るような秋晴れが広がっていた。

道具屋の古いラジオから、静かな臨時ニュースが流れる。

『昨夜未明、京都市内の踏切近くで、乗用車が制御を失い、大破しているのが発見されました。乗車していた男性数名は全員、現場で死亡が確認されました。警察は自損事故とみて、原因を調査中ですが……』

ラジオの音を聞きながら、源蔵は帳場の冷たい板の間に崩れ落ち、膝を抱えて声を上げて泣いていた。

「ハル……、俺は弱虫や。お前を銃で脅されたからって、お寺さんを巻き込んで、おじいちゃんたちが守ろうとした真実を、権力に渡してしもた……。俺が、あの人たちを死なせてしもたんや……!」

源蔵の肩は、激しい後悔と罪悪感で、子供のように小さく震えていた。

ハルは、そんな源蔵の背後にそっと歩み寄り、その華奢な背中を後ろからきゅっと抱きしめた。 ハルの目からも涙がこぼれ、源蔵の濡れた首筋へと落ちていく。

「あんた、泣かんとき。あんたは、うちの命を救ってくれた。私にとっては、あんたが世界で一番のヒーローや」

「でも、俺は逃げたんやぞ! 正義を踏みにじって、白状したんや!」

「ええよ。逃げたって、弱くたって、生きていればそれでええ。……神様や仏様は、私たちの弱さをきっと知ってはる。完璧な人間なんておらへん。私たちは傷だらけのまま、この店で、二人で生きていこう。お互いの弱さを、半分ずつ背負ってな」

朝日の差し込む道具屋の中で、二人はいつまでも抱き合い、お互いの温もりを確かめ合っていた。

お寺から強奪されたはずの「犬釘」は、刑事たちの事故現場のどこを探しても、二度と見つかることはなかったという。 けれど、あの日以来、道具屋を揺らしていた深夜の列車の地鳴りは、嘘のように完全に消え去った。

(エピローグへ続く)

📖 エピローグ:https://note.com/juicy_laelia8513/n/n29213c69f796               
📖第3話:https://note.com/juicy_laelia8513/n/n0769c5e82ba3                              
🌐 英語版:https://note.com/ttukumoo/n/nacb13eb5ef54                                          

最後までお読みいただき、ありがとうございます。💗



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