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言葉の発達の裏にあった“指差し”という土台に気づくまで

ーー言葉は出ていたのに、どこか引っかかっていたーー

1歳半の頃、子どもは単語をいくつか話していました。
「言葉は出ている」という事実だけを見れば、特に問題がないようにも思えます。

それでもどこかで、説明しきれない違和感がありました。

関わり方や遊び方、興味の持ち方。
小さなズレのようなものが、少しずつ積み重なっていたように思います。


■OTで言われた「興味の狭さ」という言葉

その中で印象に残っているのが、OTでの「興味の範囲が狭い」という指摘でした。

当時は正直、ピンと来ていなかった部分もあります。
でも今振り返ると、この言葉はかなり本質をついていたのかもしれません。

  • 自分の興味の中で完結しやすい

  • 他者と同じものを共有する経験が少ない

  • 視線や注意のやりとりが広がりにくい

そうした“外とのつながり方”の部分に、まだ育ちきっていない要素があったのだなと・・・。


■指差しと「言葉が増え始めた理由」

もう一つ、後にはっきり見えてきたのが「指の分化」のことです。

指差しというのは、ただ指を出す動作ではなく、
1本の指を独立して動かし、それに“意味”を乗せるかなり複合的なスキルです。

実際、指差しができるようになってからは、単語も少しずつ増えていきました。

それはたぶん、

「要求や興味を相手に伝える手段ができたこと」

が大きかったのだと思います。

言葉そのものが増えたというより、
“伝わるツールが増えたことで、やりとりが成立しやすくなった”
そんな感覚に近いです。

■でも、成長は一気に変わるものではなかった

ただ、そこで感じたのは「できるようになった=すぐ次に進む」ではないということでした。

例えば、指差しができるようになったあとも、
指の使い方そのものがすぐに器用になるわけではありませんでした。

象徴的だったのが「ピースサイン」です。

一般的には2歳頃でできる子もいる中で、
うちの子ができるようになったのは4歳頃でした。

それくらい、指の分化や細かい動きの発達は、
“少しずつ積み上がっていくものなんだ”と後から感じました。

■クレーン現象の見え方が変わった

当時見られていたクレーン現象も、のちに少し違う見え方になりました。

以前は「指差しの代わりの行動」というより、
どちらかというと“困った行動”として捉えていました。

でも、

○ 伝えたい気持ちはある
○ でも適切な手段(指差しなど)がまだ育っていない

その結果としての“代替手段”だったのかもしれない、と思うようになりました。


■バラバラだった出来事が一本につながった瞬間

こうして振り返ってみると、

  • 単語は出ていたこと

  • 興味の範囲が狭かったこと

  • 指の分化がまだ弱かったこと

  • クレーン現象が見られていたこと

これらは別々の問題ではなく、
「コミュニケーションの土台の発達」という一本の流れの中にあったのかもしれません。


■「なんでできないの?」と必死だったあの頃

当時は正直、「なんでできないんだろう」という気持ちでいっぱいでした。
私がしっかりしなくちゃ、ちゃんと教えなくちゃ、とがむしゃらだったと思います。

目の前の「できないこと」ばかりが気になってしまって、
うまくいかないたびに、焦りや不安が積み重なっていきました。

■でも振り返ると見えてくる“ゆっくりの成長

ただ、こうして時間が経って振り返ってみると、
確かに成長はしていたのだと思います。

すぐに変わるようなものではないけれど、
少しずつ、ゆっくりと積み重なっていた。

指差しができるようになったことも、
ピースができるようになったことも、
その延長線上にあった変化だったのかもしれません。

■サポートしなくちゃ伸びなかった部分もあった

そしてもう一つ感じるのは、
すべてが自然に育つわけではなかったということです。

関わり方や環境の中で、
サポートがあったからこそ伸びていった部分も、正直あったと思います。

だからこそ当時の自分は、
間違っていなかったし、必死になるしかなかったんだとも思います。

■しんどかった思い出が、少しだけ違って見えるようになった

あの頃の記憶は、今でも決して楽なものではありません。
しんどかった気持ちは、ちゃんと残っています。

でも今はその出来事が、
ただの「できなかった時間」ではなくて、

「ゆっくりだけど確かに積み重なっていた時間」
だったのかもしれない、と少しずつ思えるようになってきました。


■今同じように悩んでいる人へ

今、同じように「なんでできないんだろう」と悩んでいる方へ。

私もずっとそうでした。
目の前の“できない”ばかりに目がいってしまって、焦って、必死で、余裕なんてほとんどなかったと思います。

でも今振り返ると、子どもは止まっていたわけではなくて、
ゆっくりでもちゃんと、その子なりのペースで積み重ねていきました。

すぐに結果が見えないと、不安になります。
周りと比べてしまうと、なおさら苦しくなります。

それでも、あの時の関わりや試行錯誤は、無駄ではなかったと今は思えます。
むしろ、その時にできることをしていたからこそ、今につながっている部分もあると信じています。

ー私の敬愛する祖母の言葉ー
努力したら思い悩むより、なるようにしかならない。

だからもし今、同じようにしんどさの中にいるなら、
「今見えているものだけが全てではないのかもしれない」と、ほんの少しでも思って欲しいなと思います。

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