前橋の屋上でポテトが揚がらなくなった日——ニチレイ11日復旧が始まったもの
ケンタッキーのメニューが減った。スーパーの冷凍ケースに穴が空いた。給食の春巻きがなくなった。
2026年7月、日本中の食卓で同じことが起きた。
発端は、一社のサーバーだった。
そして、前橋の屋上でも。
私が店長を務める満天ビアガーデンは、フライドポテトを1日に10〜30キロ使う。あの騒動のさなか、いつもの品が入らなくなった。仕入れ先の説明は明快だった。ニチレイのシステム障害で、通常扱っている商品が入荷しない、と。
代替品をかき集めて、ぎりぎりで回した。
東京のサーバーが止まった。その数日後、前橋の屋上でポテトが揚がらなくなる。
冷凍のジャガイモ一袋で、そこは地続きだった。
■ 7月13日、午前6時50分
株式会社ニチレイが自社グループのシステム障害を検知した時刻である。
同社はその日のうちに緊急対策本部を設置。被害拡大を防ぐため、グループで使用するシステムを遮断した。7月15日には、調査の結果サーバーがサイバー攻撃を受けたことを確認したと公表しているニチレイ公式発表(第2報)。
止まったのは、ニチレイロジグループ各社が担う冷蔵倉庫の入出庫業務と、ニチレイフーズの冷凍食品出荷業務。
つまり、日本のコールドチェーンの中枢。
影響は一瞬で外へ出た。日本KFCは翌14日、全店舗で品切れ・メニュー制限・営業時間短縮・臨時休業の可能性を発表し、モバイルオーダーとデリバリーを停止ITmedia NEWS。
くら寿司、イオン、ヨークベニマル、井村屋、江崎グリコ、ほっともっと、551蓬莱、日高屋。生協各連合会。そして仙台、札幌、秋田、茨城、新潟の学校給食。
ニチレイロジグループの低温物流を年間に利用する顧客は、約5000社にのぼる。
一社が止まると、五千社が揺れる。
これが2026年の物流である。
■ 11日
7月17日、受発注を一部制限したうえで冷蔵倉庫と食品工場が部分稼働。そして7月24日、全拠点が通常稼働に復帰した時事通信。
発生から11日。時事通信は「10日余りで収束」と書いた。
この数字の異常さは、比較しないと伝わらない。
アサヒグループホールディングス。2025年9月29日にランサムウェア攻撃を受け、受注業務の再開は12月初旬。物流全体の正常化は年をまたいだ。実に約2ヶ月アサヒGHD 再発防止策公表。
アスクル。2025年10月、ニチレイと同じRansomHouseを名乗る集団に狙われ、復旧までおよそ3ヶ月半ITmedia NEWS(アスクル攻撃)。
2ヶ月。3ヶ月半。そして、11日。
桁が違う。
■ 分けたのは「戻せるデータ」だった
日本経済新聞は7月22日、ニチレイがバックアップデータからのシステム復旧に成功したと報じている日本経済新聞。
これが、現時点で確認できる唯一の技術的な勝因である。
ランサムウェア対策の教科書は、いつもここに帰ってくる。攻撃を100%防ぐことはできない。だから、攻撃者に触らせないデータを持っているかが勝負を決める。
ネットワーク上のバックアップは、ネットワーク経由で一緒に暗号化される。これで詰んだ企業は数え切れない。
ニチレイは戻せた。アサヒとアスクルは、戻すのに数ヶ月かかった。
差はそこにある。
ただし、ここから先は誰も知らない。
■ 語られていないことのほうが、多い
ニチレイは第4報に至るまで、攻撃の詳細を一切公開していない。理由は「警察および関係機関と連携しているため」。
つまり、こういうことだ。
侵入経路——非公表。
ランサムウェアだったのか——「調査中」。
バックアップがどう隔離されていたのか——非公表。
復号を試みたのか、最初から再構築を選んだのか——非公表。
被害を受けたサーバーの一部には個人情報が保管されており、ニチレイは個人情報保護委員会へ「漏えいの可能性がある事案」として報告。対象者への個別通知も実施済みである。流出そのものは、現時点で確認されていないニチレイ公式発表(第4報)。
7月21日、「RansomHouse」を名乗るロシア系とされる集団が、ダークウェブ上のリークサイトに犯行声明を掲示した。攻撃実行日は7月13日、ステータスは「暗号化済み」。証拠と称するデータも置かれているITmedia NEWS。
ニチレイは声明の存在を把握しているとしつつ、内容の真偽を認めていない。
ランサムウェア集団は、やってもいない攻撃を自分の手柄として掲げることがある。犯行声明は証拠ではない。
だから、この記事もここで止める。
「ニチレイは優れたセキュリティ設計を持っていた」——そう書きたくなる誘惑はある。だが公表されていない以上、それは物語であって事実ではない。
事実は一つだけ。戻せるデータがあった。
■ 参考:RansomHouseという名前について(ここからは一般論)
ここから先は、ニチレイの事案とは切り離して読んでほしい。犯行声明の真偽は確認されていない。あくまで「RansomHouseと名乗る集団が、これまで何をしてきたか」という一般論である。
RansomHouseは、データを暗号化してお金を要求するランサムウェア攻撃で知られる集団だ。2025年10月のアスクルへの攻撃では、約1.1TBのデータを窃取したとする犯行声明を出しているITmedia NEWS(アスクル攻撃)。
この種のグループが使う定番の手口が、**二重恐喝(ダブルエクストーション)**である。
従来のランサムウェアは、システムを暗号化して人質に取る。「元に戻したければ払え」。これだけなら、バックアップさえあれば無視できる。
そこで攻撃側は、脅しを二段に組み替えた。
暗号化する前に、まずデータを盗み出す。そのうえで「復旧したければ払え」「公開されたくなければ払え」と重ねる。
バックアップから復旧できても、盗まれたデータは戻ってこない。ここが厄介なところだ。技術で勝てるのは前半だけで、後半は法務と広報の戦場になる。
さらに近年は、ダークウェブ上のリークサイトに被害企業名と「証拠」を並べ、期限を切って公開圧力をかける運営が定着している。払わせるのは暗号ではなく、恥と時間である。
だから、こう覚えておけばいい。
バックアップは、被害を「半分」にする道具だ。ゼロにはしない。
■ 現場は「手書き」で耐えていた
システムが再構築されるまでの空白。そこを埋めたのは、ITではなかった。
テレビ朝日の取材に、ニチレイグループの関係者は匿名でこう答えている。
「手書きで管理せざるを得ない」
——これを美談にしてはいけない。
「せざるを得ない」は、称賛の言葉ではない。悲鳴である。
巨大な冷凍倉庫。5000社の取引先。それを電話と紙で捌く。何が優先で、何を後回しにするか、その場で判断し続ける。冷凍品には期限がある。待ってはくれない。
飲食の現場をやっている人間なら分かる。POSが落ちた夜の、あの感覚だ。手書きの伝票、暗算、記憶。回せてしまう。回せてしまうから、経営はその負荷を数えない。
現場のアナログ力とは、要するに人間が身体で払う代償のことである。
BCPの資料に「有事は手作業で対応」と一行書くのは簡単だ。書いた人間は、その一行を実行しない。
ニチレイの11日は、システムの勝利であると同時に、名前の出ない誰かが11日間、紙とペンで支え切った記録でもある。
■ で、明日うちが止まったら
ニチレイの一件は、規模の話に見える。実際は違う。
狙われた理由が「大企業だから」とは限らない。侵入できる穴が空いていたから、そこに入られた。それだけのことかもしれない。
問いは三つ。
一つ。**うちのバックアップは、本番と同じネットワークにぶら下がっていないか。**同じ場所にあるコピーは、コピーではない。
二つ。**システムが全部落ちた日、明日の営業をどう回すか、紙で書けるか。**書けないなら、それはBCPではなく願望である。
三つ。**止まったとき、誰に何分で連絡がつくか。**ニチレイの取引先が翌日には自社サイトで告知を出せたのは、そこが繋がっていたからだ。
11日で戻ったニチレイは、たしかに強かった。
だが本当に問われているのは、ニチレイの強さではない。
あなたの店が、あなたの工場が、あなたの会社が、明日の朝6時50分に全システムを失ったとして——
何日で、お客様のもとに商品を届けられるだろうか。
私はあの夏、代替品のポテトを揚げながら、それを考えていた。
出典
株式会社ニチレイ「当社グループでのシステム障害発生について」第1報〜第4報(2026年7月13日∕15日∕17日∕22日)ニチレイ公式
日本経済新聞「サイバー被害のニチレイ、バックアップで早期再開 システム復旧成功」(2026年7月22日)日本経済新聞
時事通信「ニチレイ、業務全面再開=システム障害から回復」(2026年7月24日)時事通信
ITmedia NEWS「ニチレイへの攻撃、ランサム集団『RansomHouse』が犯行声明」(2026年7月22日)ITmedia NEWS
ITmedia NEWS「ニチレイ、システム障害の業務を順次再開 全面復旧は来週中めど」(2026年7月17日)ITmedia NEWS
テレビ朝日 報道ステーション(2026年7月15日)
piyolog「サイバー攻撃によるニチレイグループのシステム障害についてまとめてみた」piyolog
アサヒグループホールディングス「サイバー攻撃被害の再発防止策とガバナンス体制の強化について」(2026年2月18日)アサヒGHD
※本記事は2026年7月26日時点の公表情報にもとづく。攻撃手法・侵入経路・被害範囲についてニチレイは調査継続中であり、詳細は非公表。
※冒頭の仕入れに関する記述は、私が運営する店舗の仕入れ先からの説明にもとづく。
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