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心が覚えているその場所へ

“グリルチキンベーコン添え“

半世紀近くも経つというのにはっきり覚えている。月に一度、家族の特別な夜に頼んでいたメニューの名前。

シャトーという名のレストランには入口にガラスケースが置かれていて、おいしそうなメニューサンプルが並んでいた。テーブルのセットが終わるまでは入口で待機。母と妹はにこにこしながら椅子に腰掛けている。おすまし顔でガラスケースに近づくと、父がそっとうしろに立った。今日は何にする?と聞く声にちょっと考えるようなふりをしてみせる。

小4の私のちょうど目の高さにあったチキンステーキは、黒い鉄板の上にデーンと乗っかって存在感たっぷりだった。ナイフを入れたらパリッと音がしそうな皮付きのお肉。端っこには骨があって、小さなコック帽のような飾りが付いていた。付け合わせは、にんじんとコーンと緑の野菜。いんげんだったかほうれん草だったか。とにかく、ほかのどんなお皿よりもひときわ目立っていた。

えーとね、これにしようかな、チキン。迷ったふりで答えると父は目を細めて、そうか、と言った。垂れた目尻にシワが寄る。お父さんはどれ?と聞くと、これかな、と指差した白いお皿には渦巻きみたいな断面のお肉が3つだけ乗っていた。まわりには茶色の衣がついていて、絵の具をたらしたみたいにソースがかかっている。ふふふ、と私も笑った。

お父さんもまたいつものあれだ。大好きなチーズがとろっと溶け出しているあれ。でもなんであんなに小さな、お肉をくるくるっと巻いたやつでいいんだろう。私のみたいに大きいのにすればいいのに。

きっとそれは牛肉とチーズを巻いたフライのようなもので、そのレストランでは高価なメニューだったのだと思う。まずはビールとナッツ。そのあとにそのお皿が運ばれてきた。ファミリーレストランも回転寿司もなかったあの頃、月に一度の家族での外食は、父にとっても特別な時間だったのだろう。

ある時、食事中に激しい雷雨に見舞われた。高台のレストランは見晴らしがよく、公園の向こうの空に稲妻が見えた。妹はキャッキャとはしゃいでいたけれど、私は怖くてたまらなかった。店内にはほかにお客さんがいなかったから、なおさらドキドキしてしまったのかもしれない。父にぴったりくっついて雷鳴が止むのを待っていた。

その店では、いつも女性がひとりでフロアを切り盛りしていた。でもその日はキッチンから男性も出てきて、2人で私たちの席まで来てくれた。

「いつもありがとうございます。すごい雨ですね」

両親と話しているのを聞いていたら、2人がご夫婦で、いずれは別の場所に店を構える予定でいることもわかった。えっ、このお店、なくなっちゃうの?心の中では大きな声が出たけれど黙っていた。

ご主人は、おすすめのメニューだと言って、じゃがいもの温かいポタージュを出してくれた。食事は終わりかけていたけれど、舌に当たるじゃがいもの食感とほんの少しの塩気が独特のおいしさで、スプーンで何度もすくって飲んだ。コーンポタージュしか知らなかった私にはちょっぴり大人の味がした。

奥さんは一口大に切ったスイカを深皿に入れて持ってきてくれた。本当ならもうすぐ閉店の時間。雨が上がるのをゆっくり待ってから帰ってくださいね、と言ってもらえたのが嬉しかった。

何度も行ったお店だったのに、覚えているのはその日のそのシーンだけ。程なくしてお店は移転してしまったから、外食は別のお店に変わったはずだけれど記憶に残っていない。白い小さなコック帽を真似て、家で骨付きのチキンに付けてみたことはあったような気がするんだけど。

***

中学1年のとき、家を建て替えた。それまで住んでいたのは中古の平屋。通りから見える白い壁は黒ずんでいてお世辞にも魅力的とは言えない姿だった。家の前を通るランドセルの男子たち。あぁ、また明日からかわれるんだな、と気持ちが沈む。

「なぁ、おまえんちの壁って何色だ?」
「やめなよー、そんなこと言うの」
「そうだよ、家のこととか関係ないじゃん」

仲良しグループの女子たちがいつも言い返してくれたけれど、本当はすごく恥ずかしかった。なんでうちはこんなに古いんだろう。なんでみんなの家みたいに2階建てじゃないんだろう。

6人兄弟だった父が、母と結婚するまで弟たちの学費を家に入れていたと知ったのはずっと大きくなってからだった。父は働きながら夜間大学にも通っていたそうだ。結婚して私と妹が生まれて、今度は家族のためにお金を貯めはじめた。娘たちに習いごとをさせ、月に一度の外食も続けながら家を建て直すのは簡単ではなかったと思う。目処が立つまでの時間を繋いでくれたのが、あの平屋だった。

そしてその平屋には、外見に似合わず素敵なところもあった。
庭とお風呂だ。

木の門を通ってすぐのところにあった松の木は、時々 母方の祖父がやってきて葉を切り揃えていた。ステテコ姿で脚立の上から挨拶をする祖父に、母はやめてと頼んでいたけれど無駄だった。道行く人に大きな声でこんにちはと言い、作業を終えると私に聞いた。どうだこの木、かっこよくなっただろう。頷くと、わっはっはと笑って軽トラックで帰っていった。

もう少し中に入ると右手には小さな池。蛙の卵を見つけたときは驚いたけれど、友達は教科書で見たのと同じだとおもしろがってくれた。もっと奥には子供が2人で向き合って乗れるブランコもあって姉妹で遊んだ。器用だった父は自分だけの大工セットを持っていて、物置きも手作りしていた。逆上がりができなかった私のために鉄棒を作ってくれたのも父だ。おかげで体育のテストも無事にクリア。私にとって父は、ウルトラマンよりかっこいいヒーローだった。

もうひとつ、お風呂はもっとすごかった。
なにしろ富士山が見えたんだから。

うっすらと雲のかかった雄大な山は、青空によく映えていた。浴槽に肩まで浸かり、そっと見上げると勇気が湧き出す気がした。元気な日はもっとわくわく、そうでない日もにっこりできるお守りみたいな景色。山のラインが少々がたついているのもオリジナリティだと思えばよし。そう、わが家の富士山は、父が浴室の壁に描いた24時間見放題の山だった。

父はできる限りの楽しさを家族に用意してくれていた。こんなにも長い間、心に残り続けるくらい あたたかなものを。中1から住みはじめた2階建ての白い家はもちろん好きだったけれど、あの古い平屋もやっぱり好きだったんだ。あの頃は気づけなかっただけで。

「ただいまー、お腹すいた。夕飯なに?」
「今夜はちーぱん」
「お、やったー」

息子が笑顔で帰ってくるとほっとする。「ちーぱん」はチキンのチーズパン粉焼きの愛称で、息子のお気に入りだ。偶然、インスタで見た時短料理を、もっと適当に作ってみたら大ヒット。こちらこそ喜んでくれて、やったーだ。

そうか、チーズとチキン。

好きなものって遺伝子レベルで覚えているのかもしれないな。嬉しくなって、フライパンにとろけるチーズを追加した。こんがり焼けた小さめのものをひとつ、リビングに飾った父の写真の前に置く。

シャワーを浴び終えた息子がお皿を運んでいる。ご飯は山盛り。ちゃんと野菜も食べてよ、はいはい、という会話もいつも通り。

心の中にある帰りたい場所はいつまでも消えない。でも心が繋がっていく限り、帰りたい場所はこれからも増えていくのかもしれない。

息子はいつかこの時間を思い出すのだろうか。私は笑顔をたっぷり追加して彼の画角に収まった。



*****
鈴鹿央士さんに朗読していただきました。

#わたしの帰りたい場所

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