君に、胸ズキュゥゥゥン|第二回すべて失われる者たち文芸賞応募作
陸人は階段を登っていて、踊り場で体の向きを変えた。
女ゾンビが立っていた。
迂闊だったとここで思ってももう遅い。
「反省で済みゃ、ゾンビ禍きてないな」とうまいことも思う。
(死ぬかぁ……いや、ゾンビ化……?)
ゾンビ化した元ヒトは、捕食に際して手などを硬質化させ、獲物を狩る能力を備える。
どうなるか?……ゾンビの一存しだい。
夕方、陸人はエレベーターでオフィス階から地下2階へ降り、そこから階段で地上に上がり帰宅するルートをとっていて⸻庶務部が先日決めた変更経路、ゾンビ達の目を欺くための⸻なのに、不意打ちを受けた。
まじまじゾンビを見、驚いた。
立っているのは、隣のビルのオフィスで働く、「あの女性」。
陸人の勤務先の自席横に、高くとられたガラス窓がある。
隣のビルもまたガラス窓で、どういうわけか両フロア共通してブラインドに隙間や欠けがあり、職場風景がしっかり見えてしまっている。
陸人が気になって、目が追ってしまうのが彼女だ。
自意識過剰もいいとこ、わかってはいるのだが、週に数回彼女と目が合う気がした。
もしかして?なんて、期待が膨らんだ。
根拠のない妄想が、彼に生きる希望を与えていた……ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、「ゾンビ禍」の世というのはそういうものだ。
ゾンビ禍で、またぞろ⸻コロナ禍みたくオンライン主体になった。
ただ陸人は担当職務上、そしてポンコツな社のネットワーク環境上、どうしてもリアル出勤を求められた。
不織布の剣や盾、布の鎧や兜は社から支給され政府からも郵送で届いたが、不安は尽きない。
出社のモチベーションも、辞表を出さないでいる理由も、
「隣のビルのあの女性、今日来てるかな」
だけだった。
祈りが通じたか、3日前までずっと、彼女の姿を確認できていた。
だが3日前から、彼女の姿が消えた。
(とうとうテレワークになったかな)、
連日報道される被害状況を考えると、まったく無理はなかった。
そこへ、予想だにしない彼女との遭遇だ。
彼女が距離を素早く詰め、気づいたらのし掛かられていた。
「ご、ご、ごめんな……さいっ」、
低い声が踊り場にブモブモ反響する。
きっと生前の癖で、よそいきの声を作っていてさえ、喉に凝固した血が詰まってとかで、こうなってしまうらしい。
意志よりゾンビ的衝動が上回って襲ってきたか。
医師会の偉い人がゾンビ達の特徴を解説しているのを、少し前に研修動画で観た。
「いや……」、
こういう時、なんて言えばいいのだろう。
陸人は覚悟を決め、せめて前向きに考えることにした。そして
「あなただったんですね……、僕、隣のビルで働いている男です」、
と、ずっと隣から気にしていたことを伝えた。
独身、彼女いない歴2年。マッチングアプリも使ったりしたけれど、「窓のあなた」がどうしても心にあって、うまくいかなかった。
何もかも、思いの丈をありったけ。
迷っている時間は、もうないから。
せめて想いを伝えてから、殺られたい。
「そうでしたか……」、
彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ごめんなさい。あなたの存在に、気づいていませんでした……」
「ああ」、陸人は大人の男を気取る、「ハハ、そりゃそうですよね……」
「でも、私、今あなたを、とても……」
「欲している、ですか……」、
これも研修で得た知識。
ゾンビは、異性愛者なら異性の肉を食べたい衝動が湧き、捕食せんと近寄ってくるらしい。
言いながら、少し興奮している自分に陸人は気づいた。
そういう癖はないと思っていたが。
(バカだな、俺……)
「……ちがうの、ずうずうしいんですけど……、
一緒に、かたまりたいと、思ってしまった」
「え?」、
このゾンビ何を言っているんだと、内なるゾンビ差別の感情が湧いたのを感じ、陸人は自分を恥じた。
「むしろ脳の使用領域が拡大し、文字通り人智を超えた智慧に覚醒するゾンビ達も多いです」、
研修動画の声が甦る。
「ゾンビ化した存在同士、互いを同時に仮死状態に陥らせることで、異常硬質化が進んで石化に近い状態になれるらしいんです。
私、この1時間前に、不倫中だった上司にそれを持ちかけたの。
でもその人、『かあちゃん助けて!』って叫んで、ダッシュで逃げちゃった。
ボロボロな気持ちで、さまよっていて、気づいたらここを歩いていて」、
「そうでしたか……」、
陸人は自然な気持ちで、下から彼女を抱き寄せた。
「あ、だめです、そんなふうにされたら……」、
「襲いたくなるんでしょう?
本望です。俺、あなたと、かたまりたい。
で、いつか奇跡的に生きて解けたら、その時にお茶に誘います。
それで俺がイマイチだったら、ごめんなさいで全然、いいんで」
女性の両目に、涙が溢れた。
陸人は、力を込めて彼女の体を引き寄せた。
心臓の横に、ズキュゥゥゥンという感触が走った。
陸人は、微笑んだ。
(了、1,991字)
⭐︎1
「ゾンビ禍」という言葉と概念は、直近で観てきた演劇から思いっきり使わせていただきました。(cかなり朱いさんです)
⭐︎2
「窓向こうの隣ビルに見えている女性」、の下敷きにしたのは、以下の自創作です。
花澤薫さん主宰の「第二回すべて失われる者たち文芸賞」応募作です。
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