名前のない悪魔(かのじょ) 第三章
著者紹介

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⚠️タイトルでは、悪魔と書いてカノジョと呼びます。
彼女を無事に送り届けた僕はレンタカーを返却し、電車に乗った。
電車の中で喉に違和感を感じた。
駅の売店でのど飴を買い、喉を労りながら帰路を目指した。
念のため、自宅マンション近くの薬局で風邪薬を購入したが、お会計を済ます頃にはもう悪寒と倦怠感に襲われていた。
旅先から地縛霊でも連れて帰ってきてしまったかのように、身体が重い。
深夜、三十九度を超える高熱にうなされ、喉に剣山が刺さったように痛い。
唾は飲み込めないから吐き出した。
ティースプーン一杯の水も飲み込めないほどの激痛に見舞われたのだ。
翌日、僕は会社を休んだ。
彼女は仕事が終わった後、お見舞いに来ると言って聞かなかった。
風邪をうつしたら申し訳ないからと断ったのに、僕の話など彼女が聴くはずがない。
自分の意志でしか行動しない彼女は、夕方、僕のマンションに押しかけてきた。
「なんかね、隣の席の子も先週から喉風邪で休んでるの。メッチャ喉が痛いんだって。もしかしてマー君も同じ風邪じゃない?」
――衝撃発言。
彼女の話が本当なら、僕は旅行中、無症状の彼女から風邪ウィルスをもらったらしい。最悪だ。
本人は、
「私の周りで喉風邪、流行ってるのかな? 不思議だよね?」
とピンピンしている。
不思議なんかじゃない。君が撒き散らしたんだ。
……と音のしないため息が出た。
僕の心境は届くはずもなく、
「マー君にね、特製のお粥を作りに来たの」
と彼女は張り切っている。
気持ちは嬉しかったが、正直なところ食欲もないし、そっとしておいて欲しいと心から願った。
だが、彼女特製のお粥は調理を終え、僕の目の前に現れた。
ヘドロのような色の、ヘドロのようなトロミがついた料理だ。
というか、これはヘドロだ。
そしてそのヘドロを自信満々に差し出し、
「ブルーベリーみるくキャラメル粥だよ」
と彼女は言った。
これは一体、何色だろう?
色を表現するなら、ヘドロ色だ。それ以外思いつかない。
僕は恐る恐るヘドロに顔を近づけると、ゲロのような変な臭いがする。
腐っているのか? 僕の鼻がおかしいのか?
「食べて」
彼女からの期待のこもった圧力が押し寄せ、仕方なく口に運ぶと、言いようのない、食したことのない味覚が僕の口の中を占領した。
嗚咽を堪えた。
匙を持つ僕の手は動きを止める。
すると彼女は、
「一生懸命つくったのに、食べてくれないの? ひどいよッ! マー君が私に手料理作ってくれた時は、私は全部食べたのに!」
と、今にも泣き出しそうな顔で僕を責める。
ちょっと待ってくれ。状況も、作ったモノも違いすぎるだろ。
腹から声を吐き出したくなるほど込み上げたが、ヘドロが視界に入り吐き気を堪えると喉が死ぬほど痛い。
喉が痛すぎて言葉が出せなかった。
苦しむ僕に、
「隠し味は長ネギと八丁味噌なの」
と得意気に語った。
彼女は僕を殺そうとしているのか? と錯覚しそうになった。
いや、錯覚ではない。間違いなく僕を毒殺するつもりだ。
魔女の毒を最後まで食べ尽くした僕は地獄の拷問を終え、その場で崩れ落ちるようにベッドに吸い込まれた。
次の日、僕は驚異的に回復して目が覚める。熱は下がっている。少し咳が出るが、喉はもう嘘のように痛くない。
彼女が作った毒はウィルスまで死滅させる能力を持っているらしい。
ヘドロの能力の恐ろしさに背筋が凍った。
今日は出社できそうだ。
会社へ行くと、嫌味な先輩が、
「お前の昨日の仕事。俺がやっといたぞ」
と恩着せがましく伝えにきた。
「ありがとうございました。お礼に今度、ランチでもご馳走させてください!」
と誘ったら、先輩はご機嫌だ。
面倒くさい先輩だが、使えるから嫌われないように接している。
先輩は長身で、なかなかのイケメンだが、あまりモテない。
「オレさぁ、頭悪くて可愛い子がタイプなんだよね」とか、サラッと言ってしまうからだろう。
ナンパが得意で、各部署に元カノなのか?と疑問符がつく女性たちを蔓延らせている。
デスクの中にはいつも新品のシャネルのハンドクリームとシャネルの紙袋が、5セットくらいストックしてあって、社内だろうが社外だろうが、銀座の女の子にまで手当たり次第、気に入った子を見つけるとハンドクリームを配るのが彼の日課だ。
自称、付き合う女子には困っていない。とか抜かしているが、先輩がちゃんと付き合っている女性を僕は見かけたことがなかった。
「総務の派遣美女と、お前付き合ってるんだってな? なんだよ。オレも狙ってたんだから、報告くらいしろよ!」
と言っている。
「はぁ。でも別れようと思ってるんで」
と伝えると、先輩は血眼になって、
「マジで? あんな綺麗で可愛い子、なかなかいねーぞ? 顔もスタイルも芸能人並じゃねーかよ。銀座でも、あそこまでの美人には出会えねーってのに。あ、もしかして牧野、お前、あの子に浮気されたか?」
とピント外れなことを言い始めた。
面倒くさかったから、
「想像に任せますよ」
と逃れる。
先輩は、
「まぁ、お前には勿体ないくらいの美人だもんなー。まさか我が社の噂の美女が牧野と付き合うとは、あり得ねーとは思ってたよ。しょうがねーだろ? 元気出せって! オレがお前に釣り合いそうな子、見繕ってやるからよ」
と同情している。
被害者ぶるのも良いものだな、とそのまま流した。
確かに僕には不釣り合いすぎるから当然だ。
僕はイケメンでもないし、太ってはないけど背もそんなに高くない。
筋肉隆々じゃないし、息子も基準より小さい。
唯一、元カノ達全員が口を揃えて、
「牧野君って優しいよね」
と褒めてくれた。
優しいとは褒め言葉なのだろうか?と思ったが、考えても無駄そうだから、くだらない謎の入り口にシャッターを下ろした。
両親と同居する彼女の自宅に、僕は足を踏み入れることは一生ないだろうと考えていたが
その週末、彼女から自宅へ招待された。
「土曜日はパパもママもいないから、ウチに遊びにきて欲しいの」
と誘ってきた。
僕は
土曜日こそは別れ話をするぞ、と心に誓い彼女の家に踏み込んだ、はずだった。
なのに…なぜなのか僕の目の前に
穏やかな表情をした彼女の両親が
二人揃って僕を待ち構えていた。
僕はすっかり、悪魔に騙されたのだ。
つづく♡
寄稿者
編集後記
高熱、ヘドロ粥、毒殺未遂、嫌味な先輩、悪魔の自宅招待――
これだけカオスな材料を並べておきながら、読者は笑ったまま、気づけば最後の崖にいる。
この作品の魅力は、可愛さと異常さが同じ顔でこちらを見てくるところにある。
読んでいるこちらは笑っているのに、登場人物だけは本気で命の危機に瀕している。
この温度差がたまらない。
今回もまた、
「美人」「優しい」「お見舞い」「実家に招待」という本来なら幸福の記号であるはずのものたちが、見事に不穏へと反転した。
読後、私は思った。
恋愛とは、信頼ではなく、ある種の耐毒訓練なのかもしれないと。
次回、牧野君は本当に別れ話を切り出せるのか。
それとも再び、悪魔の微笑みに飲み込まれるのか。
編集長としては、彼の無事を祈りたい。
読者としては、もう少し地獄を見たい。
文芸高校出版部 編集長 兼 用務員
風間静人(静月)
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