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「もう、そんなに早く歩けないんだよ」——父の一年と、歩くことの意味


たった一年で


父が急激に衰えました。

78歳。年齢の割に若い、背筋が伸びている、足腰がしっかりしている——周囲からそう言われることが多い父でした。去年は皇居の北の丸公園まで、あの急勾配の坂を難なく歩いていました。そのことを少し自慢げに語る父の顔を、私はよく覚えています。

先日、その父を自邸に呼びました。私の家は高台にあります。食事処までの坂を一緒に歩いたとき、父の歩みがやたらと遅いことに気づきました。景色を楽しみながら歩いているのだろう、と最初は思いました。しかし会食の予約の時間が迫っていたので、私は少し早足になりました。父はついてきません。

「親父、時間が迫ってるんだから、早く」

そう声をかけた私に、父はこう言いました。

「もう、そんなに早く歩けないんだよ」

唖然としました。たった一年で、恐ろしいほど衰えている。

実家の家業を継いでいる妹は、頻繁に実家を訪れています。父の様子を聞いてみると、日に日に弱っているとのことでした。そして何より恐ろしいのは、認知機能の衰えを示すエピソードも多数報告されたことです。私は強い危機感を覚えました。

もともと父に運動習慣はありませんでした。それでも本人なりに危機感は持っていて、たまには歩いてみたり、体を動かしてみたりはしていたのです。しかし妹によれば、ここのところ本当に動かないそうです。

おそらく、小手先の運動ではもはや体を維持できないところまで来てしまった。臨界点を超えてしまい、今までできていた運動すらできなくなってしまった。これまでの努力量と意志力では、迫りくる老いを弾き返せない—その一線を、父は越えてしまったのだと思います。


歩けなくなるとき、何が失われるのか


私は脳外科医として、またリハビリテーション医として仕事をしています。その現場で肌身に感じていることがあります。

人は歩けなくなったときが、その人をその人たらしめている人格が失われていく入り口になる。

少し乱暴な言い方に聞こえるかもしれません。恐縮です。ですから、これはあくまで「老化」に限った話であることを、あえて付け加えておきます。

そして逆説的に言えば、これは「歩けること、歩くことは、人生そのものと言ってよいほど重要だ」ということでもあります。

外来でよく見るパターンを一つ挙げます。腰部脊柱管狭窄症の患者さんです。

さまざまな理由で歩かなくなる。すると体幹、臀部、大腿部の筋力が落ちる。代謝が落ちる。体を支える力が減るのと逆相関するように体重は増えていく。その結果、脊柱管狭窄はさらに悪化する。そしてまた歩かなくなる——完全な悪循環です。

さらにこれは外傷の原因にもなります。大腿骨頸部骨折、転子部骨折。骨折すればさらに筋力が落ち、さらに歩かなくなる。

歩かなくなると血流循環も悪くなります。心機能の低下、下肢筋力低下による循環量の減少。当然、脳血流量も低下します。そうなれば脳卒中だけでなく、認知症のリスクも上がっていきます。

ただ、これは裏を返せばこういうことです。

歩けば、これらの心配とリスクを大幅に減らすことができる。


ハードルは、高くしなくていい


大切なのは、ハードルを高くしすぎないことです。

京都大学とUCLAの共同研究チームが2023年に発表した報告があります。米国の成人約3,100人を対象にした分析で、週に一度も1日8,000歩以上歩かない人と比べて、週1〜2日それを達成している人は、10年後の総死亡リスクが14.9%低かったというものです。週3日以上歩く人では16.5%低下。つまり、週1〜2日と、週3日以上とで、効果にほとんど差がなかったわけです。心血管死亡リスクについても同様の傾向が見られ、この効果は65歳以上でより顕著でした。

毎日必死に歩かなければ意味がない、というわけではないのです。週に1〜2日でも、しっかり歩けば健康は守れる可能性がある。これは、仕事の都合で定期的な運動時間を確保できない現役世代にとっても、体力に不安のある高齢者にとっても、重要なエビデンスだと思います。

「過ぎたるは及ばざるが如し」。これは私が外来でよくよく唱える言葉です。やり過ぎもまた良くない。


それでも私は、毎日やることを勧めます


その上で、私は「朝、毎日ウォーキングなどの運動を欠かさない習慣」は非常に有効ではないかと考えています。

私自身は、朝に5〜6kmのウォーキングか筋トレのいずれかをやるようにしています。

ただし、どうしても面倒だと思った日や、起きるのが辛くて仕方ない日にはスキップする「勇気」も必ず持ち続けています。基本的にはやってみると「意外にやってよかった」となることが多いので実施しますが、まれに、やってみて本当に辛い日があります。これは危険サインだと自分でも危機感を持ち、翌日は絶対的に休養を与えるようにしています。

これは私のスタイルなので、人によって合う習慣は違うでしょう。ただ一番重要なのは、習慣化することなのです。

人間は意志が弱い生き物です。しかし習慣化してしまうと、今度はそれに抗えなくなる。つまり、弱点を逆に利用するわけです。

そういう意味で言えば、正直「週2回」は習慣化しにくい。だから基本は毎日やる。体に習慣として刻み込んでしまう。そのほうが結果的にうまくいくのではないかと、私は思っています。


父をどう奮起させるか


今、私は父をどうやって奮起させるか、その手段を考えています。しかし、どれも妙手が見つかりません。

自邸の近くにアパートを借りて、孫に会うついでに隔週で来てはどうかと提案してみました。しかし「長くは続かないだろう」という父からの返信を読んで、また違う案を考えなければならないと感じています。

決して甘く見てはいけない。歩かなくなるということを。これは仕事で心底実感していることだからです。

私は今、父を失うかどうかの瀬戸際に立たされているのかもしれません。


読んでくださっている方へ


最後に、これを読んでくださっているあなたに伝えたいことがあります。

車を使わなくても、歩いてその場所に行けるのなら、歩いて行ってください。

車に乗っている人は、車しか走らないバイパスの側道を歩いているあなたを見て、「なぜ車を使わず、こんなところを歩いているのだろう」と思うかもしれません。

でも、違うのです。

車を使わずとも歩いて目的地にたどり着き、目的を果たすことができる体力と身体能力がある。だから車に乗せてもらう必要がない。逆に言えば、車に乗らなければ同じ目的地にたどり着けない——それは、失われつつある何かの兆候かもしれない。

まったく逆転したこのパラドックスの中に、どうか誇りを持って浸ってほしいのです。

歩けるということは、当たり前ではありません。それは、いつか失われるかもしれない能力です。

そして失ってから取り戻すのは、恐ろしく難しい。私は今、それを自分の父を通して、目の当たりにしています。


※本記事は個人の臨床経験と見解に基づくものです。運動習慣の開始や変更にあたっては、持病のある方は主治医にご相談ください。


貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

私自身も、皆さんと共にこの複雑な世界を学び続けている途中の身です。

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