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「隣の部屋にいてほしい」——最後の日にその一言を、あなたなら誰に言うだろうか|『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』【ネタバレなし】

この映画の魅力を3文で

  • 安楽死を望む女性と、その最期に寄り添うことを選んだ親友。

  • ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した、巨匠アルモドバルの最高傑作。

  • 「死」を描きながら、これほどまでに「生きることの美しさ」が伝わってくる映画は、そうそうない。


こんな方におすすめ

  • 大切な人のために「何かしてあげたい」のに、どうすればいいかわからなくなったことがある方

  • 「自分のことで精一杯」と感じながら、それでも誰かの役に立ちたいと思っている方

  • ティルダ・スウィントン、ジュリアン・ムーアという二大女優の演技を堪能したい方

  • 死生観や人生の意味について、静かに考えたいと思っている方

  • アドラー心理学・共同体感覚・真の幸福感に興味がある方


はじめに

「隣にいてほしい」と、誰かに頼んだことがありますか。

 あなたにも、そんな瞬間があったかもしれません。

 何かがつらくて、でも具体的な助けを求めるわけでもなく、ただ、誰かに近くにいてほしかった、あの夜。

 あるいは逆に——誰かに「そばにいてほしい」と言われたとき…

 「いいよ」と言えた自分。
 それとも、怖くて、しんどくて、少し距離を置きたくなった自分。

 どちらであっても、どうぞ自分を責めないで。人はそれぞれ、抱えられる重さが違うから…

 ただ——今日ご紹介するこの映画は、これらの問いの答えが少し変わって見えるかもしれない一本です。

 さあ、感情の奥行きを、この映画から…


生と死を、カラフルに描く巨匠の最高傑作

 本作『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(2024年、スペイン)は、第81回ヴェネツィア国際映画祭で最高賞・金獅子賞を受賞した作品です。

 監督は、ペドロ・アルモドバル。

 75歳を超えてなお、唯一無二の色彩感覚と人間への深い愛情で映画を撮り続けるスペインの巨匠です。

 『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)でアカデミー賞外国語映画賞、『トーク・トゥ・ハー』(2002)でアカデミー賞脚本賞を受賞するなど、映画史に偉大な足跡を刻んできた名匠の最新作にして、最高傑作とも呼ばれる一本です。


 主演はティルダ・スウィントン。

 『フィクサー』(2007)でアカデミー賞助演女優賞を受賞した、とても独特な存在感を持つ女優です。

 衣装も佇まいも、画面に映るすべてが「マーサという人間」として息づいています。


 共演はジュリアン・ムーア。

 『アリスのままで』(2014)でアカデミー賞主演女優賞を受賞し、世界三大映画祭すべてで女優賞を受賞した、現代最高峰の女優のひとりです。

 ティルダとジュリアン、この二人が親友同士を演じるという事実だけで、すでに特別な映画であることが伝わってきます。


 テーマは「安楽死」と「友情」。

 重く聞こえるかもしれません。

 でも、アルモドバルの手にかかると、それは不思議なほど色鮮やかに、時にユーモアさえも交えながら描かれます。

 「死」を正面から描きながら、これほどまでに「今を生きることの美しさ」が伝わってくる映画は、そうそうないと思います。


「ドアが閉まっていたら」——その言葉の重さ

 重い病に侵されたマーサ(ティルダ・スウィントン)は、治療を拒み、自らの意志で安楽死を選ぶことを決めています。

 しばらく疎遠だった親友のイングリッド(ジュリアン・ムーア)と再会し、病室で語らううちに、マーサはイングリッドにある頼みごとをします。

 「人の気配を感じながら最期を迎えたい。"その日"が来るとき、隣の部屋にいてほしい」と。

 イングリッドは悩みます。

 友人の死に、ただ近くにいるということ。

 何もできないまま、隣の部屋で朝を待つということ。

 悩んだ末に、イングリッドは承諾します。ふたりは、森の中の小さな家で、最期の数日間を共に過ごし始めます。

 そして、マーサはこう告げます。

「ドアを開けて寝るけれど、もしドアが閉まっていたら、私はもうこの世にはいない」

 この映画のみどころは、その「数日間」にあります。

 迫り来る死を前にして、それでもふたりは本を読み、食事をし、映画の話をし、笑い、過去を語ります。

 カラフルな室内装飾に囲まれながら、死の影が差し込む時間が、不思議なほど豊かに流れていく。

 ティルダ・スウィントンの静かな演技と、ジュリアン・ムーアの揺れる感情。

 ふたりのオスカー女優が体現する友情は、画面を通して、確かに、そして豊かに伝わってきます。


アドラーレンズ:関心の向け先が、人生の質を決める

 ここで少し立ち止まって、心理学者アルフレッド・アドラーの視点からこの映画を見てみましょう。

 アドラー心理学の中心にある問いのひとつは「あなたの関心は、どこに向いているか」というものです。

 自分にだけ関心が向いている人は、常に自分の損得、自分の感情、自分の安全を基準に動きます。

 それ自体は自然なことです。

 でも、その状態のまま「誰かの死に寄り添う」という場面に直面したとき、どうなるか想像してみてください。

 「つらすぎる」「自分が壊れてしまう」「逃げたい」——そう感じるのは、無理もないでしょう。

 自分への関心が強いとき、他者の痛みは「自分を脅かすもの」として映ります。だから、距離を置くことが自己防衛になると感じるのです。


 一方で、関心を相手にも向けることができる人は、違う問いから動き始めます。

 「この人は今、何を望んでいるか」「この人に今、自分には何ができるか」

 イングリッドが「隣にいる」という選択をしたのは、単に忍耐強いから、だけではないでしょう。

 きっと彼女の関心が、マーサという「一人の人間」に向いていたからです。

 自分の恐怖や悲しみを抱えながらも、その向こうにいる友人の希望を、真剣に受け止めることができたのです。

 そうです、他者への関心こそが、人間を人間たらしめるものである、と言えるでしょう。

 自分の欲や恐れを一旦横に置いて、相手の希望を叶えることに協力する——その行為は、「自己犠牲」ではありません。

 関心の向け先が変わるとき、人は自然に「協力する」という選択肢を持つことができます。

 そしてその協力が実を結んだとき、人は他者の喜びを、自分の喜びとしても感じることができるのです。

 このときの感覚が、アドラーの提唱している「共同体感覚」です。


幸福は「与えること」の中にある

 共同体感覚とは、難しい言葉に聞こえますが、端的にいえば「そこに自分の居場所がある感覚」のことです。

 自分だけが良ければいい、という状態では得られない喜びがあります。

 誰かの役に立てた、誰かの希望が叶った、その瞬間に自分も一緒に嬉しくなれる——そういう感覚こそが、真の幸福感です。

 イングリッドがマーサの最期に寄り添うと決めたとき、彼女は何かを「犠牲にした」のではありません。

 むしろ、自分の中にある最も豊かな部分を、使うことができたのです。


 この映画を観ていると、逆説的なことに気がつきます。

 死を前にした数日間の方が、日常のどんな時間よりも、生き生きとしているのです。

 マーサもイングリッドも、その時間の中で、何かを取り戻している。

 それは何か。

 きっとそれは、互いに互いが、本当に「そこに自分の居場所がある」と感じられている、という感覚です。

 現代の私たちは、便利な時代に生きています。

 でも、誰かとこれほどまでに真剣に向き合う時間を、どれくらい持てているでしょうか。

 「忙しいから」「自分のことで手いっぱいだから」——その言葉の奥に、「相手への関心を向ける余裕がない」という本音が隠れていることがあります。

 アドラーの問いは、そこに静かに返ってきます。「あなたの関心は、今、どこに向いていますか」と。


あなたの隣には、誰がいますか

 今のあなたの生活の中に「この人のためなら、自分の都合を一旦横に置いておける」と思える相手はいますか。

 あるいは、あなた自身が「隣にいてほしい」と思うとき、頭に浮かぶ顔はありますか。

 すぐに思い浮かぶなら、その関係は、あなたの人生の貴重な財産です。

 なかなか思い浮かばないなら、それはあなたの何かがダメ、ではないので、どうぞ安心してください。

 現代の生活では、そういうつながりを作りにくい構造になっていることも多いですから。

 ただ、この映画が示していることがひとつあります。

 「寄り添う」ということは、特別な才能ではない、ということです。

 イングリッドは何もできなかった。ただ、隣の部屋にいただけです。

 ドアを開けたまま眠り、朝を待った。それだけです。

 でも、マーサはそれを求めていた。そしてイングリッドは、それをしてあげることができる。

 「何かをしてあげられないから」と距離を置く前に、ただそこにいることを、選ぶことができます。

 その選択が、相手にとってどれほどの意味を持つか——この映画が、静かに教えてくれています。


おわりに:ドアは、今日も開いている

 「ドアを開けて寝るけれど、もしドアが閉まっていたら——」

 マーサのその言葉が、今も心の中に残っています。

 開いたドア。それは、まだここにいるというサイン。

 このたとえを借りれば、私たちは毎日、何かのドアを開けたまま眠っています。

 誰かにつながっていたいという気持ち、そこに自分の居場所が確かにあるという感覚を、胸のどこかに感じながら、朝を迎えているでしょう。

 この映画を観終えたときには「生きている今日を、もう少し丁寧にすごしたい」という気持ちを、きっと感じられることでしょう。

 死を描いた映画が、生への愛着を深めてくれる。

 それがアルモドバルという監督の、他の誰にも真似できない魔法。

 その魔法を、ぜひあなたにも。


作品概要

原題:The Room Next Door
制作年:2024年
制作国:スペイン
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
原作:シーグリッド・ヌーネス「What Are You Going Through」
出演:ティルダ・スウィントン(マーサ)、ジュリアン・ムーア(イングリッド)、ジョン・タトゥーロ、アレッサンドロ・ニボラ
受賞:第81回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞

関連作品 『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999アルモドバル監督) 『トーク・トゥ・ハー』(2002アルモドバル監督) 『アリスのままで』(2014)『めぐりあう時間たち』(2002) 『her/世界でひとつの彼女』(2013)


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 「ただそこにいてくれた人」の記憶、あるいは「そばにいてあげられなかった」という後悔など…もしよかったらコメントで教えてください。

また次の記事でお会いしましょう。

メンタルコーチ 中村常楽


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