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デジタル・ブック『失われた書聖の真筆』 制作ノート(9)

第9章 消失後の追跡と現代の調査
Ⅰ 静かな時の流れ

王羲之

延暦年間(782~806年)、「献物帳」には確かに彼らの書の名が記されていた。

しかし平安後期になると、記録は徐々に途切れ、断片的な記載だけが残るようになる。
そして室町の戦乱が京を焼き、奈良にも動乱が及んだ頃、正倉院の内部で何が残り、何が失われたのか――その全貌は誰にも分からなくなっていった。

江戸時代、書の世界には「古筆(こひつ)」※1の収集熱が広がる。
古筆了佐(こひつ りょうさ)らの鑑定家は、筆跡を見て「王羲之風」「藤原行成流」など格付けを行い、名筆は金銀と同じ価値で取引された。

だが、正倉院由来の王羲之真筆と断定できる品は、ついに一つも現れなかった。
代わりに市場に溢れたのは、唐代の摸本や、平安時代の能書家による臨書――いわば「影の王羲之」たちだった。
※1 古筆:平安~鎌倉期の名筆を指す美称。江戸期には鑑定・売買の対象となり、美術市場で高値がついた。

Ⅱ 明治十三年の正倉院調査
明治十三年(1880年)、文明開化の波は奈良にも押し寄せる。
宮内省は、近代国家の威信を示すべく、正倉院宝物の初の本格調査を実施した。
漆塗りの扉が開かれると、千年の静寂が一瞬にして現代の光にさらされた。
調査員たちは、宝物を一つひとつ取り出し、綿密に筆録していく。
「唐人書巻一」「右軍風書断簡」――「右軍」とは王羲之の官職名(右将軍)に由来する雅称である。
しかし、「王羲之書」と明記された行はどこにも見当たらなかった。
そこにあったのは、あくまで“王羲之風”を伝える作であり、真筆と断定するには遠かった。

Ⅲ 昭和期の「返納文書」再発見(創作)
昭和三十年代、奈良国立博物館の一室で正倉院関係の古文書を読み込んでいた国文学者が、ふと息をのんだ。
「……あった」
『大日本古文書』正倉院編の延暦年間の一行――
「王羲之書一巻、返納」
それは極めて簡潔な記録だった。
出蔵(すいぞう:倉からの持ち出し)の理由も、返納先の詳細も書かれていない。
ただ「返納」とあるだけ。
つまり、一度は庫外に出されたものが、形式上は戻ったということだ。
だが、その後の目録に再びその名は現れなかった。
返納直後に再び出蔵され、そのまま除物(管理台帳から削除)となった可能性が高い――研究者の多くはそう推測した。

Ⅳ 三つの有力説
昭和の研究者たちは、この空白を埋めるために三つの仮説を立てた。

・宮廷下賜説


・寺院移管説


・海外流出説

いずれの説も魅力的だが、確たる証拠は一つも見つかっていない。

Ⅴ 現代技術の挑戦
21世紀、正倉院文書は高精細デジタル化され、赤外線撮影によって肉眼では読めない墨跡や押印が浮かび上がるようになった。
筆跡解析も進み、唐代の摸本と断定できる資料はいくつか特定された。
しかし――王羲之本人の手による文字と断定できるものは、未だ一つもない。
しかも、それらが本当に正倉院由来かどうかも、最終的な証明には至っていない。

Ⅵ 「不在の歴史」を受け入れる
文化財研究には「不在の歴史」という概念がある。
実物がなくても、その記録や影響を通じて歴史を復元する試みだ。
王羲之の真筆も、その典型である。
現物は消えた。
だが、「王羲之書一巻、返納」というわずかな文字が残った。
その一行こそが、千年を超えて歴史を語る「最後の声」なのだ。

Ⅶ エピローグ(創作パート)
高床式の校倉造(あぜくらづくり)――漆の香が今も漂う正倉院の内部。
壁板には時の流れが刻んだ細かな亀裂が走り、乾いた空気が静かに漂う。
その空間に、王羲之の真筆はもうない。
しかし、かつてそこにあったことを告げる記録が、確かに存在した。
それは、歴史が私たちに投げかけた問いである。
「あなたは、この不在とどう向き合うのか」――
答えは出せなくとも、問いを持ち続けることが、歴史と対話する唯一の方法なのかもしれない。

Ⅷ  考察
私が考えることの一つは、聖武天皇が王羲之の真跡を入手したことである。盧舎那大仏というこの世で最も偉大な仏を作るならば、献納する宝物もこの世の最高のものでなければならないという卓越した審美眼、世界観である。

そして、その二つ目は、8世紀の奈良時代に農業生産性が上昇し、東北の鉱物発掘など富は爆発的に拡大した。しかし、その富は、庶民の生活を豊かにすることには使われず、大仏建立という大国家プロジェクトに使われてしまい、庶民の生活は引き続き貧しいままであったということである。これは、中世の西欧でも、家畜や水車・風車が農業生産性が向上しても、その富は教会の大聖堂の塔を建設することに使われてしまい、庶民の生活は貧しいままであったことと相似の関係にあったということである。

史実か創作か
史実:延暦年間の返納記録(『大日本古文書』正倉院編)、明治13年の正倉院調査記録、昭和期の再発見、高精細デジタル化の現状、推定される三説(宮廷下賜・寺院移管・海外流出)
創作:昭和期研究者の発見場面描写、明治期調査の情景描写、現代の正倉院内部の描写