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デジタル・ブック『失われた書聖の真筆』制作ノート(1)

Kindleのデジタルブックに『失われた書聖の真筆』という本を登録しました。これは、書聖と言われている王羲之の書(現在は真筆が存在しない)が、正倉院の宝物の中にあった(「国家珍宝帳」という目録に記載されている)。どうして、貴重な真筆が失われたのかという謎に挑戦した本です。
この本を制作するにあたって、作成した制作ノートを公開します。

第1章 失われた書聖の筆跡 ― 王羲之、日本に渡る
 4世紀、中国・東晋の世。
 江南の地に、一人の書家が生まれた。名は王羲之(おうぎし)。
 後世の人々は彼を「書聖」と呼び、その筆を手にすることは、まさに天子の宝を得るに等しいとまで言った。

 王羲之の書は、単なる記録や文章を超えた芸術であった。
 一画一画に命が宿り、線は水のごとく流れ、時に鋼のように強く、時に霞のように柔らかい。
 紙の上で墨が呼吸し、筆致は読む者の心に直接語りかけてくる。
 その頂点の作が『蘭亭序』である。
 353年、会稽山陰の蘭亭で催された曲水の宴。
 詩酒に酔いしれた文人たちの詩を序文としてしたためた行草の筆は、自然の流れそのままに、しかし計算し尽くされた美をたたえていた。
 「天下の行書第一」と後世に称される所以である。
 王羲之の筆は弟子たちに受け継がれ、とりわけ子の王献之(おうけんし)がその才を開花させた。
 王献之は父の力強さに繊細さを加え、「書中の書は父、才中の才は子」と評された。
 父子は並び立って書道史の金字塔となり、その名は千年を経ても輝きを失わなかった。
 
さらに唐代初期、欧陽詢(おうようじゅん)が現れる。
 精緻な楷書で知られ、唐の科挙受験者が必ず習う規範を築いた。
 その文字は端正で品格があり、まるで磨き上げた玉のようだった。
 欧陽詢の書は仏教経典の写経にも取り入れられ、その書風が日本の僧侶や写経生の手に自然に伝わった。

 三人――王羲之王献之欧陽詢
 時代も書風も異なれど、いずれも東アジア書道の理想を体現した存在だった。
 しかし中国本土では戦乱と時間の波にさらされ、その真筆は次第に失われていった。
 唐代には、王羲之の真筆はすでに希少で、皇帝の宝庫に数巻残るのみとされ、それらも限られた者しか目にできなかった。

 やがて、はるか東の島国・日本が、この至宝を手に入れることになる。

 8世紀、日本は奈良時代の成熟期を迎えていた。
 聖武天皇(在位724~749)と光明皇后の時代、遣唐使は数度にわたり大陸へ渡り、経典・仏具・楽器・薬物・工芸品、そして書跡をも持ち帰った。
 その交流は単に物のやり取りにとどまらず、仏教思想や芸術様式、医学や音楽など、多方面に及んだ。
 唐の文化は、数年の遅れで日本に届き、宮廷や寺院で受容され、やがて日本独自の発展を遂げた。
 こうした国際交流の結晶が、正倉院である。
 東大寺の大仏開眼後、聖武天皇が亡くなると、光明皇后聖武天皇の遺愛品を見ると悲しみに耐えないとすべての聖武天皇の遺愛品を正倉院に収められた。
 その中には器物や楽器、織物、仏具に混じって、世界最高峰の書跡が含まれていた。

 『東大寺献物帳』には「大小王真跡帳」――王羲之王献之の真筆を収めた巻物の名が記されている。
 さらに「白碧牋紙 欧陽詢真跡屏風」、そして『国家珍宝帳』には「王羲之書法二十巻」とある。
 これらは、当時の日本が世界の至宝を宮廷に集めていた事実を示す証拠である。

 この価値を現代に置き換えれば、ルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチの直筆素描が20冊そろって日本にあったようなものだ。
 それほどの宝が、日本の倉に静かに眠っていた。

 しかし――これらは今、どこにも存在しない。
 正倉院の宝物は、永久保存だけを目的としてはいなかった。
 宮廷の儀式や学問、臨書のために出蔵されることがあり、原則として使用後は返納されたが、ある時点で「除物」とされると台帳から外れ、他所に移された。
 その場合、行方を追う記録は残らず、やがて所在は闇に消える。

 出蔵帳や雑物出入帳には、延暦3年(784)3月29日、「義之書法八巻返納」の記録が残っている。
 巻ごとの紙質や軸の材質まで細かく記されたその文書は、王羲之の書が実際に宮廷で用いられ、正倉院に戻った事実を物語る。
 だが、それは二十巻のうちの八巻だけであった。残りは記録を失い、やがて消息を絶った。

 文化の頂点にあった至宝は、制度の網の目から零れ落ち、時の流れに呑み込まれた。
 残されたのは、光明皇后の臨書や後世の模本だけである。
 それらは確かに美しいが、真筆の息遣いには及ばない。

 千年以上の昔、天皇と皇后が手にし、唐の文人と同じ筆跡を見つめたその瞬間は、もはや誰にも再現できない。
 失われた書聖の筆跡――それは、文化の栄華と儚さをともに刻む、静かな幻である。