デジタル・ブック『失われた書聖の真筆』制作ノート(3)
第3章 献物帳が語る真筆の存在
正倉院の宝物の中で、最も歴史的価値が高いとされるものの一つが「書跡」である。
その存在を現代に伝えるのが、『東大寺献物帳(とうだいじけんもつちょう)』と『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』である。
『東大寺献物帳』は、天平勝宝八歳(756年)、光明皇后(701~760)が亡き聖武天皇(701~756)の遺愛品を東大寺に奉献した際に作成された目録である。
総計650点以上の宝物が記載され、その中には器物、装飾品、楽器、薬物、そして数多くの書跡が含まれていた。
特に注目すべきは「大小王真跡帳」である。
「大小王」とは、大王=王羲之(303~361)、小王=王献之(344~386)を指す。つまり、この帳には父子それぞれの真筆を収めた巻物が記録されていたのである。
現代において王羲之・王献之の真筆は一つも現存しないとされる中、この記載は日本がかつてその実物を所蔵していたことを示す、動かぬ史料的証拠である。
さらに『東大寺献物帳』には、「白碧牋紙 欧陽詢真跡屏風」という記録もある。
白碧牋紙(はくへきせんし)とは唐代の高級紙で、淡い碧色を帯びた上質な料紙である。その上に、初唐三大家の一人である欧陽詢(557~641)が揮毫した屏風があった。
屏風は宮廷や上流貴族の邸宅を飾る家具であり、その表面に真筆が書かれているということは、単なる調度品ではなく文化的権威の象徴であった。
一方、『国家珍宝帳』は奈良時代末期に作られた宝物目録で、宮廷の重要文化財を列挙している。そこには「王羲之書法二十巻」という記載がある。
これは王羲之の筆跡を二十巻にまとめたもので、真筆であった可能性もあれば、極めて精緻な双鉤填墨(そうこうてんぼく)による摹本であった可能性もある。
※注:双鉤填墨とは、真筆の輪郭を筆や筆管で正確に写し取り、その内部を墨で塗りつぶす模写技法で、唐代以降、真筆保存のために用いられた。
現代では、これらの宝物はいずれも行方不明である。だが、記録が残っていること自体が極めて重要だ。
なぜなら、この記録によって奈良時代の日本が世界的にも希少な文化財を所蔵していた事実が確定するからである。
こうした史料は、現在も国立公文書館や宮内庁正倉院事務所のアーカイブで閲覧可能だ。
たとえば、『東大寺献物帳』の原文や現代語訳は、東京文化財研究所の公式サイトで公開されており(参考:東京文化財研究所・正倉院宝物関連史料)、『国家珍宝帳』における「王羲之書法二十巻」については奈良国立博物館の過去の正倉院展図録でも言及がある。
記録とは不思議なもので、現物が失われてもその存在を証明し続ける。
逆に言えば、このような記録がなければ、王羲之・王献之・欧陽詢の真筆がかつて日本にあったことは、単なる伝説として埋もれてしまったかもしれない。
『献物帳』や『珍宝帳』は、単なる在庫リストではない。
それは奈良朝の宮廷が、世界最高峰の書をいかに尊び、国の宝として位置づけていたかを示す文化的宣言でもあった。
だが、この文化的宣言はやがて、ある問いを私たちに突きつける。
――なぜ、これらの真筆は現代まで残らなかったのか。
その答えを探るためには、正倉院における「出蔵(しゅつぞう)」と「除物(じょぶつ)」という制度を理解する必要がある。
次章では、この制度がどのように真筆の運命を左右したのかを探っていく。
