デジタル・ブック『失われた書聖の真筆』 制作ノート(7)
第7章 宮廷での詩と書の競演(創作)
Ⅰ 御所の朝
弘仁年間、秋の初め。
夜明けの薄明がまだ御所の甍に留まり、淡い金色を帯びた朝日が、東宮御所の広間へゆるやかに差し込んでいた。几帳(きちょう)は真新しい絹で張られ、白檀(びゃくだん)の香が空気に溶ける。庭園の池には蓮が白く咲き、金色の鯉が水面近くで尾をひらめかせる。
この日は、宮廷でも格別の催し「漢詩と和歌の会」が開かれることになった。嵯峨天皇の御前で、空海、橘逸勢が筆を振るう場である。空海は宗教人であり修行と布教に多忙を極めているので、世俗の付き合いに参加することはない。
ところが、今回、空海が参加することにしたのは理由がある。嵯峨天皇は、正倉院御物である「王羲之書法二十巻」を観せるというのである。そう、嵯峨天皇は、事前に王羲之の真跡を正倉院から出蔵して、密かに練習を重ね、果たして、自分の書の腕が遣唐使として唐に学んだ名筆の空海と橘逸勢に勝れるかと「漢詩と和歌の会」を開催したのだ。
大納言や学士、女官たちは早朝から装いを整え、色鮮やかな狩衣や唐衣が広間を彩っていた。
Ⅱ 集う人々
最初に現れたのは橘逸勢。唐留学で鍛えられた体つきは引き締まり、袍(ほう)の裾が床をかすめるたび、かすかな衣擦れの音が響く。腰には細身の筆筒、手には堅牢な革袋に包まれた硯(すずり)。
その後に、紫紺(しこん)の僧衣に身を包んだ空海が入る。胸元で数珠が静かに揺れ、一歩ごとに衣擦れの低い音が広間に溶けた。
やがて几帳の奥から嵯峨天皇が姿を現す。生成りの直衣(のうし)に唐花文様を金糸で織り込んだ帯。円熟した面差しに柔らかな笑みを浮かべ、歩みはゆるやかであるが、広間の空気は一段と張り詰めた。
Ⅲ 競演の幕開け
広間中央には三つの几帳机。上には白麻紙(はくまし)、磨き上げられた硯、濃く練られた松煙墨が置かれている。背後には書記官が控え、記録用紙を整えている。
嵯峨天皇が声を発した。
「今日は、わが宮廷の至宝たる三筆の手並みを、ここに集う者すべての目に刻もう。」
合図とともに、三人は同時に筆を手に取る。墨の香が濃く漂い、広間は一瞬で静まり返った。
Ⅳ 逸勢の筆
逸勢の筆は最初の一画から力強く、鋭さと呼吸を併せ持っていた。唐で磨かれた筆勢は、剣が走るようでありながら、琴弦のような余韻を残す。
「これぞ唐人の筆……」と貴族が小声でつぶやく。
彼の筆線は生き物のように紙上を躍動し、最後の一画を流れるように収めると、周囲の空気がわずかに緩んだ。
Ⅴ 空海の筆
空海は僧らしい静謐な所作で筆を立て、墨をたっぷりと含ませる。一筆目は大地を踏むように重く安定し、行書は柔らかでありながら芯の強さを失わない。
その筆致は経文を唱える呼吸のごとく、墨の濃淡は息遣いに呼応する。女官の一人が思わず合掌し、「仏の筆……」と口にした。
Ⅵ 嵯峨天皇の筆
天皇は静かに筆を握り、深く息を整えてから一画目を置いた。端正な楷書でありながら、日本的なやわらかさを湛えた線。唐風を受けつつも、独自の優雅さが漂う。
書き進めるごとに、広間の空気は柔らかく、しかし品位を保った緊張感に包まれた。
Ⅶ 王羲之の影
机の脇には、正倉院から蔵出された王羲之の真筆「王羲之書法二十巻」が置かれている。嵯峨天皇はそれを横目に、自らの線と重ね合わせながら筆を運んでいた。
逸勢はその姿を見て心中で呟く。
「唐に渡らずとも、この御方の修練は深い……」
空海もまた、その筆に漂う静けさに気づき、わずかに頷いた。
Ⅷ 筆の競い合いから心の交わりへ
三人が筆を置くと、広間には短い沈黙が訪れる。やがて人々が紙面に近寄り、声を潜めて評した。
「逸勢殿の筆は剣のようだ」
「空海殿の筆は経の響きだ」
「そして陛下の筆は花のようだ」
誰も優劣を口にしなかった。三人の間には競争を超えた友情が、墨の香とともに漂っていた。
Ⅸ その後の余韻
この日の競演は、口々に嵯峨天皇の詩書を讃える声が高かったが、宮廷で長く語り草となり、三人は「三筆」と称され後世に伝わった本人には真価は明らかだった。空海は断トツ抜きん出ていた。特に書のみではない、詩文の絶妙さは、他の二人も到底及ばなかった。
そして、嵯峨天皇はあれほど練習・準備をしたにも関わらず、橘逸勢の書の方が素晴らしかった。柳宗玄の影が橘逸勢の書にはハッキリと見えた。これに対して、嵯峨天皇の書は素晴らしいが、鍛錬した成果という、王羲之を学んだ能書家の書の域を出なかった。
だから、嵯峨天皇は競演の後で、王羲之の真跡を正倉院に戻す心算であったが、さらに手元に置いて鍛錬しなければならないと感じた。そしてこの考えが、王羲之の真筆が後年、除物として正倉院を離れ、その行方は不明となる。残されたのは臨書本と記録、そして今日のような情景を偲ばせる逸話だけだった。
Ⅹ 史実か創作か
三者が同じ場で競演した確証は史料にはなく、後世の伝承・脚色の要素が強い。だが同時代に生き、互いの筆を刺激し合った事実は確かで、「三筆」の呼称は平安中期に定着した。
また、王羲之真筆が正倉院から出蔵された可能性は高く、嵯峨天皇が臨書した事実は光明皇后の臨書本の存在から推測される。
資料図解:弘仁年間「書の会」広間配置(想定図)
コピーする編集する[南側庭園・蓮池]
|(障子戸)|
┌───── ──────┐
│ 観覧席(貴族・女官) │
│ │
│ ●橘逸勢の机 │
│ │
│ ●嵯峨天皇の机 │
│ │
│ ●空海の机 │
│ │
│(背後に書記官) │
└───── ──────┘
[北側几帳と奥の間]
※机の配置は、天皇を中央に左右へ逸勢・空海が座す想定。観覧席は南庭に面して設け、朝の光が机を照らす。
資料コラム:使用された筆・紙・墨について
① 筆(ふで)
長鋒筆(ちょうほうひつ):
毛先が長く、行書や草書に適する。逸勢は唐風の鋭い線を出すため長鋒筆を用いたと考えられる。
中鋒筆(ちゅうほうひつ):
毛先の長さが中程度で楷書に向く。嵯峨天皇は楷法の美を示すためこれを使用した可能性が高い。
短鋒筆(たんほうひつ):
毛先が短く硬めで、力強い起筆を出す。空海は経文写経の筆に近いものを用いたと推測される。
② 紙(かみ)
白麻紙(はくまし):
麻繊維を漉き上げた高級紙。滑らかでありながら墨の乗りがよく、古代宮廷で重宝された。正倉院にも現物が残る。
唐紙(からかみ):
唐から伝来した装飾紙。競演では無地の白麻紙が用いられたと考えられる。
③ 墨(すみ)
松煙墨(しょうえんぼく):松の煤から作られ、深い黒と柔らかな濃淡を表現できる。
嵯峨天皇の時代、墨は固形を硯で丹念に磨り、香料を加えることもあった。競演では高級な沈香墨が混ぜられていた可能性がある。
