【エッセイ】鯖嫌いの仲間が完食した🇹🇭タイの黄金鯖。2度と叶わない「成田の約束」
「食べさせてあげたかった。」
あの日、成田空港で交わした何気ない約束が、まさか遺言になるなんて。
5年ぶりに味わった思い出の味は、懐かしさと、もう二度と会えない寂しさが混じっていました。

ガパオの味と、果たせなかった約束
5年ぶりに再会を果たした名店「ウタイ」のガパオ・ムーサップ。
口に運んだ瞬間、この懐かしい味がふと、ある人の記憶を鮮明に呼び覚ました。
一回り以上も年上の、35年来の付き合いになる先輩であり、知人であり、友人。
いや、ここでは敢えて「仲間」と呼びたい。
年齢差など全く関係なく、不思議なほどに波長が合った。
食べるのが好きで、海釣りを愛し、釣った魚の料理に舌鼓を打つ。
そして旅行を愛する。
お互いの好みが、手に取るように似ていたのだ。
年上でありながら、どこかお茶目で、人を惹きつける魅力にあふれた人。
思い出すのは、なぜか笑える記憶ばかりだ。
風貌が志村けんさんにそっくりだった仲間と、熱気むせ返る台湾の夜市を歩いていた時のこと。
ステージのような場所を見つけるや、悪ノリで「変なおじさん」の振りをしてみせた。
当時、台湾でも絶大だった本家と完全に勘違いされ、熱狂する大勢の台湾人に取り囲まれて、二人で息を切らし、大笑いしながら慌ててタクシーに乗り逃げ出したあの夜。
あるいは北京の旅先でパスポートをすられ、途方に暮れた仲間から国際電話でSOSを受けたこともあった。
今となってはどれも愛おしい思い出だ。
ネットもない時代、スポーツ新聞の釣りコーナーに「竿頭(さおがしら)」として自分の名前が載った日には、嬉しそうに新聞を10部以上も買い込み、周囲に配り歩くような、どこか憎めない人。
そんな不器用で愛すべき仲間は、このウタイのガパオがことのほか大好きだった。
鯖嫌いの仲間が、黄金鯖を完食した日
そんな仲間との思い出には、もう一つ、忘れられない味がある。
かつて一緒に訪れた東部チョンブリ県のシラチャにあるローイ島。

海鮮屋台で注文した鯖の炭火焼きだ。
炭火に炙られたその鯖は、脂がのって金色に照り、
まるで東京湾で獲れる黄金鯵を思わせる照りだった。
だが仲間は言った。
「鯖焼きは嫌いなんだよ。日本では全く食べない」
10年以上お付き合いさせていただいた後の出来事だった。
全く気がつかず、苦笑いしてしまった。
確かに昭和の時代は、旬ではない鯖を塩焼きで提供していることも多々あり、それで美味しくないイメージがついてしまったのかもしれない。
だが、今となっては知る由もないのが残念だ。
「折角だから少しだけ」
と一口つまんだ仲間は、目を見張った。
「何だ コリャ」
まるでドリフターズのような一言。
「この鯖焼きは全部いただく。」
今まで損をしていたのだから譲れと。
とんでもない横暴にもう1尾追加したのを鮮明に覚えている。
そして仲間は、そこから3日間、毎日1尾ずつ丸々と平らげてしまったのだ。
それはいつしか、タイでの定番スケジュールとなった。
それから数年後。
世界がコロナ禍という未曾有の事態に飲み込まれていた、2021年の年末。
短期タイ渡航後の日本へ帰国の際、コロナの厳格なルールにより、帰国者は公共交通機関が一切利用できなかった。


どうやって家まで帰ろうか。
悩んでいた時、成田空港まで車で迎えに来てくださったのが仲間だった。
どれだけ感謝をしても足りなかった。
成田で会い、お礼を言おうとすると気を利かせて、矢継ぎ早に質問を先行させた。
多分、深々と頭を下げ、お礼を言わせたくないとした仲間の心配りが痛いほどわかった。
作り笑顔をみせると、
「よく帰れたねぇ。日本に帰国する時のPCR検査は?」
「タイの状況は? 成田の手続きはどれくらい時間かかった?どれくらいの人がいた?」
こちらがお礼を言う暇もないくらいの勢いだった。
しばらくして落ち着いた頃合いを見計らい、改まって深い感謝を伝えた。
すると彼は、ただ笑ってこう言ったのだ。
「終息したらまた、シラチャの鯖を食べに連れて行ってくれればOK」
「ただし、それでコロナに感染したら全責任を取ってもらう。」
真っ直ぐで、どこまでも温かい優しさだった。
心臓にステント。人造人間のエール
仲間との絆を深めていたのは、食や趣味だけではなかった。
私たちには、もう一つ厄介な共通点があったのだ。
同じ「狭心症」という爆弾を抱えていた。
私が発症して手術を受け、心臓にステントを入れた時のこと。
仲間はニヤニヤしながら、こう言った。
「これで、お前も俺と同じ『人造人間キカイダー』の仲間入りだな」
深刻な病でさえ笑い飛ばす、変なおじさん流のエールだった。
「酒は減らせよ。少しは有酸素運動もしないとな」
まるでドリフターズ、加藤茶の「風呂入れよ。歯磨けよ。風邪ひくなよ」をもじったような忠告は、昭和の頑固オヤジをも笑顔にした。
そう先輩風を吹かせて気遣ってくれていたにもかかわらず、仲間はどうしてもタバコだけはやめられなかった。
2023年の年末。
私のタイと日本の2拠点生活が軌道に乗った頃、仲間は嬉しい要求を突きつけてきた。
「お前がタイにいるんだから、来年は絶対に行くからな」

その言葉が、無性に嬉しかった。
あの成田での約束が、ようやく果たせる。
あのシラチャの鯖を、また一緒に笑いながら突っつく日が来るのだと、少しの疑いもなく信じていた。
しかし、約束の「来年」は、永遠に訪れなかった。
2024年初頭。
唐突すぎる訃報だった。
知らぬ間に、別の病が仲間の身体をむしばんでいたらしい。
手術が必要になった時、狭心症の状態が良くなかった。
この影響で手術が遅れたのが原因か。
それとも既に身体が限界だったのか。
詳しいことはわからない。
ただ一つだけ確かなのは、手術後しばらくして、仲間が二度と会えない世界へ旅立ってしまったという、あまりにも残酷な事実だけだった。
まだまだ、一緒に海で釣り糸を垂らし、旅をし、美味いものを食べたかった。
そして何より、約束を果たせると信じていたタイでの再会は、あっけなく断ち切られてしまった。
不意に突きつけられた「喪失」という現実の前に、ただ、呆然とする他なかった。
仲間のエールと、独り飲む苦いビール
狭心症を抱えながら、60代という人生の後半戦を、今日もバンコクの空の下で過ごしている。
「酒は減らせよ。少しは有酸素運動もしないとな」
仲間の言葉を胸に、少しだけだが酒を控え、ウォーキングの歩数を刻む。
改めて、痛感する。
縁や機会というものは、一度手を離してしまえば、二度と手繰り寄せることはできないのだと。
これから先、こうしてお世話になった恩人や先輩や友人たちとの別れが確実に増えていくだろう。
年齢とともに避けられない現実だということは、頭ではわかっている。
だが、どうにもならないと分かっていても、これほどまでに受け入れがたいものだとは思わなかった。
5年ぶりの名店で味わった、奇跡のような再会の喜び。
その対極にある、もう二度と会えないという残酷なほどの寂しさ。
後悔のない別れなど、この世に果たして存在するのだろうか。
今晩は少しばかり相棒のビールが苦く感じた。
言い忘れたこと。
「早く日程を決めましょう。」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
仲間の分まで、私はタイで生きていこうと思います。
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本記事は、前回の【奇跡】閉店したはずのバンコク名店と再会。5年ぶりに震えたガパオの味の、対極にある記録です。
60代が抱える持病については、完全制覇?昭和の「ポンコツ親父」のタイ2拠点生活。持病は、厄介者から「相棒」へをお読みください。
持病を「相棒」にするまでのストーリーは下記のマガジンにまとめてあります。
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