[映画]『2001年宇宙の旅(4K/BESTIA)(スタンリー・キューブリック監督/1968)』

データ
原題: 2001: A Space Odyssey
監督: Stanley Kubrick
製作年度: 1968
製作国: アメリカ=イギリス
アスペクト比: 1:2.20f(70mm)/1:2.35f(35mm)
上映時間: 2h29
公開日: 1968年04月11日
配給: MGM映画
はじめに
久しぶりの劇場鑑賞。「入場曲」で始まり、途中休憩を挟み「間奏曲」、そしてエンドクレジットが終わっても続く「退場曲」まで全2時間29分を大画面で堪能した。
概要
入場曲
真っ暗な画面にジェルジ・リゲティの不気味な「アトモスフェール (Atmosphères)」が流れる。ハンガリー出身の現代音楽家リゲティの前衛的な、私のような凡人には理解不能な曲(音響)が数分続く。それでもワクワクが高まっていくのがわかる。
タイトル
いつものライオンの雄叫びではなく、青が基調のシンプルなデザインのMGMロゴが表示され、かの有名なリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき (Also sprach Zarathustra)」が流れる。タイトルは手前から地球、月そして太陽が被る映像にMGM、プロダクション、そしてタイトルがシンプルに表示される。この曲とクレジット表示のタイミングが絶妙。何度観てもかっこいい。
クレジットで使用されるフーツラ系のフォントの無機質さも映画の特徴を感じさせる。
人類の夜明け (The Dawn Of Man)
400万年前。ヒトザルたちは他の動物と変わらない生き方をしていたが、ある家族の前にある朝、突然、モノリスが現れる。ヒトザルは恐る恐るモノリスに触る。すると落ちていた骨で動物を殴り倒すことで食料を確保すること、そして、水場を争う別の家族のリーダーをやはり骨で殴り倒すことでテリトリーを確保することを覚える。歓喜のあまりに放り投げた骨をカメラはスローで追い、次の瞬間、2001年、地球上空を浮遊する軍事衛星に切り替わる。
ヒトザルがモノリスに触るシーンで流れる不協和音のコーラスは同じリゲティの「ソプラノ、メゾ・ソプラノ、2つの混声合唱と管弦楽のためのレクイエム (Requiem)」。ハンガリー動乱を経て西側に亡命したリゲティが1963~65年に作った曲で、死者の安息を願う本来のレクイエムではなく、死の恐怖を題材にした曲らしい。
モノリスはwikiによると元々の意味はエアーズロックのような単一の巨大な石だったり、ピラミッドのような古代の宗教的な記念碑を意味しているそう。この作品では各辺比が1:4:9(1、2、3の二乗)という明らかに人工の漆黒の一枚板を指していて、劇中では"TMA-1(Tycho Magnetic Anomaly:ティコ磁気異常1号)"と呼ばれる。異星人がヒトザルを進化させ、その進捗を通知するために配置したものだ。
モノリスに触れることでヒトザルは他の動物たちとは異なる進化を歩み始める。そして映画史に残る400万年の時を一瞬にして超えていくジャンプカットに繋がっていく。この衝撃は全く前知識無しで初めてこの映画を映画館で観た者にしか享受できない。私は悲しいことに初めて観たのが1981年のテレビ放映だったし、それまでに余計な知識を詰め込み過ぎていた。
2001年の宇宙空間では様々な衛星が浮かんでいて、バックで流れるヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ (An der schönen, blauen Donau)」の優雅さも相まって、人類の進化を高らかと謳っているシーンのように思えるが、当初のシナリオによると、それらは各国の軍事衛星であり、地球に向けた核兵器を搭載しているとのこと。
今回は赤い星マークのソ連の衛星は確認できたが、それを踏まえれば、ヒトザルが骨を武器として使用することから始まった"進化"が、自らを破滅しかねない核兵器の開発に到達したということがこのオープニングの意味するところであり、それを優雅なワルツに乗せて描くところにキューブリックの冷笑的な視線(もしくはテクノフォビア、科学技術恐怖症)を感じてしまう。
一方で描写のリアリティの徹底ぶりは何度観ても感動する。宇宙空間は無音である―これを徹底することでテンポがゆったりになってしまった。
宇宙船は轟音をたてないし、もちろん、最後尾から火も煙も出ない。
『2001年宇宙の旅』以降、このリアリティを遵守したSFがどれだけあるか。
米国宇宙評議会のヘイウッド・R・フロイド博士(ウィリアム・シルヴェスター)を乗せたオリオン3型宇宙機が宇宙ステーション5に到着する。博士はステーションでアンドレイ・スミスロフ博士(レナード・ロシター)たちソ連の科学者たちに捕まり、あれこれ詮索を受けるが、適当にかわして、アリエス1B型月シャトルで米国の月面基地クラビウスへ移動、さらにロケット・バスでクレーター"ティコ"へ向かう。
クレーターの地下30mから発掘されたのがモノリスだった。完全な人工物であり、それは地球人以外に知的生命体が存在することを意味する。
この事実を発表した際の無用の混乱を避けるための事前調査がフロイドの任務だった。秘密維持のためクラビウス基地は外部との通信を絶ち、未知の感染病発生という偽情報をばらまき、スミスロフが指摘していたのがまさにその事実確認だった。
フロイドはモノリスに触れ、そしてモノリスの前で記念撮影をしようとした瞬間にモノリスから強烈な信号が発信され、一同ヘルメットをしているにも関わらず思わず耳を塞ごうとする。
400万年前に異星人が地球に設置したものと同じモノリスで、このモノリスに触れることがすなわち、ヒトザルが月にたどり着くまで進化したことを意味し、モノリスはその旨を異星人に知らせるツールだった。信号は木星にむけて放たれていた。
繰り返し観ていると「ドナウ」からの一連の描写は演出的にダサく感じる。オリオン3型宇宙機内で無重力を現すためのCAの描き方とか、宇宙食、テレビ電話など"さあどうだ、リアルだろう!?"というどや顔が見え隠れするような、これ見よがしな感じだった。
キューブリックとしてはもちろんそんな気はなかったろうが、SF映画=幼稚な絵空事という概念を覆すために徹底的にフィジビリティに拘り、その結果を映像で示そうとしたのだろう。それにしても無重力トイレを使うための注意書きが10個もあるのは…。
そんな風に感じたのは引き続き「ドナウ」が流れていたせいかもしれない。一方で"ティコ"に向って月面を飛ぶシーンではそれから始まる出来事のサスペンス感を高める目的なのか三度のリゲティ。合唱曲の「永遠の光を(ルクス・エテルナ/Lux aeterna)」が使用されている。
木星探査計画18ヶ月後 (Jupiter Mission)
探査船ディスカバリー号。乗務員は船長のデヴィッド・ボーマン(キア・デュリア)とフランク・プール(ゲイリー・ロックウッド)、出発前からコールドスリープに入っている科学者3名。船は最先端の人工知能HAL9000によって制御されていた。
ここのボーマンたちの生活ぶりは若干中だるみを感じた。HAL9000は問題を起こすまでに、宇宙船内での気怠い日常、HAL9000への依存、そして送信されてきた出発前のインタビュー映像で旅の目的などを観客にわからせる必要があるためだが、ボーマンの両親からのビデオレターまではいらなかったのではないかと思った。
一方でボーマンを演じるデュリアとプールを演じるロックウッドの無感情さはいかにもキューブリックならでは、と思った。ボーマンは両親から誕生日を祝われても笑みをこぼさない(長旅で感情表現が麻痺したとも解釈できるが)し、プールもHAL9000の故障の対処をボーマンと密談する際も感情を見せない。冷酷にHAL9000をリブートすることを提案する。プールはインタビューで語っていたような相棒ではなく、ただの機械として切り捨てようとする。
ある日、HAL9000はボーマンに今回の探査計画に疑問があると報告し、その直後、アンテナAE35ユニットが近々故障すると報告。地球側と対策を検討し部品交換をすることとなる。しかしボーマンが回収した部品にはどこにも問題はなかった。
ボーマンは地球側と協議し、地球側の同じHAL9000がディスカバリーのHAL9000の判断ミスであるという結論を出したことを受け、プールと打ち合わせを持つ。HAL9000に聞かれないようにスペースポッドの中で密談する。出した結果はHALの思考部分にあたる論理ユニットを切り離し、船の推進に必要な制御ユニットだけにする、というものだった。しかし二人の会話の内容をHAL9000は読唇で理解する。
HAL9000がエラーを起こしたのはコンピューターとしての神経衰弱と言われている。HAL9000はフロイド博士よりディスカバリー号の本来の目的を事前に知らされていたが、他の乗務員には知らせないように厳命されていた。木星に近づき、コールドスリープの科学者たちが蘇生した時点で、ボーマンとプールにも事実を伝える予定だった。
もともとのシナリオではボーマンが探査の真の目的を問い質し、HALが"嘘"をつくというものだったらしいが、映画ではHALからボーマンに"なんかおかしくないですか?"と問い質す描写に変わっている。
演算機であるHAL9000に利用者に対して事実を隠し通すという矛盾した命令を与えられたことで論理矛盾に陥り、その流れでユニット故障という誤判断に至る、ということだろうが、もともとのシナリオのほうが解りやすかったと思う。
今回もここら辺はモヤモヤ感が残った。
それにしてもボーマンとプールに比べ、HAL9000の感情表現の豊かさ!
休憩
10分ぐらいだったか。その後、「間奏曲」として再びリゲティの「アトモスフェール」が流れ出し場内の照明が落ちる。
木星探査計画18ヶ月後 (Jupiter Mission) 続き
プールは宇宙空間でユニットをもとに戻そうとするが、HAL9000の指令を受けたスペースポッドのアームがプールの命綱を切り離し、プールは死亡する。
ここで実に映画的なカメラワークが見られる。HAL9000がプールを殺そうと判断する瞬間、カメラは五段階に渡ってHAL9000のアップをつなげる。確か、デ・パーマの『フューリー』でも似たようなショットがあった。
↓(注)『フューリー』のラストシーン。グロシーンがあります。
別のスペースポッドで宇宙に出たボーマンはプールの遺体を回収しディスカバリーに戻ろうとするがHALは命令を無視する。HALはさらに3人の科学者のコールドスリープの生命維持装置を切り殺害する。
ボーマンは止む無くプールの遺体を離し、スペースポッドのアームでディスカバリー号の出入り口のドアを手動で空け、ポッドを接触させて、ハッチを爆破させてその勢いでディスカバリー号に侵入する。
ディスカバリー号に戻ったボーマンはHAL9000の嘆願を無視して「Logic Memory Center」に入り、主記憶装置と論理記憶装置をコンピューター本体から切り離していく。
HAL9000は工場出荷状態に戻り自己紹介に次いで、設計者から教えてもらったという歌「デイジー・ベル (Daisy Bell)」を披露する。そして続いてフロイド博士の録画映像が再生される。博士は"ティコ"でモノリスが発見され、そのモノリスから信号が木星に向って発信されたことを伝える。そして今回の探査の真の目的は木星でその信号の届き先を調査することだった。
「デイジー・ベル」は1892年の流行歌だが、1960年にIBM-7094が歌ったことで知られている。上記のシーンはその再現だろう。もともとは技術提携でIBMも参加していたが、コンピューターが殺人を犯すというストーリーを知るとIBMのロゴ使用を拒否したとか。
木星と無限の彼方 (Jupiter and Beyond The Infinite)
木星まで到達したディスカバリー号。ボーマンは木星近辺に浮かび巨大なモノリスを発見する。ボーマンはスペースポッドでモノリスに接近する。するとモノリスは暗闇の中に消えていき、代わりにカラフルな色彩の光の渦(スターゲイト)に巻き込まれていく。
モノリスが現れるシーンではまたしても「レクイエム」が流れる。そしてスターゲイトのシーンでは「アトモスフェール」が使用される。このスターゲイトのシーンは宇宙の誕生から地球の誕生までを描いている、そしてボーマンに体験学習させている、ということらしい。
このスターゲイトのシーンは前半は圧倒的な映像だが、後半、地球の映像(グランドキャニオン?)が出てきて興醒めする。前半の極端なまでに抽象的な映像構成に比べて、後半の(私でも見たことがある)実風景はなんとも陳腐に感じてしまった。
ここも異星人が宇宙のはじまりから地球の誕生、荒れ地や海など生物が誕生するまでをダイジェストでボーマンに見せることで、宇宙人がそれらに関わっている事、そしてボーマン自身が宇宙人によって次のステップに向おうとしていることを認識させる、という目的はあった。
ボーマンはポッドがヴィクトリア朝の部屋の中にいることに気づく。恐る恐る外に出るボーマンは浴室を探索中にリビングで物音に気づき覗き込むと黒服の男が食事をしていた。既にポッドは消え、黒服の男は年老いたボーマンだった。ボーマンは浴室のほうで気配を感じ調べるが誰もおらず再び食卓に戻る。ボーマンは再び気配を感じベッドの方に目を向けると、そこには老衰間近のボーマンが横たわっていた。
公開当初はこのシーンが一番の謎であり、それゆえに評判が悪かったのだが、"次のステップ(スターチャイルド)に向かうボーマンに対する慰労"として用意されたものというのが現在の解釈であり、クラークの小説にもその記載がある。チューブによる宇宙食しか摂取していなかったボーマンにフランス料理を味わってもらい、最後はベッドで人間としての最期を遂げてもらう…という宇宙人の心配りという説明である。小説(文字)としては納得のいくものかもしれないが、映画として有効かと言い切れるか。
なおこのシーンではリゲティの「アヴァンテュール (Aventures)」が使用されている。キューブリックは無断で使用したことがバレて裁判沙汰になった。
ボーマンは部屋にモノリスが立っていることに気づき手を伸ばす。するとボーマンはスターチャイルドに変貌する。スターチャイルドは太陽系に戻り、宇宙空間に浮かびながら地球を見守っている。
人類三度目の進化の対象に人工知能を出し抜いたボーマンが選出された、ということだろう。ここで再度、「ツァラトゥストラ」が神々しく鳴り響く。
エンド・クレジット~退場曲
エンドクレジットでは「美しき青きドナウ」がフルで流れる。エンドクレジットが出尽くし、画面が真っ暗になっても演奏は続く。退場曲の位置づけなので席を立っても良いのだが、劇場の関係でほとんどの観客は照明がつくまでジッと座っている。そして8分後、その優雅なワルツが終了すると場内で拍手が響いた。
感想
観るたびに新たな発見のあるこの映画。SF映画というジャンル映画を逸脱した唯一無比の傑作のひとつであることを改めて実感した。そしてこの作品ほど、映画を観ることはすなわち映画館に行くことであるということを強く感じさせる作品だった。
初見がTV放映だったという根本的な失敗を埋めるように劇場で上映するたびに観るようにしていたが、残念ながら、2018年に国立映画アーカイブでの70mmプリントでの上映、そしてそのプリントをもとにしたIMAX上映を逃してしまった。
そして既に説明し尽くすされた感のある、この難解な映画の謎解きを改めて自分なりにやってみると、この映画の巨大さに圧倒させられた。
キューブリックのこと
キューブリック監督で一番好きな作品は?という話題が出ると、昔は『2001年宇宙の旅』か『シャイニング』のどちらかで悩んでいた。映画史的には前者、愛着度合いだと後者。そんな感じだった。
ところがここ10年ぐらいは迷わず『バリー・リンドン』を選ぶようになった。キューブリックのジャーナリスティックな、醒めた視線は他の作品でも感じられたが、10年前にブルーレイで観直した際にそのドライで、鳥瞰的な視線で主人公の盛者必衰を描き切る、その完成度に圧倒されたためだった。
最近、4K UHDがリリースされたが、これがシネコンで上映されないものかと思っている。そして願わくばIMAXで上映されないかと。『バリー・リンドン』はそれぐらい巨大な映画なのだ。
クラークのこと
『2001年宇宙の旅』は無神論者キューブリックが創造主を理論的に描いた作品だった。クラークの短編集「前哨 (Expedition To Earth)」の中の一遍「前哨 (The Sentinel)」の設定(月面でピラミッド構造の人工建造物が発見される)だけを採用しており、原作とは言えない。
キューブリックの狙いはクラークの1952年の傑作「幼年期の終り (Childhood's End)」に近い。「幼年期の終わり」は地球に降り立った異星人オーバーロードが古い世代の人類を飼い殺しし、新世代の子供達を新たな次元に導く、という話だが、『2001年~』で異星人はボーマンを"次の人類"として選ぶのに対して、「幼年期~」の異星人は旧世代を冷酷に"見切る"。
この「幼年期~」は、光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」や石森章太郎の「サイボーグ009」の「天使篇」をはじめ多くの作品に影響を与えたのでないか。
クラークのオデッセイシリーズは以降、「2010年宇宙の旅 (2010: Odyssey Two/1982)」「2061年宇宙の旅 (2061: Odyssey Three/1987)」そして「3001年終局への旅 (3001: The Final Odyssey/1997)」と続いていくが、段々とB級SF映画のような展開になっていった。
さいごに
大抵のSF映画においては、異星人は人類の敵だったが、異星人が創造主(もしくは地球で長い期間、ヒトの成長を研究している科学者)が居たら…という設定がとにかく面白い。神は人類が都合よく作り上げた概念に過ぎないが、人類を作った、もしくは育てている異星人が居てもおかしくないじゃないか…と言うのがキューブリックとクラークの考え方だろう。
『2001年~』で人類(ボーマン)を進化させ、「幼年期~」で旧人類を斬り捨てたのはなぜか。ボーマンは兵器開発で進化してきた人類の暴走を食い止めるための監視員となり、オーバーロードはこれ以上の進歩が望めない旧世代を斬り捨てて、子供達だけを進化させ自らの仲間として受け入れる。どちらも人類に対するペシミスティックな評価(不信感? 絶望感?)が根本にあるように感じた。
『2001年宇宙の旅』について書くのは初めてだが、全然足りない。書きたいことがまだまだあるが、そこを書き出すと話がどんどん膨れ上がってしまう。
一方でこの映画が難解となったのは様々な理由があるなか、思った通りに作れなかったことと、キューブリックの判断で余計な説明を省いてしまったことが主たる原因だった。そんな理由を知ってしまうと普通なら"そんな裏事情で無駄に難解になったのだから解読自体が意味がない"と思うところだろうが、この映画はそれを踏まえても惹きつけられ、夢中になってしまう。私にとってはそんな稀有な映画は他に『地獄の黙示録』ぐらいだと思う。
参考書籍
キューブリックに振り回されたクラークのぼやき。"本当はこうしたかった…"
短編から『アイズ・ワイド・シャット』まで、そして日の目を見なかった企画まで、キューブリックのキャリアを総括した最良のガイドブック。
映画を観て悩んだらまず読むべき。なぜ? に対するクラーク先生の回答がすべて書いてある笑

