[映画]『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊 (ウェス・アンダーソン監督/2021)』

データ
原題: The French Dispatch of the Liberty, Kansas Evening Sun
監督: Wes Anderson
製作年度: 2021
製作国: アメリカ=イギリス=ドイツ
アスペクト比: 1:1.37f/1:1.66f/1:1.85f/1:2.35f
上映時間: 1h47
公開日: 2022年1月28日
鑑賞日: 2022年2月05日
配給: ウォルト・ディズニー・ジャパン
感想 (2022/02/05 mixiより転載)
肩に力を入れず気軽に楽しめた作品。
腕利きライターによる雑誌掲載記事を描くスケッチ風のオムニバス作品で、それぞれ趣の異なる3つの話がアニメーションを含む様々な手法でしっかりとまとめ上げている。
オムニバス映画だとそれぞれのエピソードにしっかりと帰結する「オチ」をつけるものだが、この映画のエピソードは明確なオチは無い。あくまでスケッチでとどまっている。
元ネタとなっている「ニューヨーカー」誌は読んだことは無いが、記事自体がそんなライトなエッセイで、その雰囲気を映像化したのかもしれない。
昔のウディ・アレンやジム・ジャームッシュの作風を思い出したが、アレンのようなシニカルさは無く、ジャームッシュのようなドライさも感じない、程よい作り物さ加減が心地よかった。
そして何気に豪華キャストだが、鑑賞後にパンフレットで出演していたことを知るベテラン俳優も多数。グリフィン・ダン、ヘンリー・ウィンクラー、ボブ・バラバンなんて人たちも出ていたんですね。
概要
オープニングクレジット
冒頭、親切に映画の構成の説明が出る。
これから始まる映画は、1つの追悼文(obituary)、1つの旅行ガイド(brief travel-guide)、3つの特集記事(feature articles)で構成されている。
いずれもフランス、アンニュイで発刊されたアメリカ雑誌「フレンチ・ディスパッチ」誌に掲載された記事である。
そしてクレジット。無人の印刷所での製本風景に制作会社が表示され、続いてタイトルが雑誌の表紙として表示される。バックでタイプの音が聞こえる。
挫折と死亡のコーナー
"挫折と死亡の記事 (Declines & Death section)"。アーサー・ハウイッツァー,Jr.(ビル・マーレイ)が75歳で亡くなった旨の記事がイラスト付きで掲載されている。"1900-1975 本誌の創刊者"というキャプション。
各エピソードごとに冒頭"〜section"と出る。これは総合雑誌の中で"音楽コーナー"とか"旅のコラム"など何を扱ったページかを示している。
"Declines & Death"のコーナーとはどういうコーナーなのか。Deathは追悼記事なのだろうが、Declinesがわからなかった。調べてみると、"ひとつの時代の終わり"や"社会的なトレンドの終焉"などが対象らしい。つまりDeclinesは「フレンチ・ディスパッチ」誌、Deathはアーサー、ということか。
フランスのアンニュイ=シュール=ブラゼにある「フレンチ・ディスパッチ」誌編集部が入居しているビルの外観。"始まりは休日だった"というナレーション(アンジェリカ・ヒューストン)とともに映画は始まる。
1階の「Bar <TABAC> Journaux」でギャルソン(ヤニック・マッツィリ)が飲み物を手際よく用意する中、アーサーの半生が語られていく。アーサーは大学生時代に「カンザス・イヴニング・サン」誌の社主である父親を説得しカンザスを逃れてフランスに渡った。執筆した旅のコラムが「サンデー・ピクニック」誌に掲載されたことがキャリアの始まりとなり、「サンデー・ピクニック」誌はアーサーの手により「フレンチ・ディスパッチ(フランス通信)」誌へと変貌をとげた。
ギャルソンは最上階の編集部にドリンクを運んでいく。ナレーションは編集者や記者たちを紹介していく。売れっ子記者はJ.K.L.ベレンセン(ティルダ・スウィントン)、エルブサン・サゼラック(オーウェン・ウィルソン)、ルシンダ・クレメンツ(フランシス・マクドーマンド)、ローバック・ライト(ジェフリー・ライト)。他に短時間で最良の記事を仕上げる記者もいれば30年間記事を書かず廊下に出没する記者、仲間の説明をもとに克明な記事を書く盲目の記者や唯一無比の文法専門家、そして表紙のイラストを担当するエルメス・ジョーンズ(ジェイソン・シュワルツマン)など。
アーサーのこだわりは"話が通じるように書け (Try to make it sound like you wrote it that way on purpose)"だった。
アーサーの50年ぶりの帰国は自身の葬式としてだった。この時点で「フレンチ・ディスパッチ」は世界50カ国に50万人の読者を持つ人気雑誌となっていた。墓碑銘には編集長室のドアの上に飾られた一文が刻まれる。
泣くな (No Crying)
アーサーの遺言は以下の通りだった。
1. 印刷機は解体して溶解
2. 編集室は退去して売却
3. スタッフはボーナスを渡して解約
4. 本誌は永遠に廃刊とする
こうして編集長の追悼号は「フレンチ・ディスパッチ」誌の追悼号となった。
ギャルソンが飲み物を配る中、編集会議が行われている。エディターが上がってきた記事の問題点を報告すると都度アーサーは記者の味方をする。
例えばクレメンツの原稿は2500語で依頼されたにも関わらず14000語、さらに脚注・用語集・エピローグ付きだったが、アーサーは"彼女の最高傑作だ"の一言で通してしまう。
画面ではアーサーが健在の在りし日の編集部の光景を描きながら、ナレーションでは編集長の死と社の歴史を語っており、合間にカンザスでの葬儀のシーンなども挿入されるため、若干混乱してしまう。
アーサーは遺言でなぜ自分が死んだら雑誌を廃刊させると宣言していたのか。アーサーはライターにとっての守護神であり、ライターの我儘をすべて聞き入れ、自由に書かせたことで「フレンチ・ディスパッチ」誌は成長してきた。アーサー抜きには雑誌は成立しないことをアーサーもライター達も認識していたためだろう。
レポート: 自転車レポーター (The Cycling Reporter)
"地元情報(Local Color Section)"。文章はサゼラック。「Snapshot of a City in 300 words」という副題がついている。
サゼラックが自転車に乗りながらアンニュイの街を過去と現在で対比しながら紹介していく。
仕上がった原稿を読んだアーサーは、スリや娼婦たちの描写が下品ではないかと指摘するが、サゼラックは一切受け付けず、アーサーもそれ以上言わない。
ストーリー#1: 確固たる名作 (The Concrete Masterpiece)
"アートとアーティスト (Arts and Artists section)"。文章はベレンセン。「Portrait of a Painter and a Picture」の副題がついている。
牢獄の中のアトリエ。画家はモデルに無茶なポーズをとらせている。ベルが鳴り響くとそれぞれ着替えを済ます。男は拘束服、女は看守の制服を着ている。
ベレンセンの講演。"フレンチ・スプラッター派アクション絵画(!!)"の先駆者モーゼス・ローゼンターラー(ベニチオ・デル・トロ)について講義をしている。場所はアップシャー・"モー"・クランペット(ロイス・スミス)のアートギャラリー。なぜ囚人の絵画がクランペットの常設絵画となったかを説明し始める。
刑務所の精神科病棟の囚人たちによる手工芸品展に出展されたモーゼス(2人を殺して懲役50年の服役中)の絵を、美術商で脱税で服役していたジュリアン・カダージオ(エイドリアン・ブロディ)が目にする。厳重に管理された精神科病棟に作者が居ると聞いたジュリアンは看守(デニス・メノシェ)を買収して面会に行く。そして対面したモーゼスに「裸のシモーヌ 独房J棟 趣味室」の購入を申し出るが、モーゼスは売り物ではない、と断る。しかしジュリアンはしつこく食い下がる。
All artists sell all their work.
It's what makes you an artist.
Selling it.
If you don't wish to sell it, don't paint it.
Question is, what's your price?
画家は作品を売ってこそ画家だ
売らないなら描くな
問題は価格だ
モーゼスは煙草75本を条件にするが、ジュリアンはフランス通貨の25万フランでの購入を申し出る。そしてハクをつけるためにモーゼスのバックボーンを聞き始める。
ここからはベレンセンの講演。裕福な父親はユダヤ系メキシコ人の馬牧場主で、美術学校で絵画を学ぶが、その後、不潔さ、飢え、孤独、身の危険、精神疾患、そして犯罪的暴力に身を委ねなから画家として研鑽?を積み、ある日、バーで殺人を犯す。収監11年目の初日に創作活動に参加する。その時の担当がシモーヌだった。一方、16人の兄弟姉妹と育ったシモーヌ(レア・セドゥ)は20歳まで文盲だったが今は裕福に暮らしている。
モーゼスは収監中にプロポーズしたが断られた。
ジュリアンは出所すると画廊を営むニックおじさん(ボブ・バラバン)とジョーおじさん(ヘンリー・ウィンクラー)にモーゼスの作品「裸のシモーヌ」を見せるが二人は全く理解できない。それでもジュリアンは画廊をモダンアートの専門にすると宣言する。
ベレンセン曰く"目利きではない"ジュリアンは二人の親戚を丸め込む。そして「裸のシモーヌ」は"おそらく"傑作だ、高額いや法外な値が付くだろう…。
ベレンソンの評価はともかく、ジュリアンの嗅覚はビジネスに効くらしく、モーゼスの作品で他の画廊と差別化を図ることに成功する。アンダーソンは皮肉をユーモラスに表現するので気にならないが、ジュリアンの山師的な描写がたまらない。
1週間後、モーゼスの仮釈放委員会が開かれる。モーゼスはバーテンダー2人の首を切断したにも関わらず"事故だった"と言い張り、傍聴していたジュリアンも天才に対して特例措置を…と懇願する。が、当然ながら却下される。
一方でジュリアンのプロモーションが功を奏したかモーゼスの作品は(殺人を犯す前の習作も含め)世界の画壇で注目の的となり、ジュリアンたちは現代アートの画廊の代表となっていく。
問題はモーゼスが以降、新作を描いていないことだった。イラつくジュリアンはモーゼスに三か月後に展覧会を開くから絵を仕上げろと言う。そばにいたシモーヌが完成していると言うと、ジュリアンは看守に賄賂を渡してベレンセン含む美術関係者を刑務所に招待する。
モーゼスが披露した絵が刑務所の壁一面に描かれた巨大な壁画だった。モーゼスはすべてシモーヌを描いていると説明するが、フレスコ画と聞いていたジュリアンは激怒する。刑務所から持ち出すことができないためだった。
翌日、シモーヌはジュリアンからモデルとミューズ代として報奨金を支払われると刑務所を去り、若いころに産んだ子供と暮らし始める。モーゼスとシモーヌはモーゼスが亡くなるまで文通を続けた。
一方、クランペットはジュリアンから壁画を買い取る。商談が成立したあと、周囲は囚人に囲まれる。そして暴動に発展し多くの死傷者を出すが、モーゼスの活躍で美術関係者や政府の役人は無事だった。この功績でモーゼスは仮釈放され、"檻の獅子勲章"を受勲した。
この暴動シーンは全員が静止し絵巻物のように横移動するが実は静止画ではなく、全員ポーズをとっていることがわかる。
20年後、モーは詳細な指示のもと、ジュリアンたちに壁画ごとアンニュイからカンザス州のリバティのトウモロコシ畑に囲まれた"クランペット・コレクション"まで空輸された。
アーサーはベレンセンの取材費をチェックし文句を言うが結局、通してしまう。
ストーリー#2: 宣誓書の改訂 (Revisions to a Manifesto)
"政治/詩 (Politics/Poetry section)"。文章はクレメンツ。「Journal of a Youth Movement」の副題がついている。
3月1日。学生たちと大学の交渉は早朝に唐突に決裂する。なかなか結論に至らないためにチェスで勝負することになり、のちに「チェス盤革命」と呼ばれるようになる。当初の議題は"女子寮への男子の出入り権"だった。勝負するのは学生リーダーのゼフィレッリ.B(ティモシー・シャラメ)。ルシンダ・クレメンツ(フランシス・マクドーマンド)も見守っている。
3月5日。B宅へ。ルシンダの友人であるゼフィレッリの両親(ギヨーム・ガリエンヌとセシル・ドゥ・フランス)は独身であるルシンダに友人を紹介しようとするが、ルシンダは"終わりのある関係が好きで、夫も子供も執筆に生きていく女性の二大障害物だ"と答えつつ、涙を流す。悲しいわけではなく、学生デモに対する警察が放った催涙ガスが入ってきたためだった。ルシンダは洗面所で顔を洗う。バスタブには出かけていると聞いていたゼフィレッリがいた。ゼフィレッリはルシンダの宣言書の校正を依頼する。
両親に呼ばれて現れた男を尻目に、ルシンダはガスマスクを装着したゼフィレッリととも出ていく。
この呼ばれた男を演じているのがクリストフ・ヴァルツ笑
3月10日。ベッドの上で町の混乱状況をタイプライターで打っているルシンダ。横にはゼフィレッリの姿。
半年前。ゼフィレッリはミッチ・ミッチ(モハメド・ベルハジン)が卒検に落ち徴兵される話を聞く。一か月後、ゼフィレッリはいつもオートバイ用のヘルメットを被っているジュリエット(リナ・クードリ)とミッチは徴兵に従うか、脱走すべきかで議論している。ジュリエットは脱走すべきと力説していると、"今回は彼女が正しい"と脱走してきたミッチが声をかける。ルシンダは後ほど、ミッチの兵役体験についての舞台劇「Goodbye, Zeffirelli」を翻訳し、ナショナル・プレイハウスにて上演された。
ミッチは軍の紋章を燃やす。そして翌日、脱走罪と侮辱罪で逮捕される。カフェは「新自由主義を倒す若き理想主義者運動」の本部になる。ゼフィレッリとジュリエットは議論を繰り返す中、密告やカフェの営業妨害が続く。学生たちのプロパガンダ委員会は学部の上に海賊電波塔を設置する。
バリケードを挟んで学生たちと市長がチェスの試合を続ける。一方、宣誓書を読んだジュリエットはその内容に怒る。学生たちは一枚岩ではなく意見が別れる。宣誓書にルシンダが関わっていると知ると今度はルシンダに食って掛かる。ルシンダは議論を吹っ掛けるが最終的にはルシンダとゼフィレッリが付き合っていることが許せないと言う。彼女はゼフィレッリに恋しているのだった。
ここの部分はモノクロ・シネスコで描かれる。
そんなやりとりでチェスの連絡が遅れ、市長は事実上のチェックメイトとみなしガス弾の発砲を許可する。混乱する学生たちの中でルシンダは二人に議論するよりセックスをしなさいと助言し、二人はバイクに乗って去っていく。
後にゼフィレッリは海賊電波塔の修理で感電死する。そして彼の肖像写真が運動の象徴となる。
3月30日。学生は学校に戻っていく。ルシンダはベッドでタイプライターをうっている。
ルシンダが仕上げた原稿をアーサーが読む。
ゼフィレッリはカリスマな魅力を持つ若き理想家だが、底が浅い。ルシンダが読んだ宣誓書初版は多分美辞麗句だらけの浮わ付いた内容だったのだろう。ルシンダはプロとして推敲し、方向性を変えないように注意しながら実効性のある内容に改訂していく。ルシンダがゼフィレッリ自身に惹かれたこともあるが、それ以上に稚拙ながらも理想主義に燃える純粋さに惹かれたのだろう。
そしてルシンダはジャーナリズムの中立という大義名分よりも、ライターとしてゼフィレッリの想いを綴ったもどかしい文章を伝わるように改訂していく。それはクレメンツの以下のような想いの体現だろう。
The students are right. Even when they are wrong.
そしてクレメンツの行為はアーサーが常日頃からライターに話していた以下の台詞の体現でもある。
Try to make it sound like you wrote it that way on purpose.
以下、若き革命家のゼフィレッリ.Bの生涯。
ストーリー#3: 警察署長の食事室 (The Private Dining Room of the Police)
"味覚と嗅覚 (Tastes & Smells section)"。文章はローバック。「Profile of a Great Chef」の副題がついている。
フード・ジャーナリストのローバック・ライトがテレビのトークショーでホスト(リーヴ・シュレイバー)のインタビューに答えている。自著であればバレンタインのカードに至るまで完璧に記憶しているというローバックは乞われるままに「警察署長の食事室」を朗読する。
20:55、アンニュイ警察本部。署長と食事会の招待状を手に部屋に向かうローバック。招待状にはシェフがネスカフィエ警部補であると記されている。ローバックは署内を迷いながらようやく署長の個室に辿り着く。警察の署長(マチュー・アマルリック)は同席する自身の母親であるルイーズ・ドゥ・ラ・ヴィラットと古い友人のシュ・フルール(カリフラワーの意味)(イポリット・ジラルド)を紹介する。
署長は部屋の隅にいる給仕係のモーパッサン巡査にカクテルを依頼する。またお抱え天才シェフでもあるネスカフィエ警部補(スティーヴン・パーク)巡査も紹介する。さらに署長の息子イザドール・シャリフ・ドゥ・ラ・ヴィラット、通称ジジ(ウィンセン・アイト・ヘラル)が現われ挨拶をしていく。署長の妻、自身の母親を幼くして亡くしたジジは署長に警察署で育てられた。
乾杯が終わったところで署長に電話が入る。ジジを誘拐したと伝え、3日前に逮捕されたギャング組織の会計士アルバート(通称"そろばん(the Abacus)"/ウィレム・デフォー)の釈放または処刑を要求した。
番組に戻りローバックは署内を彷徨った際に偶然通りかかった独房に昔、自分も入ったことがある…という話を始める。アンニュイに来た週にローバックは同性愛の罪で投獄された。電話をかけることができたので自分の記憶の中で唯一残っていた住所に連絡するように依頼する。それは「フレンチ・ディスパッチ」社に送った原稿の不採用通知だった。
面会に来たアーサーは採用を検討し牢獄越しに採用面談をする。そして釈放までにJ.Cedric Kringleの「足元に気をつけろ ! (Look Out Below !)」を読んで書評を仕上げろというものだった。褒めろにしろけなすにしろ意図を明確に伝えるようにと注意すると、ローバックは涙を流す。アーサーは"No Crying"と声をかける。
その独房にいま、アルバートが投獄されていた。
警察の必死の捜査の結果、アジトに辿り着く。オランダ人の黒幕たちに雇われた犯人たちは、リーダーが運転手でミュージシャンのジョー(エドワード・ノートン)、地中海の無政府主義者のマルコーニ、疎遠の従弟二人組、ショーガール(シアーシャ・ローナン)だった。ショーガールはジジの見張り役だった。
アジトでは警察とギャングの間で銃撃戦になる。ジジは縛られた腕で排水管を叩いてモールス信号を送り、一階の管理人はそれを解読して警察に手渡した。"シェフを呼んで"という内容だった。
署長は犯人たちに空腹のジジのためにシェフと食料を持っていくと伝え、ジョーはシェフがネスカフィエであることを知り承諾する。ネスカフィエは料理を犯人たちに振舞うがジョーは毒見を命じる。
その後、警察が突入すると犯人たちは死んでいた。付け合わせの大根は猛毒入りだったためだった。ネスカフィエは辛うじて生き残った。四季折々の濃厚でしつこい料理を試食し続けて胃が頑丈になっていたおかげだった。ジジが大根嫌いだったのは織り込み済みだったが、主犯のジョーも大根嫌いだったために逃げられてしまった。ジョーと警察のカーチェイスが始まり、ジジは無事に脱出し、ジョーは車ごと転落して死亡する。
この逃走劇はアニメーションで再現される。
騒動のためにすっかり忘れられて餓死寸前だったアルバートにネスカフィエはオムレツを振舞う。
出来上がった原稿を読んだアーサーは"名シェフの話では?"と聞く。そしてネスカフィエの台詞が"助けて"の一言だけであることを指摘するとカットした部分があるとローバックは答える。
一命をとりとめたネスカフィエに取材した際にネスカフィエは、大根に振った猛毒の塩にこれまで味わったことのない未知の味わいを感じたと話す。
ローバックが勇敢さを褒めると、ネスカフィエはローバックに"皆を失望させたくなかった、私は異邦人だから"と話す。ローバックは"ここは異邦人の街だよ、私もそうだ"と返す。
Nescaffier: Seeking something missing, missing something left behind.
Roebuck Wright: Maybe with good luck, we'll find what eluded us in the places we once called home.
ネスカフィエ: 私たちは探し求めている 置き去りにした何かを
ローバック: 運が良ければきっと見つかるんだろう 故郷と呼んだ場所で
ローバックは(多分差別を受けて)故国を捨てフランスに移り住んだ。ネスカフィエもバックボーンは描かれていないが異邦人で、(料理の才能だけではないだろうが)警部補になった。
ネスカフィエの台詞の訳はブルーレイからの採録だが、違う気がする。以下のような意味ではなかろうか。
Seeking something missing → 自分に不足している何かを探しつつ
Missing something left behind → 置き残した何かを懐かしがる
二人とも自分に欠けているもの(自由や尊厳)を求めて新天地にやってきたが、去った故国を懐かしくも感じられる、という郷愁なのかもしれない。
ローバックは、一度は故郷と呼んだその国でかつて見つけられなかったものをこのアンニュイという異郷で見つかるかもしれない…と応える。
これは二人だけの話ではなく、アーサーをはじめとする「フレンチ・ディスパッチ」の編集者たちにも通じる話なのだろう。
アーサーは褒め称え残すように伝える。
補足(End Note): 挫折と死亡 (Declines & Death)
編集部員が揃う。アーサーの死体の前で泣き崩れるスタッフにルシンダは"No Crying"と言う。何か書かないと…という話になり、ローバックがタイプライターに向かう。タイプしながら"みんなで書こう"と言うと、居合わせた者たちは思い思いにアーサーの話をし始める。
エンドクレジット
エンドクレジットは「フレンチ・ディスパッチ」誌の各号の表紙に併せて表示される。
そしてフランスのシンガー、クリストフへの献辞が出て映画は終わる。
for Christophe (Daniel Bevilacqua 1945-2020)
劇中、クリストフの1965年のヒット曲「渚のアリーヌ (Aline)」をジャーヴィス・コッカーがカバーしている。VCはアンダーソン演出。
オリジナル。
感想
映画会社との親密性
『ライフ・アクアティック (The Life Aquatic with Steve Zissou/2004)』の興行的な大失敗でディズニーと袂を分かったアンダーソンは以降、20世紀フォックス(サーチライト)と良い関係を築いてきたが、『フレンチ~』の製作のタイミングで20世紀フォックスはよりによってディズニーに買収されてしまった。幸いディズニーは予算面や内容に口を出さなかったらしい。それでも次作の『アステロイド・シティ (Asteroid City/2023)』はフォーカス・フィーチャーズになったのはディズニーに対して思うところがあったのだろう。
アンダーソン監督はまさにアンダーソン組とも言うべき仲間たちと映画作りをしている。もちろん映画のすべての部分がアンダーソンのコントロール下にあるが、スタッフやキャストたちと家族のような付き合いをしながら映画作りをしている。
資金源である親会社との関係もまたアンダーソンは重視しているのだろう。創造上の自由の保障が絶対的な条件であり、親会社はアーサーであり、アンダーソンはライターである。親会社は映画監督にとって守護神であるべきだろう。
かつてウディ・アレンがユナイト時代やオライオン時代に自由に映画作りをしていたが、アンダーソンもそれを理想としているのだと思う。
「ニューヨーカー」誌のこと
「ニューヨーカー」誌の名物記者がモデルとなっているらしく、エンドクレジットにはそれらライターに対しての献辞もある。

パンフレットにも記載されていたが「ニューヨーカー」誌の記事を翻訳していた常盤新平なら、各キャラクターの詳細な解説をしてくれたかもしれない。
「ニューヨーカー」誌や常盤新平の翻訳記事はしっかり読んだことはないが、1990年代の「スイッチ」誌のような感じだろうか。一点集中型なのでスタイルが違うけど。この雑誌は毎号ではないが結構揃っていたのだが、いま手元に残っているのはカサヴェテスの特集号だけ。勿体ないことした。
各エピソードについて
最初の感想通り各エピソードの描写はスケッチ程度に留まり明確なオチは無い。各エピソードの最後にアーサーが原稿を推敲するかたちで終わるが、アーサーの追悼号にして、「フレンチ・ディスパッチ」誌の最終号のために選り抜きの傑作を再掲する構成になっている。よくよく考えると、とてつもなく複雑な仕組みといえる。アンダーソンならではの作品である。
軽いタッチのオムニバス映画として気軽に楽しめた。それこそ雑誌のコラムを楽しむようにさりげなく収束する終わり方は実に心地よく、最後にアーサーが原稿(領収書)に目を通す描写が各エピソードのピリオドの役割を果たし、きっちりと引き締めた。
三つのエピソードでは最後の「警察署長の食事室」が好きだった。典型的なクライムストーリーとしての味わいを堪能しつつ、ラストのローバックとネスカフィエのやりとりが心に残った。
二人の異邦人の外国で生きる想いと微かな郷愁。ローバックはこのどちらかと言うと私的なやり取りが本来のクライムストーリーから逸脱する、と判断したのだろう。
しかしアーサーは残すように指示した。副題の「Profile of a Great Chef」に相応しいエピローグと判断したのだろう。
最後に
作品的には小品、ちょっと良い感じの佳作の粋なのだが、その情報量がとてつもない。モデルとなったライターの話だけでなく、出番の少ない端役に至るまでゴージャスな配役、垢抜けてしまったフランスのアングレームをアナログなやり方でジャック・タチの映画のような懐かしい光景のアンニュイを作り出したなどメイキングに関する数多くのトリヴィアなど、書くべき要素が多すぎた。面白いYouTubeも山ほど。

