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輝きにときめく~3次元アイドルファンによる「KING OF PRISM -Dramatic PRISM.1」「KING OF PRISM-Your Endless Call-み〜んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ」感想文~

2024年、私はプリズムショーとプリズムの煌めきに出会った。

(「キンツア」の方はサイトが「見つかりません」になっていた…もし適切な誘導先があればコメントでご教示頂けますと幸いです。)
公開年…KING OF PRISM -Dramatic PRISM. : 2024年
    KING OF PRISM-Your Endless Call-み〜んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ : 2025年
出演者…寺島惇太、斉藤壮馬、畠中祐、八代拓、五十嵐雅、永塚拓馬、内田雄馬、ほか



1 . 私と「キンプリ」の「2024年以前」~出会いはいつも突然に~


まず、最初にお詫びしたい。
というのも、本作はそれ以前に展開していたものを含めると、ゆうに10年を超えて愛されてきた一大シリーズだが、私がまともに観たのは上記2作品に加えて「KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-」程度と、通って来た作品数が圧倒的に少ない。
また、この世界には結構複雑かつ深遠な設定があるようだが、「ようだが」という言い回しからも察せられる通り、世界観設定をちゃんと理解しているとは言い難い。

こういう人間が多くの方に長年に渡って大事にされてきた作品―「応援上映」という、今当たり前に存在する上映形態を広めた、映画史に名を刻んだ作品―の感想文をしたためるというのは、もしかしたら失礼にあたるかもしれない。
しかしながら、「浅い」視聴者なりに、この作品との出会いは私が自身の感情と向き合い、解き明かそうとする中で、得難い出会いであったことは間違いないのだ。

よって、ここは1つ、こういった浅い人間の感想文が世に解き放たれることをお許しいただきたい。
許せねえ…こんなファンの風上にも置けないような奴の駄文…という方はここでお別れしてほしい。
それぞれの道を歩みましょう。
また、自分なりのリスクペクトと愛情を以って本作の感想を綴ったつもりではあるが、長年のファンの方から見て気に障る表現が含まれていたら申し訳ない。

さて、冒頭に示したお通り、私がプリズムショーの世界に「出会った」と言えるのは2024年の「KING OF PRISM -Dramatic PRISM.1」(以下「キンドラ」)だが、それ以前にも本作に触れる機会が無かった訳ではない。
2019年・社会1年目のある日、私は「KING OF PRISM by PrettyRhythm」「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」に出会った。
まあ、この時の体験を感情ベースで表すと、「突然目の前に現れた」。

大変有難いことに、今日まで友達付き合いをしてくれている友人の1人に、「キンプリ」を愛してやまない御仁がいる。
どういった経緯か…(すみません)彼女のご自宅にお邪魔する流れになった。
彼女のご自宅の近所で集まり、ラーメン屋さんだったかカフェだったか―どっちもこれまでに確かにご一緒したし、どちらも忘れがたい―そのどっちかに寄って、それからおうちにお邪魔した。

そして、気が付いたら目の前でプリズムショーが始まっていた。

まず、茫然自失。
このエフェクト、なに…!?!?
え、もしかしてこの世界ではこれがデフォなのか…?エフェクトが出ちゃう世界なのか…?!
自転車の跳躍力どうした????
ライバル陣営の建物凄まじいな…そして中で何をやっているの…?

1個1個のビジュアルと展開に頭も気持ちも追い付かないし、それらを整理/理解する間もなく次の展開に移っていく。
「目まぐるしい」「息つく間もない」を体現したような時間だった。

私はヒーローや魔法少女の変身以外でエフェクトが出る世界を知らなかった。
効果音とかそういう次元じゃないし、バトル漫画の超能力の類とも違う…。
物の譬え、何か美しさ・輝きの様なものの譬えとして、背後に花が現れることは漫画で見たことはごまんとあるけれど、多分…実際に電車が出てる…のか…?建物…壊れちゃってる…のか??
これ…バトルの一環ではないんですよね?歌って踊ったらなんか、そういう展開になることあるっていう世界…なのかな?

いや、バトルもするんかい!!!!
しかも、そこのバトルは踊りじゃなくてスピードスケートなのなに??
私さっきまでショーを観てませんでした?

これを本作を観たことが無い方に言って、果たして何を指しているのか伝わるのだろうか。

因みに、その時が「キンプリ」どころかこのシリーズ自体に触れる初めてだったため、「プリズムショー」という言葉すらその時まで聞いたことが無かった。
(幸い?なことに「プリズムショー」については、飛び交うエフェクト・飛ぶ自転車・ショーの中の急転直下な展開・サクサクと進む物語・普通にいい歌に流され、「まあ、こういう形のショーがある世界なんだな」で割とすぐに納得できた。)
全くの初見、ミリしらどころですらない。
文字通り何も知らない、徒手空拳で挑み、あれよあれよという間に「KING OF PRISM by PrettyRhythm」が終わって「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」が始まり、そして終わっていた…。

こんな調子だったので、2019年の邂逅では、目の前に広がる光景を視認するので精一杯、という感じだった。
全く響かなかったという訳では決してない。
友人への義理立て一切抜きに、1秒たりともぼーっとした時間がない2時間というのは充実感に満ちている。
何より、「なんかすごいものを見た」という衝撃はあった。

ただ、「なんかすごい」「とてつもない」という状態に圧倒されて終わってしまい、それ以上の感情や、個々のキャラクターを己で知っていこうとする動きに繋がってはいかなかった。

なお、上段でも少し触れたが、歌は素直に素晴らしいなと思った。
特にカヅキ先輩のFREEDOMはその後暫く耳に残っていた。
初見では、「リンカーン?」「…宣言…!?」「建造物修復…?!!」と、耳目に飛び込んでくる1つ1つの情報に度肝を抜かれっぱなしだったせいで、「泣く」「感激」まではいかなかったけど、この曲が出てくる展開や、曲中のパフォーマンスも格好いいな~、こういう展開でこういう曲は反則的な爽快感よね~とは思いました。

(どうでもいいが、やっとこの作品の調子にも慣れてきたぞ…と思ってたところに「プリズムショー of the people ~」には恐れ入ってしまった。急に2時間観ただけでつかめるような代物じゃないこの作品は!と思い知らされた。)


2. そして「KING OF PRISM -Dramatic PRISM.1」


そんな衝撃のご自宅訪問と鑑賞会から数年が経過した。
コロナ禍に四苦八苦し、そしてコロナ禍はどうにかこうにか一端の終息を迎えていた。
この間、「KING OF PRISM」シリーズを掘り下げることも、その前段となった「プリティーリズム・レインボーライブ」を始めとした「プリティーリズム」シリーズを掘り下げることも無く、時々友人宅での鑑賞会を思い出しては、「なんかすごかったなあ…」と回想していた。
(言い訳でしかないが、興味はあったものの、話数の多さに二の足を踏んでしまった。漫画で100巻超の作品を読んだことはあるけれど、シリーズもののアニメはこれまで余り観てこなかったもので…。)

そんな人間がふとまた「KING OF PRISM」を意識するようになったのは2024年、件の友人を含む友人グループで豊洲に行った時のこと。
「キンドラ」の映画ポスターがあったのだ。

あの作品、新作来るんだ!!!
友人が大事にしている作品に良いニュースというのは、本作に限らず、彼女/彼の友人として嬉しいこと。
しかしこの時はそれだけではなく、加えてもう1つ好奇心が湧いた。

もう1回観たら、もうちょっと何か掴めたりするのかな?

なんかすごい。
何も分からなかったなりに数年にわたる衝撃を刻み込んでくるような作品なのだ。
もう1回挑んでみたいと思わせる引力の様なものを感じてはいた。

こうして、友人への祝福とちょっとした興味で挑んだ私はーーーー終演後、ちょっとばかり目頭を熱くしながらいかに本作に感動したかを早口で語る興奮人間と化していた。


3 . ここが凄いよキンプリ(  I  )~「ショー」「パフォーマンス」の魅力の要約として~


「そうなんだよ、どうしようもないの!!理屈なんかじゃない!どうしようもなく輝いて見えるんだよ」
「恋とか夢妄想とかじゃないんだよ…なんだけど、なんだけどまじでエフェクトがかかって見えてるんだよこっちは…」

映画館から出て早口興奮マンなりながら語った言葉の正確なところは覚えていないけど、大体そんな趣旨のを口走ったかのを記憶している。

驚いたことに、数年ぶりに観た「キンプリ」では、2019年の「初めまして」の時だったら多分「………今のこれは…実際に起こってる…のか…?」と混乱し通しだったに違いないショーの最中のあれやこれやに、(基本)ずっと感動して、涙すら出そうになったのだ。
(流石にちょっと面白さが勝ったシーンも皆無ではないが…。ごめんなさい。)

1人1人のショーそれぞれで異なる景色が広がる。
可愛らしいパステルの世界、探求しようとする2つの芸の世界、にぎにぎしくゴージャスなサーカスのような世界、仲間と故郷の祭りの世界、………etc etc。挙げ出したらキリがない!

ショーの時間は短い。もしかしたら、1人当たりの時間は5分にも満たないかもしれない。
だからこの人はどういう過去のどういう人、ということは、ショーだけではつまびらかにされない。
まあ、歌詞や衣装、ショーの最中に現れるあれやこれやで、断片的に察することは出来る部分もあるが、「この人はこういう人で、私はこの人のこういうところが好き・こういうところに共感する」…と、長文で語れるレベルでその人を「知る」「理解する」ことが出来るか、と問われたら、少なくとも私は、本作だけでは難しい。

けれどもその「殆ど知らない人」のステージには、数分にギュギュッと凝縮されたその人の感性・人間性・人生―たとえ表層的・部分的であったとしても、嘘偽りではない「その人」―が確かに存在している。
他の人が同じ歌・同じダンスをしても、決して同じにならない輝きが。違う美しさになってしまうものが。
よって、ショーでその人を知ることは出来なくても、その人から発せられる輝きなら知覚することは出来る。

詳細は次の段で語るが、私は3次元のアイドルが好きで、そのPVやライブDVDを観たり、紅白歌合戦でのパフォーマンスを観て、涙が出るほど感動したことがある。
比喩ではなく、本当に泣いた経験があるし、それも1回ではない。気が付いたら涙が出ているのだ!それも、しっとりしたバラードや感動的なトークにだけ泣くのではない。明るく元気いっぱいな曲でも何か泣いてしまう。「かわいい!」「綺麗!!」を3分ほどひっきりなしに浴びると、不思議と最後は涙になってしまう、そういうことがある。

私は己が時には涙を流すほどの感動を与えてくれる人物が、一体どういう人なのか殆ど知らない。
全く知らない…と言ってしまうのは語弊があるかもしれない。かの人たちがトークや番組、Vlog、インスタなんかで見せてくれる部分で垣間見える人間性というのはあるし、それを「全部噓だ!」とか言う気はない。
でも、私たちが知りえないかの人たちは絶対に存在する。それも、多分少なくない分量。

時折考えることがある。(とっても配慮した言葉で、人から問われたこともある。)
知らない人の何に涙まで流して感じ入るのだろう?
この人が、本当は猛烈な下衆の可能性だってあるのに…
自分が推していたアイドルではないけれど、実際に「うおお…猛烈な下衆…」としか言いようがない刑事事件(!!)を起こしてしまった人を見たことがある。
そこまでの大事ではないけれども、好きなグループのメンバーの失言炎上で萎える、みたいな経験は私もある。

また、こういうことを考える時もある。
芸能界が如何に問題しかない世界だって認識していないの?認識しているなら、何故感動なんかするの?
感動して推すことが、問題を延命させているのではないか
芸能界についてはシンプルに「問題まみれ」だと思っている。特に、アイドルを取り巻く環境は。自分でも、「そもそも子供のうちから囲い込んで、10代20代の若者を酷使することを、道義的に看過していいのか」と折に触れて考え込む。

しかし、そういう「理性があるにも拘わらず、ひとたびPVを観、パフォーマンスやライブを観ると、素敵!!という気持ちに抗えない…。
理性や思考が溶かされるというのとは違う。そういうものはずっと健在。なんというか、外から電流を流されたらビリビリってなっちゃうみたいな、不可抗力…。

別に理解できない人に理解してくれ共感してくれという気は無いが、それでも説明を尽くしたい気持ちがあって、この謎めいた体験を、どうやったら分かり易く人様に示すことが出来るだろう?というのは思案し続けていた。
そんなこと私がする義務もないし、仮に「上手な説明」を思いついたとして、私の影響力など無に等しいし、私より上手くこれらの説明をできる方はごまんといるだろうが、ぼーっとしたままスルーし続けるのは余りに口惜しかった。
結局は人様の言葉を借りて説明するにしても、自分にしっくりくる説明を探したかった。

キンドラを観た時、痣になるくらい膝を打ちたくなった。
これだ!!!!!!私がアイドルを観て経験しているのはこれなんだ!!!
突然目の前ではちみつキッスがあったり、星空が出てきたり海が出てきたりしたら、「この人はどういう人なんだろう」とか「プリズムショーとはみたいなのを全部飛び越えて、すごい!!!!!って反応になるし、急に変身されたら「この子は誰?」とかあっても「かわいい!!」って反射する。力強い嵐に「格好いい!」となる。
それがショーとかパフォーマンスの力なんだ!!!

満開の桜の森、目の前を一面水色やピンクに染めるネモフィラ / 芝桜があったら、たとえその花の種類を知らなくても、第一声はきれい!になってしまう、そんなことが人間相手でも起こり得るということ。

ほんの短い時間、その空間を、この世で唯一「その人」だけが放つ輝きに当てられる行為という意味での「ショー」「パフォーマンス」、そういう輝きが理屈を飛び越えてやってくる有様、それを視覚的に表現するのに、あれほど的を得た表現はないだろう。
「kawaii」で満たされた世界も、海原から飛び出す食材も、ワイルドで荒々しい中に、無垢な「歌う喜び」が同居する様な世界も…。

これを作った方は、ショー」という場と、そこで1人1人の人間が魅せてくれる輝きを愛してらっしゃるんだろうな…としみじみ思った。
嬉しかった。
ショーと、舞台上の人間の輝きをこうも丁寧にくみ取ってくださった作品があることが。


4 . ここが凄いよキンプリ( Ⅱ )~輝きに触れたときの「単純な感嘆」への理解~


私の感想が2019年と2024年で大いに異なるのは、何もかも「なんだこれは」という状態だった2019年と違って、2024年は「心構え」が出来ていたというのはあるが、それそれだけではない。
最大の理由は、2019年から2024年の間に、私は空前の(※当社比)3次元アイドルブームを経験したことだろう。

こちらの文章でも触れたが、私は3次元のアイドルに推しがいた。
「推し」といっても、推し「活」と巷で言われるようなことをした訳ではない。
色々なグループをゆる~く眺めるという、「浅い」好きだが、それでも好きは好きだし、私にとっては「推し」だった。

これはどういう訳か、私は女性だけれど昔から同性のアイドルばっかり好きになった。何か性的指向や深遠な思想がある訳ではない。
「中学生までは豚汁に入れるトッピングが七味唐辛子だったのが、成人後は浅葱になったこと」に理由がないのと同じくらい理由がない。

最初にアイドルにハマったのは中学生の頃だった。
J-POPではAKBの神セブンが輝き、韓国からはKARAと少女時代が押し寄せた。
いやほんと、今見ても神セブン期のAKBと少女時代は自分の中で別格なんだよな…。あの頃の曲をたまに観聴きすると涙が溢れてくる時がある。自分が高齢者になって段々同じ話を反復するようになったら、いかに神セブン期のAKBと少女時代が最高だったか毎日飽きもせず喋る気がする。怖い。

それが高校時代に2次元に興味を抱いて徐々にそちらにシフト、大学以降は3次元のアイドルとは疎遠になっていた。
最初に友人宅にお邪魔して「キンプリ」の洗礼を浴びた時期は、アイドルへの興味が弱くなっていた時期だった。

それが再びアイドル沼に帰って来たのは2020年、コロナ禍の真っ最中だった。余りに暇でやることがなく、ふと少女時代でも久々に観るか…と思いついたのが運の始まり。
で、こういう「再熱」って、1回目のブームより激しくなりがちじゃありません?
この「私内・第二次アイドルブーム」は、主としてK-POPの女子アイドルにハマったのだが、少女時代を回顧礼賛するだけにとどまらず、MAMAMOO、BLACK PINK、TWICE、RED VELVET、ITZY、LE SSERAFIM…
兎に角手あたり次第良さげな女子アイドルがいたら、ちら見→好き…👼」。を繰り返した。
K-POP女子アイドル沼でぱちゃぱちゃする傍ら、J-POPアイドル好きの友人知人からは、=LOVEと乃木坂への手引きがあり、彼女らのライブDVDや写真集を観たりした。

そんなせわしなくも楽しい日々を過ごす中で、時折耳目に掠めるたび、どうしても立ち止まってしまう言説があった。
それの筆頭が
女性なのに女子アイドルが好きなんだ!!?
「あれは男性向けなんじゃないの?」
恋愛対象は異性なのに?
それらの言説に初めて遭遇したのは大学だった。
私としては相手に失礼なものを感じなかったため怒りや不快感はなかったが、物凄くビックリ仰天した。初めて「折り畳み式スマートフォン」を見たときよりびっくりした。

私は中高の6年間は女子校、大学から共学だった。
中高では嵐や東方神起を好きな子に負けず劣らず、AKBや少女時代が好きな子たちがいたし、何なら女子アイドルも男子アイドルも両方好きな子だっていた。どっちも珍しくなかったし、どっちも「隠れて」なんていなかった。
可愛いものは可愛い、綺麗なものは綺麗。そこに魅かれる時、性的指向とか恋とか、そんな複雑な感情はなく…不意に熱湯が入ったヤカンに触れて飛び上がるみたいに、もっと反射神経的に「きゃーーー!」となる。
中高時代はそれを分析すらしないくらいそういうもんだと思っていたが、どうも世の中には、「魅かれる=性的対象 / 恋愛対象として魅かれる」という図式がある程度一般的なものとしてあるみたいだった。

恋愛とか、性愛とかが悪いっていいたいんじゃない。
そういう感情込みでアイドルや歌手の方、要は「アーティスト」を応援する人だっているし、別にそれが一概に駄目とも思わない。
ただ、アーティストに「素敵だな~!」って感嘆することが、常に恋愛感情由来ではないのだ! 異なる感情を一緒くたに括らないでくれ…。
理解できなくてもいい。ただこの、単純で反射的な感嘆を、単純で反射的な感嘆として分類してほしい。そこに、常に何か他のものの存在を疑わないでほしい。
花や月を愛でる時、恋情なんて抱かない。でもその美しさへの感動が、時に詩を詠み絵筆をとる原動力になったりする。それが人間が歌い踊る様にも起こるということが、なかなか上手く伝えられない。

この辺、「キンプリ」はナチュラルに男子が男子のパフォーマンスに素敵だな~!ってときめく。
そのときめきに何か恋愛感情がある訳ではない。
前世からの因縁みたいなあれこれがある方もいらっしゃるが、大概のキャラ同士は、本当に単純に素敵だなーー!と感嘆し合う。
でもその「単純な感嘆が進路を決した人だっているし、単純な感嘆が人を大舞台に連れてきてしまうのだ。
「キンドラ」を観た後「KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-」も観たが、そこでも1人1人がどのように「単純な感嘆」に出会ったか、そして「単純な感嘆」が人の心を生かし、突き動かして来たかが描かれる。

嬉しかったのは、パフォーマンスとパフォーマンスを通じて発される人間の「輝き」に感嘆することを、一貫して単純な感嘆として扱ってくれたことだ。
上述のように、+αの感情・事情があるキャラもいるが、「感嘆=常に恋愛的なときめき」とは描かなかった。
反射的で単純なものはそういうものでしかなく、それ以外の何かが常に潜んでいる訳ではない。
でも、単純=些末という訳ではない。1人の人間の人生をガラッと変えてしまうような強い威力がある単純さなのだ。

たまに、人の人生を変え得るほどの強力なものを「複雑なもの」「深遠なもの」として描こうとするアプローチに遭遇することがある。そう描きたくなる気持ちは分からないではないが、そういうアプローチだけでは遠ざかってしまう事実・感情体験がある。

単純で反射的、同時にこの上なく力強い。
それをただただそのまま描き世に表してくれる作品があるということが、とても有難かった。


5 . ここが凄いよキンプリ( Ⅲ )~モブだけど無機物ではない「観客」についての眼差し~


「キンドラ」にもう1つ感謝しているのが、「観客」の描き方だ。
本作及び本作の翌年に公開された「KING OF PRISM-Your Endless Call-み〜んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ」(以下「キンツア」)でも、「キャラクター」と言えるのはあくまでもプリズムスタァと運営(という表現はしっくり来ないが、一旦すみません…)、あとはスタァの家族・故郷の知り合いであり、観客・一般ファンがネイムドキャラクターとして大々的に関わってくることはない。
(この辺、私が忘れてるだけ又は私が観てない作品では違ったらすみません。)

ではあるのだが、「観客も物語を構成する大事な要素として扱ってくれている。
プリズムスタァの皆さんは、先ほどまで散々説明しようとした単純なれども力強い「感動」を、誰に届けようとしてくれているのか。
それは観客。感動を届け、その感動で観客を幸せにしようと努めている。
自身の望むショーが出来なくて、観客に詫びる。(逆にこちらが申し訳なくなる…。)

再び現実世界の話に引き寄せてしまうが、アーティストが「ファンの皆さん」に対して述べてくれる感謝・意気込みを、「営業だ」「世間体のためだ」「本当はファンのことを馬鹿にしている」「金づるとしか思っていない」みたいに言うのを耳目にしたことがある。
前述の通り、アーティストの人間性の全体像なんて分かりようがないし、かの人たちも商売でやってい訳だから、まあそういう要素もゼロではないかもね、と思っている。
現実問題、ファンを不誠実に食い荒したりした(疑いがかなり強い)アイドルも見たことがあるしね…。(特別好きでも嫌いでもない方だったが、お顔は好きだったので残念だった。)

だが、くどいくらい申し上げているように、物事はゼロか100ではないのだ。
ライブをする時、アーティストの目の前にいるのは人間。無機物じゃない。仮にそのアイドルが内心は観客を「札束」「発声装置」程度にしか思っていなかったとしても、まるっきり茄子やトマトと同じ認識で歌い続け、踊り続けられるのだろうか。
仮に本人としては1人1人の観客を「人間」扱いなんかしないと思っていたとしても、聴いている存在がいる・観ている存在がいることを、無意識のうちに認識している可能性は否めない。

アーティストの方々に、我々に全身全霊で感謝してほしいとか、まして我々を愛してほしい等という気はない。個別対応してほしいとかもない。友達にもなりたくない。
「キンドラ」「キンツア」で描いてくれた「スタァにとってのファン」というのは、理想であって現実はそう清らかなばかりではないというのは重々承知している。
しかしながら、「アイドルにとってのファンというのが何か皮肉めいた存在の様に語られることも往々にしてある中で、モブではあるけれども無機物ではない存在・個別の交流はないけれども認識はしている存在としてのファンを描いてくれたことに、「アイドルのファン」への優しさを感じた。

また、「ファン」そのものの描き方についても慈しみを感じている。
前段で言及した「アーティストが好き=恋愛感情がある」の様な言説もそうだし、家突しちゃうような極々一部の迷惑ファンを挙げて「アーティストのファン=アーティストと知り合いたい願望が大なり小なりある人」みたいな言説を耳目に入れたことがある。
はたまた、認知もされず交流も出来ないのになぜか熱狂している酔狂な人みたいな見方をする人もいる。

アーティストとファンの交流を描く創作物、時に恋愛展開や激ヤバファンによる災難展開にしてしまうことがあるが、「キンドラ」「キンツア」ではとちらにもならない。
でも、じゃあただ観ている「だけ」の存在かというとそういう訳でもない。
全力で応援するし、プリズムの煌めきが失われたときは取り戻す一助になる。
ライブの主役はスタァで、あくまでもファンはファンでしかないが、「ステージショー」という「場」を一緒に作ろうとしていることが描かれている。

モブの域を逸脱する気もないし、逸脱したいとも思わないが、モブでしかなれない癖に何で存在しているの?と言われると切ない。
モブはモブであること、モブのままでも参加者にはなっていること・楽しんでいること、どちらも棄損せず拾い上げてくれる作品だった。
1モブとして「これだよこれ!」を内心何度繰り返したか分からない。


6 . ここが凄いよキンプリ( ⅳ )~表情管理と筋肉について~


アーティストがどうのとかファンがどうのみたいな理屈っぽい話とは全く異なるが、純粋にアニメーションとしても卓抜していたことも話しておきたい。

日々モデリング技術が進化し、アニメーションで「ダンス」「歌」を表現する際の滑らかさが凄まじいことになっているのは「キンツア」前から知っていたし、実際2019年に友人宅で「KING OF PRISM by PrettyRhythm」「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」を拝見した時も、「アニメーション技術も高え…」と思った。
しかし、そういう「前提知識」があった上で「キンドラ」では度肝を抜かれた。

まず、動きが滑らかなだけではない。「表情管理」の概念がある。
アイドルに「良!!!!!」となった経験がおありの方であればお判りいただけると勝手に信じているが、アイドルに「きれい!!!」「かわいい!!」「格好良い!!」ってなるのって、お顔の造作だけではないし、ダンスの物理的な(?)上手さだけでもない。
踊ってるとき、歌ってるとき、若しくはパフォーマンスの中で静止しているときの目線の遣り方・眉をしかめてみせる・口角の上げ具合―「笑顔」という一言に要約出来ない、一瞬一瞬の表情管理に翻弄されている。
私TWICWのPVとか1秒ごとに止めて観たことありますからね。
「キンプリ」にはそれがある。

また、アイドルのダンスは舞台上で移動しながら行われるが、そのポジションチェンジの時の動きや、大きい振りと大きい振りの合間の繋ぎの部分が、良い意味で流麗過ぎない。緩急がある。その結果、アニメを観ているというより、人間がやっているパフォーマンスを観ているかのような心地になった。

あと。これは人様の共感を頂ける分からないが、踊っているときに「筋肉」を感じられる。
アイドルの筋肉って、ちょくちょく筋肉(笑)」とか「見せる用の飾りとか皮肉られる。確かに、スポーツアスリートやボディービルダーみたいなつきかたはしていないし、用途に「見せる」はあるとは思う。
だが、あれだけ激しく踊るので、見せる以外の用途でも筋肉を蓄えているのだ。少なくとも、かの人たちは骨と皮だけの体をしてらっしゃらない。
特に足腰なんか筋肉あるの、素人目でも分かる。

「キンツア」で1人1人のプリズムショーを観ていると、「この人たち、筋肉あるな」というのが伝わるモデリングをしている気がした。
パフォーマンスをする人間というのを、細部までよく観察して作ってくださったんだな…と感激し通しだった。


7 . そういう作品が「2次元」で生まれたことについて


最後に、本作品が「アニメーション」作品、つまりは二次元の世界で生まれたことの個人的な感激を述べておきたい。

今は映画の感想文を書いているが、創作物の素晴らしさ・創作物で得られる感動というのは、漫画・映画・小説・ゲーム・ドラマといった「媒体」で優劣がつくものではないと思っている。であるから、2次元か3次元かで価値が変わるということも無いと思っている。

その一方で、「2次元のオタク3次元のアーティスト(特にアイドル)ファンの対立又は断絶を目にしたことがあった。
勿論、私がたまたま局所的も局所的、対立とすらいえないちょっとした行き違いを偶然目撃したに過ぎないのかもしれない。
また、2次元の作品を愛好することが一般化している昨今、K-POPファン兼同人誌作者という方もお見かけしたことがあるし、今から10年以上前、前述の中高(女子校)にもジャニーズやハロプロのアイドルのファンと2次元の愛好家を兼ねていた子もいた。
なので、「2次元のオタク」と「3次元のアイドルファン」は対立する存在ではなく、本当のところ混じり合っている可能性は十二分にある。
そうはいっても、2次元の畑からの3次元のアイドルやそのファンへの「そう来るか…」というご意見を目にしたり、悲しいことを言われた訳ではないけれど、自分たちには理解の及ばないものと認識されているな…と感じた瞬間もある。
(「3次元のアイドルファン」から「2次元のオタク」への無理解と偏見もあったじゃないか、という話については、話が逸れてしまうので今回はスルーさせて下さい。)

まあ、「女なのに女子アイドルが好きなの!?」は、非オタクでアイドルに興味がない方・女子アイドルが好きな男性等、2次元の畑以外でも遭遇してきたので、こういう「3次元のパフォーマーに良いな!とときめくこと」への理解の難しさは、「2次元と3次元」という単純な構造に収まらないだろう。
ただ、「2次元の作品」と「3次元のアイドル」両方に狂った経験を有する者として、時折対立構造があるかのように語られる(と勝手に感じる)両者間の理解を促すような作品があればなあ…というのは、「3次元のアイドルファン」の目線から思ってはいた。(あくまでも他力本願寺だけどね!)

とはいえ、2次元の媒体であれ3次元の媒体であれ、「物語」のフォーマットで表現するとなると、「人間がパフォーマンスで発する煌めきに反射的にときめく、ただそれだけ」を綴ることは、結構難しいんじゃないかという偏見にぶち当たった。
アーティストにフォーカスするれば切り口によっては葛藤や苦悩、グループ内のあれこれといった「人間ドラマ」の要素が強くなる可能性があるし、ファンにフォーカスすると場合によっては「成功したオタク」みたいな、「いやそういう人もいるけど、それが全てじゃないんだよな」というものになる可能性もある。じゃあアーティストとファンで物語を作るとなると、個別的な人間付き合いの話になる可能性もある。

勿論、「キンプリ」もキャラクター同士の「人間づきあい」「苦悩」の要素はあるのだが、「輝きにときめく」というあり方の影が薄くなることはない。 (「輝きにときめく」ことがそれらの解決の道であると同時に種にもなったりすすが…。)
ファンはモブだけど、モブなりにそこにいる。モブとしての存在を楽しんでいる。

3次元のアイドルファン」としての自分が、何に感嘆し、抗えずにいるか、どの様に楽しんでいるかを拾い上げてくれる様な作品が生まれたこと、これ自体が驚嘆に値することであるのに、さらに加えて自分が愛好するもう1つの畑である2次元からで出たことの嬉しさ!!
感謝に尽きる。

「キンツア」では最後に予告が流れたが、あの予告で語られた話が新作としてやってきたら、ウキウキで観に行こうと思う。

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