37口目 インバウンド
2025年9月10日(水)/親水公園ベンチにて
「この前のBBQは誘ってくれてありがとう。」
渉が礼を言うと、
「おう。」
とだけ雄星が短く返した。
渉はすぐに“こいつまたなんか考えてるな”と察して、「で? 今夜は何を考えてるの?」と訊ねた。
雄星は缶コーヒーのプルタブをゆっくり開けながら、ぽつりと口を開いた。
「政治家が変わっても、報道や配信される“外国人観光客のマナー問題”は治らんのやな。」
「お、きたね社会派モード。」
渉はフフッと笑いながら、足元に転がってきた落ち葉を指でつついた。
「いやな。うちの親父、奈良の実家おるんやけど、『もう旅行なんか行けへん』言うんよ。物価は高いし、ホテルも“外国人価格”か思うほどやし。自宅におるのがいちばんやって。」
「確かに、今や京都の旅館なんて一泊五万とか普通にあるもんな。」
「せや。観光立国って言うけど、地元の人が“地元で消耗”しとるんやったら、本末転倒やろ。」
渉は首をかしげて、
「でも、それだけ日本って魅力的ってことじゃないの? 海外から見たら。」
雄星は少し黙ってから、
「魅力っちゅうより、“安定してて文句言わん国”ってだけかもしれへんで。わざわざ文句言わん場所を観に来て、文句を置いて帰ってく。」
渉は笑った。「なんだよその“観光ブーメラン”。」
「まあでもな、“観る”って、そもそも“敬う”気持ちが無いと成立せんのやと思う。」
「観て、撮って、上げて、“映え”れば勝ち。っていうサイクルが早すぎるんだよな、今。」
「ほんで、置いていかれるのは“そこに住んでる人”。」
渉は少し俯いて、手に持っていたペットボトルのラベルを指で剥がしながら言った。
「俺たちが働くあの居酒屋なんて、観光客どころか外国人すら来ないけどな。」
「ハハッ、確かに。たまに外国人ぽいおっちゃん来るけど、あれ大体フィリピンパブ帰りの常連やろ。」
「それに、観光公害とか言うけどさ、うちの店じゃ“唐揚げおかわり自由”が一番の害だからな。」
雄星が笑いながら返した。「あれは胃袋公害や。」
笑ったあと、少しだけ風が通り過ぎた。
「でもな渉。ほんまに大事なんは、“自分の場所を自分で語る”ことやと思うで。何が魅力か、外の目に委ねたら、そら“都合のええ部分”しか残らん。」
「語れるほど、俺ら何か持ってるかな。」
「持ってへんと思ってるやつほど、掘ったら面白いもん出てくるねん。演劇もそうや。」
渉はふっと息を吐いて、川面を見つめた。
「じゃあさ、俺らで“観光ガイドに載らない東京の居酒屋”っていうZINEでも作るか。観光地ゼロ、外国人ゼロ、でも妙に落ち着くっていう。」
「ええやん。ページの最後に“唐揚げの食べすぎにご注意ください”って書いとけ。」
「あと、“胃薬は店内で販売してません”ってな。」
ふたりは肩を並べて、くだらないアイデアを言い合いながら、笑っていた。
秋の始まりの空気のなか、少しだけ世界が近づいた気がした。
