こどものころから長くつづけられるのがわたしの特徴かもしれない
はじめに
こどものころから心のいちばんの根っこのところはさして変わらないと思う。いわば「おとこの子」のまま。その頃の気持ちをかなり残し、あまり進歩がないのかも。
そんななか、みずからの特性というか特徴につながりやすい部分をふり返る。それははじめるとなんでもわりと長くつづけられるところ。
きょうはそんな話。
つづいた
小学校3年生の春。母親から「通ってみる?」と唐突に言われて足がむかったのはそろばん塾。大手電気会社の社宅の一角。わたしの住むべつの会社の団地にとなり合う。そのあたりにはその会社の住人のための購買所、理髪店、浴場、公園などの福利厚生施設がならぶ一画。そこの集会室が教室だった。
さまざまな企業の立ちならぶ工場地帯にほど近い。あたり一帯はそんな会社の団地ばかり。境遇や生活環境はおのずと似通っていた。ふだんの遊び相手や同級生たち、おなじ小学校区のいろんな学年のこどもたちが通う。たしか午後5時半、6時半、7時半の3部制。
30代のめがねの先生。この会社の経理がお仕事。そろばん塾は副業というか社内の福利厚生の一環で、最初はその会社の団地のこどもたちを中心に「手に職をつけさせる」意味合いがあったようだ。そののち開放して周囲から広く生徒をあつめるようになったらしい。こういう諸事情をあとから知った。
大人数
3部制なので25人ほど入る教室がいっせいに入れ替わる。おそらく総勢で6,70人はいたと思う。もちろんわたしは初心者だったので5時半から。会社づとめの先生は定時でしごとを終え、いつも大急ぎで来られる。そんな大勢の塾生たちをひとりで面倒をみていらっしゃった。
学校が終わり、家にもどるとすぐにそろばん、テキスト、えんぴつを入れた手提げ袋をもち、一目散にそろばん教室のとなりにある公園にむかう。そこにはおなじ小学校のそろばんを習う友人たちがいた。
先生が来られるまで教室は開いていない。そろばん塾のはじまるのを口実に夕暮れ時まで遊べるのだからなによりたのしい。たいてい1時間ほどで「先生が来た」とだれかが気づき、教室のまえにかけつける。かぎの束をじゃらじゃらさせつつ、先生が冗談でみんなを笑わせながら扉の鍵をあける。
プラスして
この教室に火・金の週2回ずつ通った。ふだんは「ねがいましては⋯」の先生の独特の掛け声で計算問題が読み上げられる。半年とか1年ごとに検定試験を受けにバスで試験会場にでかけ、合格すれば免状をもらえた。検定試験の帰りに先生はおやつを準備しひとりずつに手渡していた。クリスマスには競技会なる催しをやり、帰りがけに各種の賞とともに景品がくばられた。全員に袋づめの参加賞とともに。たしか文具とお菓子だったような。
こうした「お楽しみ」のある一方で、けっこうふだんの教室は緊張感が漂っていた。うしろからパチパチはじく珠のようすをじ~とみられると緊張した。もちろんそろばんなので集中力がもとめられる。慣れないうちや級があがるごとにクリアすべき技術的なところを大きなそろばんでていねいに指導なさった。
おわりに
そろばん塾通いは小3からはじめて中3の春まで。習いごとはそれだけ。学習塾は通っていない。夜間に外出できる唯一の機会といっていい。そこになにか特別感というかワクワク感があり、しかも友人たちといっしょに楽しめる。それ欲しさに通いつづけられたのかもしれない。
クラスメイトのHさんと話せたのも長くつづいた要素。なぜか小学校ではおなじクラスなのにめったに話さなかった。それが中学にすすむとそろばん塾ではほかも空いているのにおたがいとなりに腰掛け、気がねなく何でも話せた。
それを周囲は囃し立てるでもなく、先生も「そこが空いてるぞ。」とわざわざ彼女のとなりを指差す。いつのまにか同級生で通いつづけたのはHさんとわたしのふたりに。いつもほがらかで近づくといすをひいてくれるやさしい子だった。
中3で高校受験に向かうためわたしは春で通わなくなったが、彼女はつづけたらしい。翌春にはおたがいに晴れて希望のそれぞれの高校に通うことに。となりのバス停から乗り合わせ、今度はバスのなかで話す間柄に。
彼女は高校でも珠算や簿記の資格をみがいて、就職に活かせるかたちに。いわばこの会社がそろばん塾をひらいた当初のねらいどおり、首尾よく手に職をつけられ経理のしごとに就いた。遠くの大学に進んだわたしとはそこで離れ離れに。
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