費用のほとんどかからない研究対象ならびに論文執筆できるテーマがありそう
はじめに
どうやらこのクニはこのまま大学の運営費交付金を減らしつづけるつもりらしい。アメリカなどの一部の大学のように研究場所だけ提供するので、研究したければ人件費ともどもご自分で準備してくださいとの方針をほぼ踏襲するつもりらしい。
それならば元職のころから経験済みの「やり方」を踏襲・徹底するほうを選択したい。外部資金の獲得は集中がすすみ過ぎて、応募できそうなものをすみずみまで探せども入る余地がないほどで応募しても巡ってこない。とくに基礎研究対象の助成金などは応募の倍率が高い。
その結果、資金のかからない研究業績になりうる方法をとりたい。わたしはボランティアで大学のお手伝いをしている状態なので、ボランティア作業に費用をかけないようにすれば済む。交通費やちょっとした資材などは自腹で工面し、スタッフの方々が働きやすいように気を配ればよい。
きょうはそんな話。
このクニでは
もはやこの20年、どこの大学も定常的な研究費は枯渇。乾いたタオルを絞る状態から抜け出せないでいる。
ご自分で工面してくださいといいながら、工面しようにもがんじがらめの規定で、独自に研究費として獲得できたとしても3割ほどは間接経費で奪われてしまう。
そのため研究費用にそうした間接経費分を上乗せしたいのだが、多くの助成金ではそうした経費への使用が認められていない(もちろんごくわずかの例外もあるが)。汎用の機材の購入はもちろん難しい。
もともとこのクニには企業・個人が大学に寄付する基盤が整っているとは言い難い。ないわけではないが偏りが大きく、とてもじゃないがそれは地方では期待できず、ほぼないに等しいといっていい。
もちろん個別の研究者・グループにむけて見返りを期待したものはそれなりにあるが、自由に研究者の好奇心・探究心をもとにテーマを設定できる余地は可能かぎり調べたがなかなかない。こちらも汎用の機材の購入は難しい。
卑屈に見えるかも
それではどうするか。クニとて「研究をしないでください。」とは言っていない。研究はしてもよい。「お金をかけずに行いなさい。」と言いたいのだろう。それで業績になるならばなおさら。「ない袖は振れないから、知恵をそこに使い、さらなるくふうでしのぎなさい。」とのお達しだと解釈。御上は高邁で理想的な方法として勧めているのだと思いたい。ならば実践あるのみ。クニの立場からすればもっともコスパがよい。
なおさらそれに伴う支障をなくしさまざまを整備してほしい。中古品の購入や修理改修費用の申請をしやすくするとか、大学や研究機関のあいだでの現状以上の融通とか、縛りが多くてできないことに手をくわえてほしい。おなじクニの行政機関でありながら各省庁間ですらむずかしいことがある。
民間の好意のはずが
民間企業からの好意による移管は、やりたくても大学での手つづきがあまりに膨大で企業の方々に書類づくりなど面倒をおかけしてしまう。受ける側の態度としてどうだろう。
民間のそうした機材は更新の際にいっせいに変える場合もあると聞く。そのほうが効率的だかららしい。むしろ大学はそんな中古ですらもともとないわけだからそれでも喉から手が出るほどほしいもの。仲立ちしてできないものだろうか(みずからそこに関わろうかと思った時期もあったのだが)。
やろうとしない・目をむけない
そんな縁の下をささえる部分はなかなかだれもやろうとしないもの。上述のように「金がないならばないなりにくふうしろ、知恵をしぼれ」といわれているのだろうと類推し、そうすべきなんだと実践してきた。
たとえば以前の話だが、民間の情報紙の「ゆずります」のコーナー。顕微鏡が出ていた。ただちに中学生のいるご家庭を訪問して譲り受けたことがあった。あくまでもわたし個人の品になり大学の備品になるわけでない。
個人宅への訪問なのでこちらも身分を明かし名乗って訪問し、所属をあきらかにしないと受け取れない。すると「大学ってそんなにたいへんな状況なのですか。」とそのお宅の方は驚かれた。なにしろその方の小学生のお子さんがつかっていた品。それを大学の教員みずから頭をさげつつ頂戴に伺うわけだから驚かれてもしかたがない。
時代がすすんで
すでに給与からさまざま研究費にあてがったうえでの話。学生の学会発表の旅費もこちらで工面する。わたしにも家族がいるし生活費も必要。小学生のつかう顕微鏡などですら買える余地はほとんどない。
個人で研究につかうPCなどと同様、こうした汎用の機器類ほど運営費での購入は難しい時代はいまもつづく。いや当時よりもっときびしいといったほうがよさそう。今後は義務教育で設備の比較的充実している小中学校などで処分するような実験備品なども大学に融通してもらえれば、ありがたく頂戴して教育や研究に活用する時代がきそう。
すでに国公立大学で授業料の値上げや人事院勧告にもとづく給与ベアを果たせない大学が出てきた。今後は淘汰の時代がやってきそう。
おわりに
先日、学術論文に目をむけると、以前やり残したしごとをある発展途上国の研究機関の研究者がきれいなかたちで仕上げていただけていた。感謝したい。それなりの費用がかかるためこちらではできないと断念していた内容。資金がなく指をくわえて見ているしかない。もはやこうした国々の研究機関にも資金面では届かない状況なんだと再認識させられた。
もちろん国民が是とするならば膨大な費用のかかる国家プロジェクトレベルの研究があってかまわない。その一方で、その数万分の1以下の費用で済む基礎研究対象にすら、今後の世のなかにもとめられるものはまちがいなくあるはず。
前向きに考えたい。費用のほとんどかからない研究対象ならびに論文執筆のできるテーマはいくつかありそう。基礎研究のなかにはそんな新しい芽をたくさん醸成する余地がある。
そんな範疇の研究がこのクニではいちばんないがしろにされたままになりつつある。
こちらの記事もどうぞ
広告
