どうしてこうなったのだろう:常時繋がろうとするスマホにたいしてわたしの気質はどこかしっくりこない
はじめに
世のなかのあたりまえが気になりがちなアマノジャク。こどものころから変わらない。もはや人類のなかでわりと稀有な部類かも。世界のほぼあらゆるところで使われるスマホのたぐいを例にしたい。
携帯電話はわりと早いタイミングでしかたなく使いはじめた。もはや四半世紀あまり。しごとの連絡の都合のため、周囲からいわば「ねこの鈴」をつけられたようなかんじ。スマホについては世の趨勢からほんのちょっとあとから。そのあたりでここに記す疑問が湧いたのかも。
きょうはそんな話。
携帯以前
電話が団地住まいの家に登場したのは10歳ぐらいのころ。ある日の夕刻、父が急病で倒れて苦しんだ。おろおろする母に代わり病院に電話して診ていただけると確認、団地階下の叔父がかついで車で病院へ。心筋梗塞だった。1か月近く入院したと記憶している。あとからおとなたちから「よく電話できたね。」と言われた。
そのとき電話のありがたさをあらためて知る。まだそれほど自分でかけた経験のない頃。当時の電話機(黒電話、現在の一部の電話も)はいわゆるコンセントにつながず使えた。停電中でも電話線から電力を得られるから。使いかたはかんたん(受話器をあげて、電話番号の0~9の数字のダイヤルをひとつひとつまわして入力)。市外電話は交換手が出てきた。
とはいえふだんは電話をつかうのをためらっていた。電話口の相手はたいていおとな。何と話せばいいか、すこしドキドキして前もって頭に思い描かないとダイヤルの数字をまわせない。
口べたなのがさらに増幅されてしまう。
電話といえば
家に電話があること自体、記憶のなかではそんなに古くない。というのもクラスの連絡網で自宅の電話でなく、うちと同様に「呼び出し」とか「~宅」と注意書きが添えられたご家庭がわりといらした。たいてい連絡網のはしのほう。
引っ越し前の長屋住まいの頃は大家さんの電話番号だったし、団地住まい当初はお向かいの電話番号だったような。当時はまだ「電報を打ちに行く」と言って慶弔ごとでおとなたちといっしょに電報電話局に出かけた。のちには下に示すように、自宅の電話で「田んぼの「タ」」などと電報文を伝える父のようすを聞くことになった。
電話が自宅に
黒電話が団地の家にやってきたのは10歳のころ。学校から帰るとテーブルのいちばん玄関よりの位置に黒い電話が据えつけられた。受話器をとりあげると、ツーと音がする。はじめてこの電話にかかってきたときには母がにっこりしながら一段高い声で応対した。
そのようすをおとうとといっしょに母が話し終わるまでそばで聞いていた。自分で自宅からはじめてかけたのはいつだっただろう。「はじめに」に記した父の急病時はそんなに回数を経たわけではない時期のはず。
PHS持ちに
個人用としては「携帯電話」よりも「PHS(Personal Handy-phone System 」が先だった。たしか20世紀末の頃。普及して数年経ったぐらい。当時の携帯電話よりもはるかに薄く小さかった。いわゆる世にいうピッチ。もっぱらしごと用で、ウロウロしがちなわたしを職場の方々がつかまえるのになかば「もたされた」といっていい。
それでもわたしがなかなか出ないので、もっぱら相手はライトメールをつかい文字で連絡してきた。「ごくたまに」それに気づいて返事をする。あるいは駆けつけるという状態。あきらかに上に記したこどものころとくらべてわたしは放たれた風船のごとく「しっかり」していない。「なかなかつかまらない前よりマシか」とまわりのヒトビトはきっと思っただろう。
そんなに使わない
それ以降、四半世紀の月日がすぎて何台かの携帯電話にお世話になる。すでに最初のPHS以来、個人もちの電話に対してプラスの印象をもちあわせていない。充電のわずらわしさも相まって、やむなく使う態度はいまも変わらない。固定電話や公衆電話以上の使いかたになっていかないし、もっぱら待ち受け用。
ノートPCをしごとの中心に据えているので、携帯にかけても出ないと周囲の方々は「あきらめて」いるらしい。電話機能はまず使わない。くわえて見知らぬ番号や非通知には絶対に出ない。
おわりに
PCのメールもしくはごく身近なヒトだけLINEに連絡をいただく。この距離感でこころの平穏をたもっている。ほぼ固定電話の扱いと変わらない。ズボラな身にはむしろ充電の手間の分がわずらわしい。外には持ち歩かないことが多く、なぜコンセントに挿したまま使えないのかと思ってしまう。
先日、数日のあいだ充電できずに切れていたがなにも支障なかった。もっぱらネット環境がない場所でのデザリング用のwifiルーター。おそらく「個人認証機」なるものが登場すればスマホをやめて迷わずそちらに移るかもしれない。
しかもすぐにスマホあてのLINEやメールを見る習慣が身についておらず、数日経ち気づいて返事する状態(数日後に遅れていただくことも)。その結果、相手が急いでいないことがわかる。もはや手紙のほうが早いと思っていただいたほうがいいかもしれない。こうして世のながれにだんだん遅れて取り残されていくのだろうなと自覚している。
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