おとなの時間はめまぐるしく過ぎるが、あらかじめそんなふうにできていてあせらなくてもよさそう
はじめに
何度か書いている時間の感覚。しごとから離れると時間を多少なりとももてあまし、ゆったりと過ぎるものと思い込んでいた。セミリタイアの状態からひとつプロジェクトをたちあげようかの今のタイミングとておなじ感覚だろうと。でもそうはさせてくれないらしい。10代を30代の頃とくらべるとあきらかに早い感覚。だがある考えでもっともかもしれないと思えてきた。
きょうはそんな話。
時がとまったような
ある企てをきっちり準備万端ととのえてはじめるほうでない。いつもそうで徐々にかたちにして軌道にのせる感覚ですすめてきた。だから今回もそうかなと思う。先日、20年来ご無沙汰していた方とほんの少しだけ会話ができた。ふだんめったにかけない電話で。ほかに手段がなかったのでやむなく。
時がとまったような感覚を一瞬だが感じた。電話の相手の方は話しかたや声があまりにもむかしのままだったのでかけたこちらがおどろいて、要件をあやうく伝えわすれそうになった。むかしに向けて電話した感覚。話したいことはいろいろあるのに。もちろん、相手のご都合を考え、またお時間のあるときにと一報だけで終わらせた。電話はそれがわからないので長くならないように気をつけているのだが。
急がなくても
そんな経験の一方でふだんの日々はかなりのスピードですすむ。1週間が3,4日程度の感覚。しかも年々加速する感触。すぐに週末が訪れる。たいてい曜日ごとにやることが決まっているので、たんたんとそれらをかたづけてる。あいだにふだんできないままのことがらを埋めていく。
するとあっというまに日が暮れてしまう。だからというわけでないが、早朝に起きるのはそれなりの対策に。午前が長いおかげでしごとはそこにまとめておこない、ほかの項目もなるべく日々のやるべきことがらをここへ集中させる。
すると午後は基本的にいろいろなことがらへ時間を投入できる。どうやらこうしてほぼ2日分のことがらで埋められそう。あっ、そうか。だから1週間が3,4日程度の感覚であっても実際には1週間分をきっちりできるわけか。裏返すと、要領がそれだけ悪くなりひとつのことがらに時間がかかるだけなのかもしれない。
もしかしたら
わたしたちのからだはそう仕組まれているのかもしれない。齢をかさねるとからだの機能は当然のごとくおとろえ、若い頃のようにははかどらない。それを経験と身につけた感覚でおぎなう。
それなりにひとつのことをやりとげるのに時間はかかるがなんとかできる。時間の感覚が若いときのままではあせりばかりが目についてしまい、事柄は前にすすみにくくなりかねない。それを防ぐために時間感覚が変わるのかも。
ということは
それならば致し方ない。そのままを受容してたんたんとコトをすすめるしかない。もはやこれが正常と思えばなにも恐れず、あせらずやれる。やりたいことは眼のまえにあり、いくつかの難点を超えさえすれば実現可能なはず。上の電話の行動もその一環にある。
「時間に関してはそういうもの」、「そんなふうにできている」と思うことにした。
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