連休後のさわやかな日を期待していたのに梅雨寒のような日々がつづくようになってしまった
はじめに
寒い時期の衣服を思いきり奥のほうへとしまい込んだばかり。間近にせまる賃貸更新を継続すると決めたのでそうしたのだが。気温は寒暖をくりかえして、ケースに入れたばかりの上着をひっぱり出す始末。
どうも思うように捗らない。さわやかな日々が…としるしたはずなのに梅雨の前哨戦のような重い雲がたちこめる日々。わたしのやる気の出鼻をくじこうとしているのか。
きょうはそんな話。
先日の記事以来
先日、いちばん行動しやすいこの時期こそ「動こう」「行動あるのみ」と記事にしたばかり。
ところがわたしには天候に関してアマノジャク的発想を思い浮かべてしまうのか、実際の天候は逆の現象がつきまとう。「晴れがつづく」と予想するとものの見事にどしゃ降りに。
「雨つづきになりそう」と必要のない勘をはたらかせるとカンカン照りに。世のなかは不可解に満ちている。わたしの予想なんてあてにならない。むしろ真逆のとおりに行動したほうが身のためかもしれない。いつもはずすということはそれ自体すごいのだが。
スケッチしたいが
先日はなかまとともにスケッチしようと身構えていた。空を見上げるとひさしぶりの五月晴れ。すこしだけ嫌な予感。そんなよくないほうはわりとそのまま当たってしまうもの。案の定、昼すぎにはぐんぐん気温が上がり、もはや半袖ひとつでもよさそう。紫外線がギラついて「外に出ないほうがよい」レベル。
むしろ真夏ならば「炎天下のスケッチ」を危険と判断し対処するだろう。しかしこの時期は思うほど気温は高くない。油断して昼の陽ざしのなかに飛び出しそうになる。それをすんでのところで思いとどまり、「室内で描こう」と相成った。天気はいいのに皮肉なもの。行き過ぎるともはや目的を果たせない。
予想ははずれるもの
天候でいちばん思い悩むのは洗濯するか否か。基本的に外干し。元の家からそうだった。わざわざ勝手口から出て10メートルほどはなれた外の物干しまで洗濯物を持っていったほど。
勝手口でたくさんの洗濯物のはいったかごを両手で抱え、勝手口の扉をあけるのはやりにくい。これを辛抱強く四半世紀つづけた。いまは賃貸マンション暮らし、移動はベランダへ数歩のみ。その上部に伸縮する長いつっかえ棒を渡し、それに洗濯物を干していく。
ここが表通りに面していなくてよかった。正面は空き家で風通しと陽あたりがよく遠慮なく干せる。この物件を選んだのも「これで遠慮なく洗濯物が干せる」とまずあたまに浮かんだぐらい。
問題は天気。これは多くの方が思い当たるはず。
おわりに
上に記したようにわたしの天気に関する予想は基本的にことごとくはずれる。したがって実際にはほぼ逆にみずからの行動をすすめていく。降りそうだなと思うと洗濯に着手し、晴れてきたと空を見上げると洗濯物をとりこむ。もはや半分は冗談だが、残り半分は真顔でわりとそれを実践している。
それがじつにみごとに功を奏している。絶妙のタイミングで洗濯をはじめて、夜をまたいで午前中にとりこむと雨が降りはじめる。つまり予想は外れているのだが、行動をほぼ真逆におこなうためにうまくいく。なんとも皮肉なもの。
まだここに来て洗濯物を雨で濡らしやりなおした経験はない。予想の逆をいく、わたしながらのやりかた。
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