予算が不足ぎみで機材を修理しながら使うのがあたりまえだった時代から

はじめに
申請書を書いて研究費を助成いただく作業はとほうもなくあてにならない。この時期に科研費の申請にはじまり、官民のものをふくめもちテーマに合わせて選びつつ、年間で数十書いてようやくひとつかふたつ。研究者のなかではわりと多く書いたほうか。その一方で、さまざまくふうして研究費を節約し、金をかけずに成果(この場合は大学院生の修士論文や研究者自身による論文投稿など)に結びつける。
きょうはそんな話。
業績を大雑把にみると
自然科学の場合には8ケタ、9ケタ単位の研究費を数年ごと、切れ目なく複数個得ながら研究をすすめる方が世のなかにはいる。そんなに人数は多くはないのだろう。それで得られた研究成果は…。だいたい多くても年間で十いくかどうか。
しかもたくさんのヒトビトの関わる共著が多い。研究論文を評価する指標はさまざまあり、人の数だけ評価のしかたがあると言ってもよいほど。それは承知の上で、本音を記しておきたい。
評価法は星の数ほどあれど
漠然とあたまのなかに,助成を受けた場合にこんな数式が思い浮かぶ。あくまでも妄想にすぎない。業績を論文数だけで追う危険性はここでは承知のうえで。1つの論文を提出するのにかけた費用といっていい。
研究のコスパ = 配分・助成を受けた研究費 ÷ 論文数 ・・・①
それぞれの論文の学術上の価値を鑑み、単純に人数で割り算するとその研究者の寄与はどのくらいだろう。ひとりだけで論文を書き上げる単著が個人の業績として評価するうえでもっとも価値があるのはどなたも異論はないだろう。
だが、ある論文が共著となるとどうだろう。ここで私見を総動員し個人の研究者のひとつの投稿論文の「個人」業績をもっともシビアに客観視するとすれば(こちらもあくまでも妄想)。もちろん大プロジェクトの運営が容易でないのは承知のうえで。こちらは「1つの論文にどれだけの人的コストをかけたか」。論文の価値とはインパクトファクターやサイトスコアやH指数。
研究者のある論文 = 論文の価値 ÷ 共著者数 ・・・②
このうちその論文への寄与度を割合で表して多少重みづけをしてもいいかも、たとえば実際に手を動かしたファーストオーサーならばすこし高めとか。単純にアルファベット順で順番を決めたならば均等に割り振ることになりそう。
節約もたのしい
上の数式にあてはめると、外部から得た研究費のそれほど多くなかったわたしの場合、①式の費用は小さくなる。いわば「コスパ」はよかった。というのも研究者なりたてのしばらくのあいだはなかなか助成してもらえず、わずかに配分される費用のみで論文・特許などの成果を出した。
つまり①式の分子がとても小さい。論文数は人なみでもわられる数、すなわち研究にあてがうことのできる予算がすくないのでおのずとコスパがよいことになる。自らに有利な式。
しかも研究費がすくないのならばくふうしてしのぐしかない。青天井で研究費がふんだんにあるということはとうてい考えられず、つねに逼迫する状態を通常状態と心得て、それに慣れることを優先する。たとえば
・機器や機材は自分たちで修理してつかう
・メンテナンスをこまめにおこない故障をふせぐ
・ほかの研究者のつかわなくなったものを譲り受ける
など。
業績へと
さて、②式のほうはどうだろう。このところ共同で研究する方との共著が多い。たいてい自らが持ち合わせない研究上の技術や知見をもつ方々。その多くはわたしの場合には個人なので共著者がやみくもに増えなかった。むしろこれは好適。ファーストオーサーをどうするかなどおたがいに気をつかうことにわずらわされることがほぼない。
②式の分子はこうして小さくできる。講座のメンバー数が基本なので3人もしくはそれにくわえてもうひとりが通例。その程度であればほかのグループの論文と大差ない。100名もならんでしまうことはない(べつにそれを悪いとは言っていない)。
こうして②式の値を良好?な値として維持できる。むしろ大きなプロジェクト研究予算をあてがわれるとややこしくなり、共著者名がずらりと最初のページを占める体裁の論文ばかりになり、思いの外、自らが筆頭著者の論文数は増えず、①、②式の値ともよくはならない。これは実際にわりと大きな予算を得て報告後に気づいた。
おわりに
集中と偏りが行き過ぎるのはどうだろう。そして大型の研究予算を充てた場合の第三者による事後評価をもっと厳格にして、その評価はつぎの予算要求の際の審査時に加味されるようにしてはどうか(それに近いことは始まっているかも)。
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