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【いまさら歌詞解釈】SWEET STEP(SWEET STEADY)その①


こんにちは。そして、お久しぶりです。

前回の投稿から半年、歌詞解釈にいたっては約一年ぶりとなってしまいました。前回の記事の最後で「気力と体力の許しを請うて早めに第3回に取り掛かりたい」などと書いていたのですが、いったいどこが早めだったのか……笑

しかも気が付けば、またしても夏です。第1回が夏休みの到来を喜んでいて、第2回が残暑にぐったりしていて、そして第3回もこの季節。私は夏にしか歌詞解釈をしない人間なのかもしれません。

さて、第3回に選んだ楽曲は、SWEET STEADY「SWEET STEP」(作詞/作曲:meiyo氏、編曲:ハヤシベトモノリ氏)です。

もはや説明の必要もないかと思いますが、この楽曲、すいすてにとって過去一の盛り上がりを見せた一曲となりました。「ミュージックステーション」への単独出演を果たし、「THE FIRST TAKE」でも披露され、これまで彼女たちを知らなかった方々のもとにも確実に届いていったように思います。あの光景を見ながら胸がいっぱいになった方も、きっと多いのではないでしょうか。

ただ、その一方で、少しばかりもやもやしていることがあります。

注目されているのが、あの呪文のようなフレーズばかりなのです。

もちろん、あの部分が強烈にキャッチーであることは間違いありません。一度聴いたら耳から離れませんし、あそこがあったからこそ多くの人に見つけてもらえたのだとも思います。ですが、この曲の歌詞はあそこだけではありませんよね。その先に続いていく言葉たちについて語られているのを、私はあまり見かけていません。

あんなに素敵な歌詞なのに、もったいない。

というわけで今回は、この「SWEET STEP」の歌詞をじっくりと読んでいくことで、その価値を改めて見つけにいきたいと思います。

……なんて言いつつ、今回はまだ歌い出しの部分までしか進めていません。詳しくは後述しますが、書いているうちにとんでもない分量になってしまいまして……!笑

はじめに ―歌詞解釈における執筆者なりの考え―

★歌詞の解釈だけ見たい方はすっ飛ばしてください!!★

過去二回の記事でも書いてきましたが、はじめて読んでくださる方もいらっしゃると思いますので、私なりの考え方を簡単にまとめておきます。

歌詞に限らず、文学作品全般を分析・解釈するとき、私は誰の(どの)視点から、どのように語られているかを意識するようにしています。加えて、歌詞ならではの考え方として、

・物語や絵本と比べて、作者やアーティストの姿を想像することができる
・それに伴い、想定されている聴者(聴き手)についても比較的想像しやすい
・1番と2番、サビとラスサビなどを比較して読むことができる

といったことが挙げられると思います。

そして最も大切にしているのが、「聴者(聴き手)として、どう解釈し意味付けるか」という点です。分析としてある程度の妥当性が必要な部分はありますが、解釈については人それぞれ、聴き手の数だけ違った形があってよい、という考え方です。

反対に、「作者の気持ちを考えて読む」という読み方に対しては、はっきりと距離を取る立場を取っています。作者がねらいをもって書いたことと、読者として読んでどう感じるかは、別のものとして考えるべきだと思うのです。ただの当てっこゲームに成り下がってしまうのは、あまりにもったいないことです。

今回は分割して投稿します

そしてもう一点、お断りを。

書き進めてみたところ、イントロ部分だけで想定していた分量を大幅に超えてしまいました。 そのため今回は、歌い出しから「eccentricにbuzzってこ?」までを①として区切ることにしました。1番以降は、次の記事でじっくり扱っていきます。
曲名(タイトル)についても、全体を読み終えたうえで考えたいことがあるため、最後の回に取っておくことにしました。

★前回同様、「私は楽曲を普通に聴いて楽しみたいんだ!」という方とは真逆の道を行く勢いで深堀りしていくため、おそらく好みが分かれるような内容になっています……ということを先にお断りしておきます……!!

歌詞解釈

今回扱うのはこの部分のみです(短すぎる)。

いちにさんはい

ダンシンオドッテ バイラリンケラム
ブジグレフショーキス  まだまだ!
ダンシンオドッテ バイラリンケラム
ブジグレフショーキス もっと!
ダンシンオドッテ バイラリンケラム
ブジグレフショーキス
愛が見たいな 見つけたいな
誰より eccentric に buzzってこ?

合図から始まる一曲

前奏があって、そこに歌が乗って……という形ではありません。この楽曲は、「いちにさんはい」という合図から幕を開けます。

合図というのは、何のためにあるのでしょうか。改めて考えてみると、誰かとタイミングを合わせて、同時に何かを始めるためですよね。一人が声を出し、その声を聞いた仲間が同じ瞬間に動き出す。そのために存在している言葉です。

つまりこの歌い出しは、聴いているわたしたちに向けて「一緒に歌いましょう、踊りましょう」と誘(いざな)ってくれているのだと解釈することができます。現に、ライブではこの後に続く「ダンシンオドッテ〜」の部分をメンバーとファンが一緒に歌うような形で進んでいきますよね。曲の一番はじめに置かれた合図が、そのまま会場での光景として実現しているわけです。

歌と踊りの曲だからこそ、まずはじめを合わせる。とても自然な始まり方でありながら、改めて見てみるとなかなか他に例のない歌い出しだと思います。

「し」ではなく「はい」であること

ここで少し立ち止まりたいのが、4つ目が「し」ではないという点です。

「いちにさんし」でも、拍としては同じように成立します(私は音楽理論に明るくないのですが、4拍子の曲ですのでこのリズムになるのは自然なことなのだろうと思います)。それでも、実際に置かれているのは「はい」なんですよね。

音楽の授業で、先生が「さん、はい」と言って歌い出しを促してくださる場面を思い出す方も多いのではないでしょうか。あの「はい」です。調子を合わせるための、ごく身近な促しの言葉

「いちにさんし」だと、そこにあるのは数だけです。数え終わったあとに何が起こるかは示されません。対して「いちにさんはい」には、数え終わった先で誰かと一緒に動き出すことがはっきりと含まれています。

相手がいるからこその「はい」であり、だからこそ温かみを感じるのだと思います。

ひらがなのかけ声

表記にも目を向けてみましょう。

「1、2、3、はい」でも「イチニサンハイ」でもなく、すべてひらがなです。前回の「ぐっじょぶ!」の記事でも触れましたが、ひらがなのもつ丸みは、そのまま柔らかさや温かさとして読者に伝わります。

★ちなみに、この行には「!」がついていません。この後に続く「まだまだ!」「もっと!」には感嘆符があるんですよね。力んで始めていないからこそ、こちらもすっと入っていける気がします。

命令ではなく、横並びである

一人で何かを始めるのであれば、そもそも合図は必要ありません。自分の好きなタイミングで始めればいいだけです。数えるだけなら一人でもしますが、そこに「はい」と促すような言葉が付くとき、その声は必ず誰かに向けられています。

そして、同じ「誰かに向けてタイミングを揃えさせる言葉」の中でも、性質は分かれます。

「起立、礼」や「気をつけ」のような号令は、発する側と従う側にはっきりとした上下があります。命じる人は、自分では動かなくてもよいのです。

一方で「いちにさんはい」は、数えている本人も一緒に入る言葉です。写真を撮るとき、合唱の入り、縄跳びに飛び込むとき、みんなで重いものを持ち上げるとき。数えた人も同じタイミングで動きますよね。完全に横並びなのです。

ここで、過去の記事で扱った「ぐっじょぶ!」の次の二つを思い出しました。

・「がんばれ!」ではなく「がんばっちゃぉ!」
・「〜して!」ではなく「笑おう!」「描こう!」

決して突き放さず、どこまでも一緒にやろうとする語りかけ方として読んだ部分です。「いちにさんはい」から受け取る温度も、私にはこれらと同じものに感じられました。

そして興味深いのは、こちらは動詞ですらないということです。「〜しよう」と誘われているわけではなく、ただ数を数えられているだけ。それでも同じ温かさが伝わってくるのだとしたら、読者であるわたしたちは、言葉の意味そのものではなく、声を掛け合うという行為の方から何かを受け取っているのかもしれません。


7月24日(金)には、Mステ単独出演も果たした(画像:公式X)

さまざまな国の言葉で

意味の取れない音の連なりに聞こえるこの部分ですが、さまざまな国の言葉で「踊る」を表した言葉が並んでいるとのことです。

彼女たちが所属するKAWAII LAB.は「原宿から世界へ」を掲げているプロジェクトですから、そこに通じるような印象を覚えます。

そして、この並びの中には日本語の「オドッテ」も含まれています。ところが表記がすべてカタカナであるために、見た目の上では他の外国語と区別がつきません。読者が自分の母語だと気付けるのは、意味がわかるからであって、字面からではないんですよね。この数行の中で、日本語は特別扱いをされていないわけです。

もっとも、ひとつながりの呪文のような響きを作るうえで、表記を揃えてしまうのが都合が良かった、という面もあるのだろうと思います。意味を追うより先に、音の連なりとして耳に入ってくる。あの中毒性は、この均一さによるところも大きいのではないでしょうか。

★ここ、「オドル」でも「オドリ」でもなく「オドッテ」なんですよね。テ形です。単純に前後のつながりが良いからという理由なのかもしれませんが、テ形は日本語では「踊って(ください)」のように、そのまま促しの形にもなり得る活用です。並んでいる中で唯一意味の取れる語が、そういう形をしているというのは、少し気に留めておきたい気がします。

「まだまだ!」から「もっと!」へ

注目したいのが、間に挟まれる掛け声です。「まだまだ!」「もっと!」という合いの手は、メンバー同士に向けられていると同時に、聴き手であるわたしたちにも向けられているのでしょう。

「まだまだ!」……現状への評価。今はまだ足りていない、という判断
「もっと!」……増加の要求。もっと出せ、という指示

まず足りていないと言われ、次に増やせと言われる。評価してから要求するという運びになっているわけです。この順序が逆だったら、少し噛み合わない感じになると思うんですよね。変化・発展するくり返しがここに見られます。

願いが一段強くなる

ここからは「愛が見たいな 見つけたいな」の二行を見ていきます。
「見る」は、そこにあるものを目に収めることです。対して「見つける」は、探した結果として発見すること。前者は目の前に現れてくれれば成立しますが、後者は自分から探しにいく行為を含んでいます。

待つ姿勢から、探す姿勢へ。 願いの強度が一段上がっていると読むのが素直でしょう。

「見つけたい」と言えるということ

そして、ここでもう一歩踏み込んでみたいところがあります。

人は、ないものを見つけようとはしません。 探すという行為が成立するのは、それがどこかにあるとわかっているからです。落とし物を探すのは、それがこの世のどこかにあると信じているからですよね。

つまり「見つけたいな」と言えている時点で、その愛が確かに存在していることを、「わたし」は疑っていないということになります。まだ手元にはないけれど、必ずどこかにある。だから探しにいこうとしているのです。

「見たいな」から「見つけたいな」への一歩には、願いの強まりだけでなく、そこにあるはずだという確信も含まれているように思います。とても前を向いた二行です。

★「見たいな」から始まって「見つけたいな」へ伸びる。同じ語が少しだけ伸びて次の願いになるという形は、曲名にもある「STEP」、一歩ずつ進むイメージとどこか響き合っているように感じました。

語尾に表れる願い

どちらも「〜たいな」です。断定でも呼びかけでもなく、願いがそのまま言葉になったような形をしています。

「見たい」「見つけたい」と言い切ってしまうのではなく、「な」が添えられている。この一文字があることで、誰かに宣言しているというより、心のうちから素直にこぼれ出た言葉という感じがします。

外れ具合を競う

最後は「誰より eccentric に buzzってこ?」です。

eccentric という語は、もともと「中心から外れた」という意味をもっています。ec(外へ)と centr(中心)から成っており、同心円を意味する concentric の対義語にあたる言葉です。
「Eccentric=風変わり」であることは、本来は競うようなものではありません。人と違うということは、比較の外側にある状態のはずですから。それを「誰よりも」と言ってしまうと、外れることによって一番になろうとするという、一周回った願いになります。

「〜ってこ?」に込められたもの

「バズろう!」でも「バズって!」でもなく、「buzzってこ?」です。

「いちにさんはい」のところで見た横並びの語りかけが、ここでも保たれています。命じることをせず、自分も一緒に行き、そのうえで「?」をつけて同意を求めているのです。

そして私は、この誘いが読者に向けられたものであると読みました。

すいすては、常に傍らにすいでぃー(ファンの総称)の存在を置いてここまでの道を歩んできたグループです。だからこの「buzzってこ?」も、彼女たちだけで駆け上がっていこうという宣言ではなく、一緒に行こうという誘いなのだと思います。冒頭の「いちにさんはい」で同じタイミングに引き入れられたわたしたちは、ここでも同じように誘われているわけです。

おわりに

彼女たちがこれを歌うということ

第1回の「YAKIMOCHI」の記事で、「わたし」をSWEET STEADYというグループそのものとして読んでみる、という別解釈を試みました。今回のイントロについても、同じように読み直してみたいと思います。

SWEET STEADYは、KAWAII LAB.から三番目にデビューしたグループです。先にデビューした二つのグループ、そして後からデビューしたCUTIE STREETと比べると、大きく話題になる機会にはなかなか恵まれずにきました。じれったい思いをされてきたすいでぃーの方も、少なくないのではないかと思います。

そう思いながら、もう一度この歌い出しを読んでみます。

まず「いちにさんはい」から始まります。一人では要らないはずの合図から。彼女たちは、いつも傍らにすいでぃーの存在を置いて歩いてきたグループですよね。ここでも、声を掛けるところから始まるわけです。

続くのは、さまざまな国の言葉で語られる「踊る」。原宿から世界へ、というKAWAII LAB.の掲げるところに通じていく言葉たちです。

そして「まだまだ!」「もっと!」と煽られます。聴き手であるわたしたちに向けられていると同時に、彼女たち自身に向けられた言葉としても読めそうです。

「愛が見たいな 見つけたいな」については、そこにあるはずだという確信が含まれていると先ほど書きました。まだ手元にはないけれど、必ずどこかにある。だから探しにいく。

そして「誰より」と願い、「eccentricにbuzzってこ?」と誘うのです。

先に書いた通り、この「buzzってこ?」は読者への誘いとして読みました。彼女たちだけで駆け上がっていくという宣言ではなく、一緒に行こうという誘い。冒頭の「いちにさんはい」で同じタイミングに引き入れられたわたしたちは、ここでもまた誘われているわけです。

そしてこの一曲が、彼女たちを「ミュージックステーション」や「THE FIRST TAKE」の場所まで連れていきました。

バズろうと誘った曲が、実際にバズった。書いていて、なんだか不思議な気持ちになります。

もちろん、これはあくまで読者としての意味付けにすぎません。ですが、彼女たちの歩みと重ねて読んでみたときに立ち上がってくるものがあるのなら、その読み方にも意味はあるのだろうと思っています。

冒頭で、あの呪文のようなフレーズばかりが注目されるのはもったいない、と書きました。ですが、こうして読んでみると、注目されているその部分にもずいぶん色々なものが詰まっていたということになりますね。

もったいないと言っておきながら、まだイントロから一歩も出られていません。次回、いよいよ1番に入ります。
皆さまがこの曲をどのように解釈されたか、どのような感想をおもちになったのか、ぜひ聞かせてください。呪文の部分だけでも、それ以外の部分でも。新しい気付きにつながって、次回の記事がもっとおもしろくなるかもしれません。

ここまでお読みいただきありがとうございました!!新時代開幕!!

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