【歌詞解釈】「YAKIMOCHI」(SWEET STEADY)
こんにちは。夏休みの到来です(都内は梅雨明けしたらしい)。
今回は私自身初めての試みとして、歌詞の解釈をしていきたいと思います。分析・解釈自体はこれまでにも行ってきたのですが、こうしてどなたからも見ることのできる形で公開をするのは初めてです。
第1回(2回以降があるかもわからないのに……笑)に選んだ楽曲は、SWEET STEADY「YAKIMOCHI」(作詞/作曲:MOCHIHAMOCHIYA氏)です!!理由は、最近よく聴いているし、かわいいから。シンプル!!笑 MVの公開日に合わせて本日公開です!
「すいすて」の愛称で親しまれているこの女性7人組のアイドルグループSWEET STEADYは、今をときめくFRUITS ZIPPERを輩出したアソビシステム所属のKAWAII LAB.というプロジェクトにおいて、3番目にデビューを果たしたグループです。
と書きつつ、きっとこの記事を読んでいらっしゃる方のほとんどは「そんなこと知ってるよ!!」という感じだと思いますので、早速本編にいきたいと思います。
※「私は楽曲を普通に聴いて楽しみたいんだ!」という方とは真逆の道を行く勢いで深堀りしていくため、おそらく好みが分かれるような内容になっています……ということを先にお断りしておきます……!!
歌詞解釈
はじめに ―歌詞解釈における執筆者なりの考え―
★歌詞の解釈だけ見たい方はすっ飛ばしてください!!★
歌詞に限らず、文学作品全般を分析・解釈をするとき、私は誰の視点によって語られているかを意識して考えるようにしています。
※本当は別記事を先に作成しており、そちらで詳説しているのですが、都合によりこちらから公開することになってしまいました。よかったら今後公開する予定の記事もぜひお読みいただけたら嬉しいです……!!
歌詞ならではの考え方として、
・絵本や物語と比べて作者やアーティストの姿を想像することができる
・それに伴い想定されている聴者(聴き手)についても比較的想像しやすい
・1番と2番(3番……)を比較して読むことができる
といったことが挙げられると思います。
加えて、歌詞であるということの特性上、曲(メロディ)との関係について考えるのもおもしろいと思います。私は音楽理論についてかなり疎い自覚があるため(笑)、本記事では扱いません。知ればもっと楽しめることは間違いないのでいつか勉強したい……。
歌割りにも目を向ければより深く、おもしろく味わえる可能性も
また、今回のようにボーカルが複数人いるアイドルグループ楽曲においては、歌割り(誰がどのパートを歌うのか)についても色々と考察の余地がありそうです。現に、KAWAII LAB.のプロデューサーである木村ミサさんは、Xにおいて歌割りについてもこだわった上で楽曲をリリースしていることがファンに伝わるような言葉を発信していらっしゃいます。本記事では、歌割りの部分にまでは言及しきれていませんが、今後、このあたりについても時間を割いて歌詞を味わってみたい思いがあります。
私の分析・解釈では、作詞家様やアーティスト様がどのような方であるのかという点をふまえつつ、一番は「聴者(聴き手)として、どう解釈し意味付けるか」ということに重きをおいて考えていきます。分析としてはある程度、妥当性が必要な部分もありますが、解釈においては人それぞれ、聴き手の数だけ違った形があってよい、という考え方です。これは、絵本や小説などの文学作品においても、音楽や美術などの文字を介さない作品においても同じであると認識しています。
小難しい書き方をしていますが、同じものを見たり読んだり聴いたりしても、これまでに見聞きしたものや経験したこと、年齢やおかれている環境などが異なる分、人それぞれで感じ方が違って当たり前ですので、「この人はこういう感想をもったんだなー」という程度に流してお読みいただければ幸いです。
曲名(タイトル)について
YAKIMOCHI
ローマ字表記です。音としては同一ですが、表記の仕方ひとつを取っても平仮名、片仮名、漢字などと様々あり、それぞれによって与える読者に与える印象が異なります(実際の場面では楽曲として聴くことの方が多いかと思いますが、本記事では歌詞を読んで解釈するため、読み手であるわたしたちのことを「読者」と表現することにしたいと思います)。日本語で表現する場合、まず表記の時点でこれだけの選択肢があるということが面白いですよね。
さて、「YAKIMOCHI」と、他ならぬローマ字で表記されていることについて、考えてみることとします。くり返しになりますが、作者(作詞家さん)としてのご意図は、「こうだ!」というものが当然ながらあると思います。ですが、そればかりに終始してしまうと、〇と✕の2パターンしか存在しない作者のお気持ち当てゲームで終わってしまいます。そのため、読者としてどう意味付けるのか、ということを大切にしていきたいわけです(しつこくてすみません泣)。
あくまで私の感覚での話になりますが、平仮名や片仮名などと比較して、ローマ字やアルファベットを使った表記からは、ポップであったり、スタイリッシュであったりといった印象を受けます。通常のように、「やきもち」と表記した場合、丸みを帯びたイメージも相まって可愛らしいですが、ローマ字と比べてあまり読者の目に留まることは多くないかもしれません。また、片仮名の「ヤキモチ」からは、少しとがった印象を受けます。漢字を使った場合、「焼き餅」と表記するのが一般的なようです。
嫉妬心をもう少しマイルドに、可愛らしく形容したものが「やきもち」であるとするならば、ローマ字表記での「YAKIMOCHI」は、それを更にポップに表現したものという風に捉えることもできるのかな、と思いました。
「YAKIMOCHI」とは、ふとした瞬間、好意を寄せる相手を思い浮かべるときに誰もが抱き得る、ちょっぴり切なく可愛らしい感情
私はこのように解釈してみました。曲名から皆さんがどのような印象をもたれたかについても、お話を伺ってみたいです!
※余談ですが、「焼き餅」の「焼く」の部分に「嫉妬する」という意味があるようで、「餅」は「焼く」の意味的なイメージに合わせて取り合わされたものであるという説が有力のようです。
やきもち【焼き餅】
嫉妬。「焼き餅」には字義通りの焼いた餅の意味もあるが、この場合の「焼き」は嫉妬することである。「焼く」には燃えることのほか、心を悩ますの意味があって、ここから嫉妬するという意味が生じた。「焼き餅」の「餅」は焼くの縁で添えたしゃれである。俗に、嫉妬した女性のふくれっ面を「焼き餅」にたとえたとする説もある。
実際のライブ映像を観てみても、まさに!!といった感じで、お餅をイメージした振り付けがあったり、怒って膨れた表情をしていたりするパートがありますよね。「焼き魚」とか「焼き芋」とかではなく、「焼き餅」としてくれた先人の皆さまありがとうございます……。皆さまのおかげでとっても可愛い一曲が令和に生まれました……笑
1番
Aメロ①
もしも今日なんとなく街に出かけて買い物したりして
君に会う確率どれだけあるのかな
しかも私がなにげに君にとって運命の人とか
そういう確率どれだけあるのかな
どことなく、独り言を思わせるような歌い出しです。
街に出かけている自分を想像しているということは、今いる場所は家でしょうか。ふとしたときにもその姿を思い浮かべたくなるような「君」という人物は、「私」にとって気になる存在なのでしょう。
多くの場合、歌詞は「わたし」(この楽曲の場合は漢字と平仮名表記に両方が用いられています)からの視点によって語られています。ですから、「わたし」がどのような人物なのかを考えながら読んでいくことで、より深く、おもしろく解釈を楽しむことができると私(執筆者)は考えています。
この楽曲における「私」は、ひそかに「君」のことを思っている女の子なのかな、と私は読みました。
今の段階における「私」にとっての「君」は、気軽に「一緒にどこかに行こう」と誘うことができるような相手ではないのでしょう。だからこそ、「君」に会うにはなんとなく街に出かけてばったり会うような偶然を「もしも~」と仮定して望んでいるのです。
その上、運命の人だったら……と想像するのです。「なにげに」という表現も含め、健気で可愛らしいです。
ここ、「君が」「私にとって」ではなく、「私が」「君にとって」なんですよね。微妙なニュアンスの違いですが、私は歌詞通りの方が断然好きです。
・私にとって君が運命の人であってほしいな
・君にとって私が運命の人であってほしいな(原文ニュアンス)
というように比較してみると、もう少しニュアンスの異なり具合がわかりやすくなると思います。後者の方が、数多いる候補(?)の中で、私が君の運命の人であってほしいという、ちょっぴり儚くて切ない乙女心が見え隠れする感じが伝わってくるのではないかと思うんですよね。読者としては、「そうだよ!ぜったい運命だよ!!(某長女グループ風に笑)だから自信もって!!」と言ってあげたくなります。
歌い出しがサビ(もしくはサビに近いメロディ)の曲はあるのですが、イントロをAメロで挟みこむような構成になっているのは、すいすての楽曲だとこれが唯一かなと思います。個人的にはそこもお気に入りポイントです。
イントロの解釈については歌詞がないため難しい部分もあるのですが、家で一人で過ごしている「私」がこうかな?ああかな?とやきもきしているような姿をしているところを想像しながら私は聴いています。
Aメロ②
もしも今日なんとなくSNSに暇してるって書いて
君が読む偶然どれだけあるのかな
しかも私にすべてが都合よく解釈されたりとか
そういう偶然どれだけあるのかな
イントロ前の歌詞をふまえて読んでみました。
「私」は「君」に面と向かっておでかけに誘うことができません。ですから、SNSに「暇してる」と書くのでしょう(もしもの話であるため、実際に書くわけではないのでしょうが)。それをたまたま「君」が見てくれたらいいな、とここでもちょっぴり願うのです。SNSではつながっているけれど、直接声をかけ合ったりすることはあまりない、ゆらぎのある独特の距離感を感じます。
「私にすべてが都合よく解釈されたり」というのは、言い換えるならば、「暇してる、と書くことで君と関わる時間があると受け取ってほしい」ということなのかな、と解釈しました。
SNSに書いた一言を偶然見た「君」に、暇なら一緒に街まで出かけて買い物でもしようよ、と誘ってもらえたらどんなに幸せだろうか、でもそんな風に受け取ってもらえる偶然なんてどれだけあるのだろうか、と考えを巡らせる「私」の姿が思い浮かびます。
普段SNSで何かを投稿するとき、自然と「どのような人に、どのように読まれるだろうか」をある程度想定すると思います。ですが、その表現が曖昧なものであればあるほど、書き手の思い通りに読み手に伝わる期待度は下がっていきます。「暇してる」の一言は、まさにどうとでも受け取ることのできる言葉です。だからこそ、多くを語らずともそこに気づいてほしい、というささやかな願いが見えてきます。
Bメロ
色々いってるけど、実のところ君が誰かの話とか
してるだけでちょっとだけもやもやしちゃうかな
そういうめんどくさい感じとかも含めて恋をしています
なんだかんだ君もそうだったりしないかな
Aメロと比較してみましょう。
物語の分析や解釈をする際、「場面と場面を比較する」ということを意識しています。言葉や表されている意味などが同じ(くり返されている)部分はあるか。もしくは、変わった部分があるか(対比)。こういったところに着目して読んでみると、発見があっておもしろいです。
本題に戻ります。
Aメロと比べて、Bメロの方が「君」への「私」の気持ちが前に押し出されているような印象を受けます。「色々いってるけど」は、Aメロでの独白の数々を指しているのでしょうか。「実のところ」、つまりここからの歌詞に「私」の芯に近い部分が表れているということになります。
話をしている「誰か」が具体的な人物を指しているのかまではわかりませんが、このもやもやとした感情はやきもちと非常に似ています。盛大に嫉妬しているわけではなく、「ちょっとだけ」というところにこの人物らしい慎ましさを感じます。「~しちゃう」という表現は、自身の意に反した行動に対して用いられます。もやもやしたいわけではないけれど、もやもやしてしまう……まさに、やきもちです。
相手の気持ちが気になって仕方がない、想像して胸が苦しくなるような思いがする、そんな感情には振り回されない方が心穏やかでいられるのかもしれません。ですが、誰かに強く心を惹かれて思い焦がれる気持ちも含めてこそ恋である、といえるのかもしれませんね。
そんな恋する気持ちを自分と同じように「君」も「私」に対して向けてくれていないかな、そうだったらいいな、とBメロが締めくくられサビに移ります。
Aメロと比較して、「私」の気持ちが少し前に出始めたBメロでしたが、最後は「~かな」と、控えめに願う形で終わっています。
サビ
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、やいちゃうの
もえていいのはわたしへの恋だけ
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、はうれしい
そういうきもちにいつの日かなるのかな
これまでは控えめな印象がありましたが、サビはいきなり「わたしじゃなきゃいや」から始まります。歌い方も特徴的ですよね。
「いや」が言葉としては4回くり返されていますが、4つ全てが「わたしじゃなきゃ」に対しての「いや」であるかについては検討の余地がありそうです。自身のやきもちの感情に対して、「いや、本当にそうなのだろうか」と自問自答するような意味付けもできると思います。「いや」→「きもち」→「やいちゃうの」と続くことから、4回目の「いや」の「や」が「きもち」の頭について「やきもち」になるところもすごくおもしろいです。もちろん、そのまま「きもち」「やいちゃうの」(気持ち妬いちゃうの)としても解釈できると思います。
「もえていいのはわたしへの恋だけ」、これにも色々な解釈の仕方がありそうです。
1.他の人への恋(の炎)は燃やさないでほしい
2.他の人へ恋心が萌えないでほしい (萌え文化ってありましたよね)
3.SNSの炎上とかけた「燃える」
1つ目の解釈がオーソドックスでしょうか。やきもちの「焼く」と「燃える」に親和性があっておもしろいです。「萌える」とも解釈することができるのは、「もえる」が平仮名表記であるからこそですね。現代において「燃える」と聞いて想起しやすい場面として、SNSにおける炎上があると思います。Aメロ②がSNSにまつわる歌詞だったこともあり、そういった意味付け方もできそうです。特に、KAWAII LAB.のアイドルとSNSとの間には切っても切れない関係がありますよね。
「きもち、はうれしい」の解釈については、色々考えた上で自分として一番納得できたものを書きたいと思います(それだけ悩みました……)。
助詞に注目してみます。「が」や「も」ではなく、「は」を使用していため、うれしくないものもある、という読み方をすることができます。やきもちというのは、自身の平常心を揺さぶるような、ある意味ではマイナスの感情です。できることであれば、はらはらした気持ちでいたくない……そういった意味では、「私」にとってやきもちはうれしくないもの、といえるのかもしれません。
しかし、やきもちを焼くのも好意を寄せている「君」を思えばこそ。「君」へのやきもちに気付くということは、「私」自身の中の「君」に対して恋焦がれる気持ちを認識することでもあります。好きな相手を好きだと思っているその「きもち」は、うれしいのだ、と意味付けました。
そうは言いつつも、今はやきもちの感情で頭がいっぱい。「そういうきもちにいつの日かなるのかな」の「そういうきもち」とは、やきもちを焼くことは決して自分にとってマイナスに作用するものではなく、相手に強く惹かれていることの裏返しともいえる素敵な感情の表れなのだ、とやきもちをも肯定できるような気持ちのことである、と捉えれば矛盾はなさそうです。
今は受け入れることがなかなか難しいけれど、そんな風に受け止められる日がいつかはくるのかな、くるといいな、と願っているのでしょうか。
サビの別解釈
「そういうきもち」の「そういう」が何を指しているのか、ということについて、別の解釈もできるのでは?と考えてみました。
先ほどの解釈は、意味的なつながりを重視しました。こちらでは、構造的な面にもう少しフォーカスして考えてみたいと思います。
Bメロまでの部分とサビ前半では、感情の振れ幅に違いがあるように感じます。そこで、Bメロ部分までを今現在の「私」、サビ冒頭~2回目の「わたしじゃなきゃ、いや、」部分を未来(仮定)の「私」として、解釈してみます。
そうすると、今は少し気になるくらいの存在だけれど、いつかこの気持ちが育っていった先の未来では、「わたしじゃなきゃ、いや」というくらい、強いやきもちの感情を表出させるほどに、「君」を好きな気持ちがあふれるような、「そういうきもち」になるのかな、想像している「私」という意味付けもできるのかな、と考えました。
「私」と「わたし」の使い分けについて
1番のサビで初めて、平仮名表記の「わたし」が出てきます。意図的に使い分けられているものだとしたら、その意味を考えてみたくなりますよね。
先に述べた、今現在の「私」と想像され得る未来の「わたし」というような使い分けなのでは?と考えたのですが、2番を見てみると正しい解釈とはいえない気がしています。
サビにおいては他の言葉についても平仮名表記が用いられているものが多いです。「いや」「きもち」「もえて」「やいちゃうの」「うれしい」など、これらは漢字で表記されていたとしても違和感はありません。
一つは、「いや」→「きもち」で「やきもち」とのダブルミーニングになったり、「燃えて」「萌えて」の同音異義語として解釈できたりするということ。
もう一つは、平仮名のもつ、柔らかで丸みのあるイメージです。変換できる部分全てに漢字表記を適用するよりも平仮名を中心とした文にする方が、揺れ動く恋心を表現する場合においては、適当であるといえるかもしれません。
・私じゃなきゃ、嫌、嫌、嫌、嫌
・わたしじゃなきゃ、いや、いや、いや、いや
並べて比較してみると、読者が受ける印象はずいぶんと変わってくるように感じます。「嫌」が連続すると怖いですね……笑
頭の中でぐるぐると回っている思いをそのまま映し出したような生きたフレーズ感や、駄々をこねているような可愛らしい印象を平仮名からは感じます。
このような「私」自身、頭の中で整理がついていないような状態が、「私」と「わたし」の二通りの表記の混在によって表現されているのかもしれません。
2番
Aメロ
もしも今日なんとなくわたしが知らない人と話してて
君が見る確率どれだけあるのかな
しかも私がちょっとその人のこと気にしてるとかって
勘違いするには何が必要かな
1番の形を踏襲した2番のAメロです。「君」が一貫して漢字表記であるのに対して、「わたし」と「私」については、ここでも混在が見られます。
1番は、「私」が「君」の存在や行動を気にかける歌詞でしたが、こちらでは、「君」が「私」の存在や行動を気にかける(ことを想像する「私」の)歌詞になっています。
「確率」という言葉はイントロ前(本記事1番Aメロ①)にも出てきます。「確率」と聞くと、いかにも機械的で規則的な印象を受けがちですが、人が関わることにおいてであれば、時や場所、心理状態などの条件によって大きくぶれがあるものなのではないかな、と思います。
つまり、「君」にとっての「私」は、どのような存在であるのかということによって、ここでいう「確率」は変動します。普段から自然と目で追ってしまうほど気になる存在なのか、明確な好意をもっているのか、それとも残念ながらそうではないのか……。気になる相手が同じ空間にいるときって、自分が別の人と会話していてもその相手の視線がどこを向いているのかが気がかりで見てしまうことってありませんか?そういった体験をふと思い出すようなフレーズだなあと思いました。
文字に起こすとややこしいですが、後半部分はつまり……
「私」は、「君」に、「知らない人」と話している「私」がその人に対して気があるのではないか、と勘違いさせたい。そう勘違いしてもらうためにはどうしたらよいのだろう、と考えを巡らせているということになると思います。
自分だったらすごく気になってやきもきしてしまうだけに、相手にも自分に対してやきもきしてほしい。「君」の頭の中を自分でいっぱいに満たしたいと思っている「私」の頭の中こそ、「君」でいっぱいになっている。そこに味わいを感じます。
Bメロ
色々いってるけど、実のところ君に思ってほしいことは
わたしが思ってることとほとんど同じなんです、ごめん
そういうめんどくさい感じとかも含めて恋をしています
なんだかんだ君もそうだったりしないかな
1番から一貫して、「私」が「君」に対して恋焦がれる思いをもっているように、「君」も「私」に対して同じような感情を向けていてほしい、ということなのでしょう。
「ごめん」というのは、直前の2番Aメロで語られているような、「君」にやきもちをやかせたいと気持ちを「私」がもっていることに対しての言葉なのかな、と意味付けました。ざわざわとした思いを抱いて過ごすのは不安だけれど、相手が自分のことをあれこれと考えてもやもやする姿に対して、少しばかりのあこがれもある、そういった思いへの罪悪感の表れとしての「ごめん」である、という解釈です。
後半部分は1番と全く同じフレーズが使用されています。誰かを思ってあれこれと考える時間は、わずらわしくめんどうくさいものであると同時に、かけがえのないものでもあります。ここにも、自分が相手を思うように、相手にも自分を思ってほしい、と相思相愛を願う「私」の思いが語られています。
サビ
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、やいちゃうの
もえていいのはわたしへの恋だけ
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、はうれしい
そういうきもちにいつの日かなるのかな
サビのフレーズも1番と同じです。よく見ると、「きもちは、うれしい」ではなく、「きもち、はうれしい」なんですよね。通常、文節で区切るのであれば「きもちは」が一文節となるところをこうしているのは、「きもち」を一つのまとまりとして表現することに重きをおいているからだと思います。「きもち、やいちゃうの」と対になる部分であるため、この表記の方が見た目としてもすっきりした印象を受けます。
2番では、「君」からの「私」へのやきもちについて語られている部分が多いため、部分的に切り取って「やきもちはうれしい」という読みも成立すると思います。また、限度を超えたやきもちは困るけれど、自分を思ってくれる気持ちそのものは嬉しい、という解釈の仕方もできるかもしれません。
難解な言葉を使わないフレーズの中に色々な解釈の余地が存在しているところも、このサビの魅力ですね。
Cメロ~ラスト
Cメロ
できたら君もやくならあまくかわいいやきもちでおねがいします
そしたらわたしのやきもちもさらにあまくなりそうで完璧ね
できないや、かけひきや、きもちかくしてなんかうまくいくなんて
想像できないや、きもちはつたえるべきです、そうなんです
※このパートをCメロとしたのですが、表現が間違っていたら申し訳ありません!!
「できたら君も」という表現から、「私」は自身のやきもちを「あまくかわいい」ものであると認識していることがわかります。一見すると心を惑わされるような、マイナスの面を含んだやきもちという感情の揺れを肯定的なものとして受け止めているのです。あまくてかわいいやきもちは、対象となる相手にとっては愛おしく、心を満たしてくれるものなのでしょう。「私」にとってのやきもちとは、心惹かれる相手を強く思う愛情の表れなのです。
「できないや」は「できない」+強調の「や」でしょう。「かけひきや」と、「や」をくり返すことでリズム感が生まれています。
「かけひきや」の「や」は「AやB」といった形で用いられる助詞の「や」と取ることもできれば、「かけひき」「やきもち」という何度か出てきた「や」+「きもち」で作ることのできるやきもちのとして読むこともできます。「想像できないや~」の部分も同じですね。
歌詞としては改行されていますが、「(や)きもちかくしてうまくいくなんて、想像できない(や)」が意味としては一つのまとまりになるでしょうか。
歌詞の中から「かけひき」(=駆け引き)見つけるのであれば、SNSに暇してると書くことや、知らない人と話す姿を見せて気を引くことがこれにあたるのかな、と思います。やきもちを含めた自分の気持ちを隠した状態で相手に察してもらうことを願っていても、上手くいく未来を想像することができない。「きもちはつたえるべきです、そうなんです」というこのパートの締めくくりに、「私」が自分自身にそう言い聞かせて納得させるような強い決意を感じます。
これまでに至るところで「~かな」がくり返し用いられてきただけに、「べき」「~です」という言い切りの形がいっそう際立つ構成になっています。
それはそうと、この細かく刻むようなリズムでのCメロのフレーズ、某果物長女グループ(特に伏せる必要はない笑)の「かがみ」のCメロを思わせる感じがたまらなく好きなんですよね。
ラスサビ
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、やいちゃうの
もえていいのはわたしへの恋だけ
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、はうれしい
そういうきもちにいつの日かなるのかな
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、やいちゃうの
もえていいのはわたしへの恋だけ
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、はうれしい
そういうきもちもねえやきもちなのかな
前半部分を落ちサビとする分け方が一般的なのかもしれませんが、今回はまとめてラスサビとしました。前半部分は、1番と2番と同じフレーズです。
後半部分もほとんどは同じなのですが、最後の1行だけが異なっています。この最後の「そういうきもち」はどの気持ちを指しているのか、ということを考えていきたいのですが、これがなかなか難しい……。
特筆すべきは、この表現が用いられているのは、最後の最後だけであるということです。この楽曲全体が「私」の独白のような形で語られているという表現の特質を鑑みると、「こんな風に、あれこれとぐるぐる思いを巡らせて、君のことをずっと考えているような気持ちもやきもちなのかな」とたずねているような読み方ができるのかなと思いました。
「ねえ」からは誰かに問いかけているかのような印象を受けます。自らに問いかけるような独り言が楽曲を通して続いていたところに、最後だけ「ねえ」が出てくるのです。「君」に対してなのか、それとも読者である私たちに対してなのか……誰に向けられた問いなのかについて考えてみるのもおもしろいかもしれません。
別解釈(オタク向け)
アーティストの存在をふまえて読むからこそできる別解釈
ここまでで、文字数が1万を超えてしまいました。3000字くらいにまとめようと思っていたのに……なぜ……笑
ここからは、その1万字超の解釈とは違ったところから考えていきます。
物語の場合、作者の存在はあまり意識されない場合が多いかと思います。もちろん、「この作家はこういう人だから、このような表現を用いる。よってこう解釈するのが妥当だろう」という読み方はあると思いますが、物語作品そのものに、作者本人が顔を出すということはあまりありません。
「物語の場合」と書きました。では楽曲においてはどうでしょうか。作者(作詞家)は、楽曲を提供するアーティストが歌うものとして書くことになりますから、楽曲においての語り手はアーティスト、この楽曲においてはSWEET STEADYとなるわけです。
そこで、「私」=「SWEET STEADYのメンバー」とした上でもう一度この歌詞を読み、解釈してみようと思います。
さて、「私」を「メンバー個人」とするか、「私(たち)」と広くとらえてグループとしての「SWEET STEADY」とするかによっても意味付けの仕方が変わってきそうです。ごちゃまぜにするとわかりづらいので、見出しを分けたいと思います。
「私」=SWEET STEADYのメンバー個人として読む
グループ名義でリリースしている楽曲であるという都合上、全員が一曲を分けて歌っていますが、皆さんは読者として、推し一人を思い浮かべながら「私」という人物に重ねてこの先を読んでください。
整理すると「私」(推し)が「君」に向けて歌っているとします。ここにおいての「君」は、読者であるあなたです。
そのように条件を整えてから改めて読んでみると、違った解釈が見えてきます。ここまででかなりの文量になってきてしまっているので、Aメロから丁寧に追うことはせずに、かいつまんで書いていきます。
Bメロ(1番)
色々いってるけど、実のところ君が誰かの話とか
してるだけでちょっとだけもやもやしちゃうかな
そういうめんどくさい感じとかも含めて恋をしています
なんだかんだ君もそうだったりしないかな
Bメロ(2番)
色々いってるけど、実のところ君に思ってほしいことは
わたしが思ってることとほとんど同じなんです、ごめん
そういうめんどくさい感じとかも含めて恋をしています
なんだかんだ君もそうだったりしないかな
サビ
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、やいちゃうの
もえていいのはわたしへの恋だけ
わたしじゃなきゃ
いや、いや、いや、いや、きもち、はうれしい
そういうきもちにいつの日かなるのかな
「君」=「ファンであるあなた」として読んでみましょう。
例えば、SNSで別のメンバーの、あるいは別のグループのアイドルの話をしているとか、特典会で違う列に並んでいたりとか、そんな姿を見かけて実はもやもやしているのかもしれません。
※あくまで広げてみるとそう解釈することもできるというだけの話なので、実際のところはそのようなことはないと思います!!みんなとっても素敵な子たちですので!!
「他の子に目移りしないで、私だけを見ていてね」という推しからの健気なメッセージを含んだ一曲、という意味付けをしてみると本当に愛おしく思えてきます。
「私」=SWEET STEADYというグループとして読む
この場合、表現としては「私」より「私たち」とした方が適切かもしれません。
令和7年現在、アイドルグループは数えきれないほど存在しており、そこは結成と解散が絶えずくり返される厳しい世界です。そんな数多あるグループと肩を並べて活動を続けていくのは決して簡単なことではないでしょう(ちょっと仰々しい話になってきてしまいましたが……笑)。
ここまでお読みいただいた方ならもうお分かりかと思います。このような解釈もできるのではないでしょうか。
「他のグループじゃなくて、推してくれるのは私(SWEET STEADY)じゃなきゃ、いや!」
KAWAII LAB.SESSION in OKINAWAでライブ初披露となったときの曲紹介でも、「すいすてのこと、好きじゃないと、やだー!!」とあゆちゃんが叫んでいましたよね。KAWAII LAB.には他に姉妹グループが3つあり、どのグループもそれなりに知名度が上がっています。そんな頼もしい仲間でありライバルでもある姉妹グループにも負けないように、これからも推していきたいと感じた方もいたのではないでしょうか。
おわりに
今回は、初めての試みとして、楽曲の歌詞解釈をしてみました。
ふり返ってみるとやはり、物語や絵本といった文学作品以上にアーティストの存在を意識した読み方をする意味は大きいのかな、という発見がありました。グループ名義の楽曲は、これに加えて歌割りや振り付け等の要素もあるため、それをふまえるとよりおもしろい解釈が見えてきそうです。
一人ひとりがそれぞれ違うように、解釈の仕方もさまざまです。妥当性のある解釈はあっても、絶対にこれだ!といえる正解はないのだろうと思います(明らかに誤読だろうというものはあるかもしれませんが……)。読んでくださった皆さんがどのように解釈されたのかについてもぜひ聞かせてください!それが新しい気付きにつながり、更に深くおもしろく読むことができるはずです。
当初の想定から1万字オーバーしてしまいましたが、また時間と心身の余裕があったら別の楽曲でも挑戦してみたいと思います。
ここまで、お読みいただきありがとうございました!!新時代開幕!!
【追記】
「ぐっじょぶ!」歌詞解釈の記事を投稿しました!お時間がありましたらぜひそちらもお読みいただけるとすごく嬉しいです!
