たいせつな人を亡くされたあなたに / 行く年と逝く人と / グリーフケア / 惜別 / 寂しさ / 生きづらさ / HSS型HSP
白鳥が死に臨んで最後に発する美しい声
白鳥の歌(Schwanengesang)
死者のためのミサ曲
レクイエム(Requiem)
モーツァルトの未完の遺作『レクイエム』は
モーツァルトが自身の葬儀のために
書き残したとも言われ
彼の最後の作品となったことから
まさに彼の「白鳥の歌」と称される鎮魂の音楽
あなたが想い出にかわるまで…
『14歳の母』主題歌「しるし」
故三浦春馬さん、安らかに……
前回の記事で
「よいお年をお迎え下さい」とご挨拶し
年内のnoteを締めくくったつもりでしたが…
noterさんの記事を拝読していたら
今年、たいせつな人を亡くし
忍び難く、寂しくて「逢いに行きたい…」
と書いている方がいらっしゃった
前回「他者との間に境界線を引く」
なんて自分で書いたくせに
その方の記事を拝読するうち
亡き人を偲ぶ想いと寂しさが募る日々に
共感が止まらず…
だけど、フォロー関係も信頼関係も無い
深い哀しみの中におられる知らない方のnoteに
一方的にコメントするのは自分には憚られる…
急遽、グリーフケアの記事を書きます
年の終わりに
死者を送ることについて考えてみます
たいせつな人を亡くされたあなたへ
たいせつな人を亡くして寂しくない人はいない
この寂しさとは、どんな感情なのか?
自分は、数えるほどしか会ったことのない
遠縁の親戚の葬儀でも涙が止まらなくなる
故人の感情が自分にどーっと流れ込んで来る
ご遺族に逆に励まされてしまい、迷惑レベル…
大事な試験中に、知人の危篤の連絡を受け
急いで病院に駆けつけたが間に合わず
まだ温もりの残る魂の抜けた亡骸をさすり
あまりにも涙がポロポロ止まらなくなるので
看護師に遺族と間違われ退院手続の説明される
『火垂るの墓』は、泣き過ぎて立ち直れず
熱まで出てしまい、寝込んだ
だから一度しか見たことが無い
二度と観る気になれない
誰もが浮かれるクリスマスは、なぜか
『フランダースの犬』の主人公ネロや
『マッチ売りの少女』のことを想ってしまい
「主よ、みもとに近づかん」を流しながら
部屋でひとりでこっそり泣いている
現し世に祝福されることなく天に召される
こども達の救いが「死」であることが寂しい
死だけが救いなのか?
人にとって、死だけが救いという結末は
重たいけれど存在することが、やはり寂しい
あなたの「たいせつな人」の死が
どんな死であったのかを私は知らない
病気や怪我で苦しんでいたのであれば
苦しみからの解放
多くの場合は
死は生きる苦しみからの解放なのかもしれない
あなたは「たいせつな人」が居なくなり寂しい
居た人が居なくなるのは寂しい
私の場合、自分のたいせつな人
たとえば父が亡くなった時はどうだったっけ?
葬儀を終えて落ち着くまでは
涙は出なかったような気がする
遺品の片付けで
父のクローゼットの中のスーツに手を掛けた時
堰を切ったように感情が爆発した
服は遺れど主が居ない
遺された服が自分に重なり、寂しい
自分が死んだことにも気づかずに即死した
父の無念が伝わってきた
父が死んでいることを知らずに
何日も当て所無く探し続けた日々を思い出した
その間、誰も居ない処で
父の遺体は冷たい雨に打たれていた
寂しいというより不憫で泣けてしまった
「ゔぁぁぁぁぁぁー お父さぁぁぁぁぁーん」
もちろん後を追いたいとは思わなかった
親だから、先に逝くのは仕方ない
むしろ、まだ学生だった私たち
こどもを遺して逝った父の方が
泣きたかったことだろう
あなたのたいせつな人は
人生を約束し合ったパートナー
ふたりで居るはずだった時間をひとりで過ごす
置いていかれるほうは、ひとりで寂しい
どうしたら良いだろうか
「たいせつな人」って
普通は家族だったり、愛し合った相手だったり
かけがえのない人のこと
私は、「いのちの電話」ではないし
プロのカウンセラーでも聖職者でもない
顔も知らないあなたに、出し抜けに
「後を追うな」と言う自信がない
「今日一日、様子をみてからにしませんか」
ただただ、そう思った
部屋を片付けたり
自分でご飯を作ってみたり
朝からお風呂にゆっくり浸かってみたり
おひさまに干したふかふかの布団で眠ったり
鳥の声に耳を澄ましたり
冬なら、寒さの中に咲く山茶花に見とれたり
冷たい川の流れの中に独り佇むアオサギが
魚を探す姿を追ってみたり
生との絆を結び直していく
それを毎日繰り返す
あなたの寿命が尽きるまで
『置かれた場所で咲きなさい』という本がある
置かれた場所が
たとえば毒親やブラック企業だったり
行けば虐めの標的とされるような学校なら
そこからは命を守るために逃げるべき
そこは「置かれた場所」ではないから
居るべきでは無い、間違えた場所だから
だけど、あなたが「置かれた場所」は
たいせつな人を亡くした、この現世
「後を追いたい」あなたはどうしたらいい?
もしも、逆に自分が先に逝ったとしたら
あなたは遺していくたいせつな人に
どう生きて欲しいだろうか
もう違う世界の住人になったのだから
いつまでも自分のために悲しまず寂しがらず
自分の分まで幸せに生きて欲しいと
いつも近くで寄り添い続ける気がする
I miss You . I love You . I need You.
そーゆーのは肉体が存在するうちだけ
肉体という限界から解き放たれて
暖かい光となってどこにでも行ける風になって
痛いことも、寂しいことも、虚しいことも
ひもじいことも、不安も無い気楽な私のことは
視えないけれど、いつもそばに
あなたの中に一緒に居るんだから
忘れろとは言わずとも
「お前はまだ待て」「ついてくんなや」って
たいせつな人には諭すような気がする
ひとりの部屋は寂しい
ひとりの食事は寂しい
ひとりは寂しい
その感情に浸った後で
そばに居てくれて有難う
美味しいご飯を作ってくれてありがとう
共に生きてくれて有難う
今も見守って居てくれてありがとう
って、今は亡き、たいせつな人に語りかける
寂しいけれど未だ生きてるよ。寂しいけれど
あなたとの日々を想い出しながら生きてるよ
寂しいけれど、ご飯もちゃんと食べてるよ
寂しいけれど、後は追わずに未だ生きてるよ
ジェンダー差別用語とされ今は使われないけど
かつて「未亡人」という言葉があった
「未だ(いまだ)亡くならない人」
生きとし生けるものは皆死ぬのだから
生きている人は皆「未だ亡くならない人」
この世に生を受けたことをあたりまえに
生きていることをあたりまえと思っていると
「未だ亡くならない人」だなんて
変な言葉かもしれない
でも、彼岸から見た此岸の人は皆「未亡人」
生と同等に死も定めゆえ「未亡人」
自分の意思で生を得たのではないなら
死を自分の意思で得ることも出来れば避けたい
後を追いたいくらい生きる意思が無いときは
「生」を持て余し、「生」が辛い時は
「未亡人」となって、死に向かって生きる
彼岸に逝った、たいせつな人とともに
この此岸を、いつか訪れる死に向かって生きる
「未亡人」は、死に生かされてる人とも言える
いつかまた逢える日まで
ひとりでも未だ生きてくよ
しばらくは寂しいけれど
あなたの寿命と私の寿命は違うから
あなたと私は違うから
私の「置かれた場所」を
少しずつ受け容れていくよ
無理はしない。焦らない。寂しいものは寂しい
それはそれで受け容れて
自分は今寂しいんだなって
寂しい自分を認めてあげてみるよ
想い出が優しければやさしいほど
寂しさは募るけど…
かつて、たいせつな人を見送った私は
そんなふうに思います
焼場で煙になって空に昇って逝くのを見送って
骨を拾って、お墓を建てて
仏教徒であれば戒名を頂いて
仏様になって彼岸へ逝かれたたいせつな人と
現し世との境界線を引く
だけど、雨の日には
たいせつな人の香りがほのかに漂ってきたり
静かな朝は
お炊事の水音が不意に聴こえた気がしたり
買い物に行けば
二人分の分量を買ってしまったり
そのたびに、ぶり返す寂しさに打ちのめされる
居た人が居ないのは、寂しい
その寂しさは、あなただけのものだから
境界線を引くのも、あなただから
寂しいうちは、そんなに簡単に線は引けない
クリスチャンには喪中は無い
神の子にとって、死は帰天だから
だけど、おそらく貴方はクリスチャンではない
多くの日本人にとっての喪中は
そうではない方々と距離を置いて
故人を偲ぶのだろうと思います
たいせつな人を失った寂しさのような孤独は
他の人に代わりが務まるはずはなく
今を生きる幸せな人と過ごすのは逆に寂しい
もともと独りだったなら、失うこともなかった
相対的な寂しさを癒すのは
独りでもそっと存在している者かもしれない
人を失った寂しさを癒やすものは
美しい自然や物言わぬ動物、鳥などの生物
植物のような控えめな優しさ
静かに流れていく時間なのかもしれない
お正月は歳神様をお招きする行事
日本の神様には、死は穢れだから
喪中の方は新年の歳神様を迎えられない
その代わりに、たっぷり故人の想い出に浸り
過去の幸せだった日々を懐かしむ時間を持てる
時を止めたまま
故人とともに現し世の想い出を生きる
元気な人は「今を生きる」ことが出来るけど
「過去を生きる」ことで癒されるのなら
しばらくはそれが良いように思われます
寂しくても、先延ばしにしてみて欲しい
関東圏の方なら
上智大学にグリーフケア研究所があります
同大学は渡辺和子シスターにもゆかりの地
上智大学グリーフケア研究所は
日本初の専門機関として
悲嘆者支援のための研究と人材育成に
注力しており
「実践的で質の高い専門知識を学べる」
「現場に即した実践的な学び」
といった点で高く評価されています
実践には、心身の健康や
多様な価値観への理解が求められるため
事前の自己理解も重要視されています
特定の宗教の枠を越えたあらゆる分野から
寂しさ、哀しみを理解しようとする講義が
受けられる点で、特筆すべき機関かと思います
あ、別に回し者でも布教活動でもありません
私はそこの関係者ではありません
寺や教会、一般の神社へは
お付き合いで参りますが
自分はたぶん、アニミズムとか
人工物の拝殿を持たない古神道信者で
特定の宗教に縛られない点では無宗教ですが
無神論者では無いです
感情的な自分は、敢えて科学的かつ理論的に
グリーフという感情を客観的に研究することで
自分が「置かれた場所」を考えてみました
それで自分のグリーフは昇華されていったので
グリーフを研究するという分野があることを
ご紹介する限りです
結局は、時間が一番の癒しだったのですが…
たいていの試練は
なるべく人に頼らず乗り越えようとしていても
どうにもならないこともある
だけど誰を、何を頼れば良いか分からない
あなたの試練に何が寄り添ってくれるのかは
あなたにしか分からないとは思いますが…
たとえば、それは、美しい自然や
物言わぬ動物たちかもしれないし
美味しいご飯かもしれない
旅に出た先のいつもと違う環境かもしれないし
音楽のような芸術かもしれない
夢中になれるような好きなことかもしれないし
今に集中できるスポーツかもしれない
新しい経験や出会いかもしれない
私の知人で
あなたのようにパートナーを亡くされた方が
何年経ってもお骨をお墓に入れないで居ります
今もお骨を寝室に置いて、一緒に寝ています
自分が死んでお墓に入るときに
一緒に埋葬してもらうと仰っていました
そんな人も居るのかと驚いてしまいました
パートナーを亡くされた当初は
生きる屍のように落ち込んでおりましたが
毎日お骨と共に過ごし、お骨と話をすることで
自分の「置かれた場所」の寂しさが癒えて
趣味の海釣りにも行かれるようになり
海にも癒してもらったようで
もとの元気な知人に戻りました
境界線の引き方や時期は、人それぞれですね
グリーフケア研究所での講座ではありませんが
比較宗教学的な立場に立って
別な場で渡辺和子シスターのお話を伺いました
著書『置かれた場所で咲きなさい』によって
彼女の名は、一般の方にも広く知られています
シスターは、9歳の時に二・二六事件に遭遇
居間で、当時大将で教育総監だった父が
青年将校に襲撃され
44発の銃弾で命を落としたのを
わずか1mほどの距離から目の当たりにしました
昭和史の生き証人だった方です
シスターに実際にお目にかかると
ひょうきんで、穏やかなのにパワフルな方です
深い哀しみを乗り越えて生きてきた方ほど
他者を癒す力が強いことを彼女から感じました
今はもう彼女もお父様と同じ処へ逝かれたため
直にお話を伺うことは出来ませんが
グリーフケアは多角的に研究されており
客観的に学ぶことはひとつの灯明かと思い
ご参考までにご紹介しました
たいせつな人が想い出にかわるまで…
『テセウスの船』主題歌「あなたがいることで」
私にはたいせつな家族が居るから
あなたの寂しさを理解できていないと思うけどたいせつな人が逝ってしまったら
今のあなたのように寂しくなると思います
その日はいつ訪れるか分からない
一緒に過ごせる日々を噛みしめながら
過ごしています
ひとり置いていかれるのは、寂しいと思うけど
あなたは、未来の私と思って書きました
幸せだった日々の想い出に包まれながら
たいせつな人に語りかけ
先延ばしを繰り返してみる
一日いちにち先延ばし
月命日を12回繰り返し
一年、二年、三年…
あなたの寂しさを
noteに綴って下さって、ありがとう
寂しくても、たいせつな人のことを
想って下さって、ありがとう
たいせつな人を偲んでくれてありがとう
彼岸に逢いに行きたいくらい
パートナーを愛してくれて有難う
あなたとあなたのたいせつな人が
現世で巡り会えたことを有難く尊く思いました
今は寂しいかもしれないけど
いつの日か、貴方の憂いに凪が訪れることを
心よりお祈り申し上げます
お読み下さり、有難うございました
2025年12月31日 大晦日の朝に
憂凪(ゆうなぎ)
