受け取ったものは、次の誰かへ | エッセイ
今日、私の記事を読んだ方が、その感想をひとつの記事にしてくれた。
ただ「読みました」と伝えてもらえるだけでも、もちろんうれしい。
でも、私の文章を読んで感じたことを、その人が自分の言葉でもう一度書いてくれたことが、思っていた以上にうれしかった。
私の書いたものが、その人の中に少し残った。
そこから生まれた言葉が、また私のところへ返ってきた。
文章を書くって、こんなふうに誰かと行き来することもあるんだなと思った。
そんなうれしい気持ちの中で、なぜか少し前に自分が書いた言葉を思い出した。
フォロワーが1000人になった時の記事に、私はこう書いた。
私が遠回りしながら気づいたことが、誰かにとっての小さなヒントになったらうれしいです。
もちろん、その気持ちは嘘ではない。
私が遠回りして知ったことが、同じような場所で立ち止まっている人にとって、何かの見方を増やすものになればうれしいと思っている。
それなのに、投稿してからずっと、「誰かにとって」という言葉が少し引っかかっていた。
自分で書いておきながら、
「誰かの役に立ちたいなんて、ちょっとおこがましくないか」
と思ってしまったのだ(笑)。
私は、「誰かのために」という言葉を、自分で口にするのが少し苦手なのだと思う。
言葉にした途端、やさしいことをしている自分を掲げているような気がして、落ち着かなくなる。
そんなことを考えていたら、昔の先輩を思い出した。
営業をしていた頃、ものすごくぶっきらぼうな先輩がいた。
思ったことをそのまま言う人で、いつも私は、
「いや、めっちゃズバズバ言うやん」
と思っていた。
やさしい言葉をかけてくれるような人ではなかった。
でも、私が本当に切羽詰まっていた時、その先輩は助けてくれた。
肝心の、何に困っていたのかは、もう忘れてしまった。
ただ、その場を何とかして終わりではなく、私がその先も自分で進めるように手を貸してくれたことだけは覚えている。
あとから私が、
「何かお礼をしたい」
と言うと、先輩はこう言った。
「俺にお礼とか感謝はしなくていい。それは、お前が次に同じような人を見つけた時に、そいつに同じことをしてやれ」
ちょっと好きになった(笑)。
先輩は、助けたことを恩に着せなかった。
感謝を自分のところで回収しようともしなかった。
「俺がいないと無理だろう」と、助けた相手を自分のそばにつなぎ止める人でもなかった。
困っている時には、手を貸す。
でも、その後は相手が自分の足で歩けるように、ちゃんと手を離す。
受け取ったものは、自分へ返さなくていい。
いつか、同じように困っている人へ渡せばいい。
先輩は、やさしい言葉を言う人ではなかった。
でも、人を弱い場所に置いたままにしない優しさを持っていた。
今日、感想を書いてもらってうれしかった時、あの言葉を思い出した。
私もこれから、心が動いた記事に出会った時には、その気持ちを書いてみようかなと思う。
毎回ではない。
人の記事を紹介することを、義務にしたいわけでもない。
読んだあとも、何かが自分の中に残った時。
「よかった」
「この言葉が心に残った」
と思った気持ちを、その人へ返してみる。
それがその人のためになるかどうかは、私が決めなくていい。
「誰かのために」と、大きく掲げなくてもいい。
ただ、自分が受け取ってうれしかったものを、自分のところで止めずに、次の誰かへ渡してみる。
昔、先輩が教えてくれたみたいに。
今日、私の記事について書いてくださった記事です。
うれしい言葉を、本当にありがとうございました。
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