『いい人でいないと、愛されないと思っていた』を読んで、自分に許可を出すということを考えた

世の中をうまく生きる秘訣は、「いい人」でいることなのだろうか。
それとも、「ちゃんとしている人」でいることなのだろうか。
もちろん、「悪い人」でありたいわけではない。
できることなら、人の役に立ち、自分の周りの人を大切にできる人でありたい。その願いは今でも変わらない。

けれど私は、「いい人でありたい」という気持ちと、「嫌われたくない」という恐れを、いつの間にか同じものにしてしまっていた。
だから、『いい人でいないと、愛されないと思っていた』というタイトルに強く惹かれた。

「私もそう思っていた。」

そんな気持ちで、このエッセイを読み始めた。


人からどう思われるか。
どう見られるか。

私も長い間、その呪縛の中で生きてきた。

ただ、著者のけいさんとは少し違う。

私の場合は、「愛されたい」というより、「怒られたくない」「失望されたくない」「傷つきたくない」という保身の気持ちが強かった。
それでも、誰かによく思われるために「いい人」を演じ、「ちゃんとした人」であろうとする姿は、私自身と重なって見えた。


周囲からは「真面目な人」と言われることが多かった。

しかし私は、自分を真面目だと思ったことがない。

私の中で「真面目な人」とは、同じ失敗を繰り返さず、振り返りを重ね、成長し続ける人だった。

だから、その評価とのギャップが苦しかった。
そして何より苦しかったのは、結局「いい人」にも「ちゃんとした人」にもなれず、怒られ、傷つき、それでも他人には同じことを求めてしまう自分だった。

改めて文字にすると、どうしようもない人間だと思う。


この作品の中で、私が最も心を動かされたのは、この二つの文章だった。

「私が自分に出せなかった許可を、彼はいつも雑に出してきた」

そして、

「犬たちは、私に『頑張らなくていいよ』と言ってくれたわけではない。」

私は、「頑張らなくていい」と誰かに言葉で救われることを、どこかで期待していた。

けれど、この作品が描いていたのは少し違う。

特別な励ましでも、劇的な出来事でもない。

ただ隣でいつも通り暮らしているパートナーや犬たちの存在そのものが、「ちゃんとしていなくても大丈夫」という許可になっていた。

その静かな描写が、とても現実的で、だからこそ胸に残った。

人は誰かの言葉だけで変わるのではなく、日々の空気や安心感の中で少しずつ変わっていくのかもしれない。


私は潜在意識について学ぶ中で、「自分が認識できるものはエゴの働きである」という考え方に触れてきた。

だからこそ、この作品を読みながら感じた。
生きるヒントは、特別な場所にあるのではない。
毎日の何気ない出来事や、何気ない一言の中にこそあるのだと。


この作品を読んで、私は「いい人」や「ちゃんとする人」を目指すことをやめようと思った。

正確には、「失敗を恐れないこと」と、「傷つくとは何か」を改めて整理してみようと思えた。

それは諦めではない。
少しだけ、自分を許してみようという選択だった。


「いい人」でいることに疲れた人。
「ちゃんとしなければ」という思いに縛られている人。
そんな人に、このエッセイを読んでほしい。
生き方や価値観は、映画のように劇的には変わらない。
実際は、もっと静かだ。
私も読み終えたあと、思わず

「え? こんなんでいいの?」

と拍子抜けした。

でも、その肩の力が抜けるような感覚こそ、この作品が私にくれた一番大きな贈り物だった。


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