ファンから見た新日本プロレスの暗黒時代と復活③
暗黒時代の新日本プロレスを支え続けたのは棚橋弘至だ。それは間違いない。
新日本プロレスはある時期から棚橋弘至を中心に据えると決めたのだろう。
迷走する新日本を"プロレス"という本来のレールに軌道修正したのが棚橋だったように思う。
明確に棚橋を中心として団体を運営していくと決めた中で、棚橋には同世代で同格といえる選手がいなかった。
中邑真輔は本来、必要な下積み時代の期間がほとんどない為、試合構築という面ではこの頃まだまだだった。
棚橋自身も成長段階で、第3世代、外敵、外国人レスラーと闘いを繰り広げていた。
ブーイングを浴びながら。
ファンはまだ過去の新日本プロレスのイメージから脱却できていない中、団体の迷走を経て、新しい時代のプロレスラー像を見据えた選手を売り出した。
棚橋も苦しかっただろう。
技術はあるがファンがついてこない棚橋と、ファンの期待と声援はあるが、技術がついてこない中邑。
この関係もジレンマだった。
少し後に、真壁刀義や後藤洋央紀ら、のちに四天王と呼ばれる選手が台頭してくるが、あくまで棚橋のライバルは中邑。
これだけは共通認識だった。
後藤はG1を獲り、真壁はヒールとして黒く輝いた。
永田はNEWJAPAN CUPを制覇し、IWGPを再び巻いた。
小島聡も帰ってきた。
天山はコンディション不良だったが、少し前にはG1を撮っていたと思う。
ある時、矢野通が真壁を裏切り、中邑と結託し、中邑はヒールターンした。
この頃から完全に棚橋と中邑は月と太陽のような関係にもなっていく。
中邑真輔の覚醒はもうまもなくというところまで来ていた。
次回は中邑真輔の進化について書いていきたい。
ご閲覧頂き、ありがとうございました。
