夢というもう一つのストーリー
私は寝るのが大好きだ。時間が許すなら、ずっと眠っていられる。
前世は猫だったのかもしれない。
睡眠の目的は、疲労回復であり、現実逃避であり、そして別世界へのワープだ。
夢を通して、ほぼ毎晩、異なる空間を旅するので、ワクワクしながら眠りにつくという話は以前も書いた。
鳥になってニューヨークの摩天楼を旋回している夢。
あるいは弥生時代あたりから戦国、江戸時代と、断片的に時代を行き来する夢。
ただ、夢もファンタジーの世界ばかりではない。
日常の出来事が絶妙に夢に反映されて登場することもある。
例えば、どこか遠い街にきている私。さあ、家に帰ろうと駅でお財布を開くと、出てきたのは1万円札ではなくアフリカのガボンの通貨。「あれ、1万円がない!」
カードも何もなくて、どうしようと途方に暮れていたところで、目が覚めた。おそらく前日に、アフリカ経済の記事を読んでいたこと、同時にキャッシュレス決済が増えてスマホやカードを持たない高齢者は大変だな、と想像していたこと、が結びついて夢となったのだろう。
子供時代の記憶も夢に影を落とす。
餌をあげ忘れて死んでしまった金魚や水を与えなかったために枯れてしまった植木もトラウマとなっているのか、夢の中でも”エサ”や”水”を気に書けている自分がいる。
そして時には、もう会えないはずの父と普通に会話していることもある。
「お父さん、生きていたんだね」と涙ながらに話しかける私。
目覚めたとき、頬を伝う涙に気づいてハッとする。
こんな日は、「向こうでも元気そうでよかった」と安心しつつも、どうしようもなく切ない。
夢は現実の鏡でもあり、潜在意識が描くもう一つのストーリーでもある。だから私は眠るのが好きなのかもしれない。
眠ることで、現実では叶わない風景をみたり、会いたい人とまた再会できるから。
