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「ありふれた」高校生の俺が、教育に一個だけ文句を言ってやりたい。

Prologue 

最初に言っておく。

俺は、他の記事を書いている人みたいに“特別”な経験は一切していない。

イベントを企画しているわけでも生徒会に所属しているわけでもない。

それなりに真面目に授業を聞いて、テストではテキトーに7割ぐらいとって、放課後は部活をやって、家ではYoutubeを見て、将来はフィーリングでみたいなその辺にいる高校一年生だ。

「#教育を語らせて」に応募されている記事はすべて2回通りぐらいは読ませてもらったのだが、それを書いている方で俺より“ありふれた”高校生は多分いない。

ついでに言うと、ここまで話が脱線する人もいない。

ただ、俺は一個日本の教育に関して文句を言ってやりたい。

やりたいことだけやりたい

人はこれを我儘という。

でも、俺は教育をこの方向にもっていきたい。

そもそも、なんで我々はやりたくもない(やる必要もない)ことをやっているのだろうか?

文学者になりたいです!っていう人が将来いつsin²θ+cos²θ=1とかlog₂32=5とか使うのだろうか?

習う意味はあるのだろうか?

「論理的思考力を養うためです。」か「将来必ずやりたくないことをやらなければいけない瞬間があります。」

といったところだろうか。

俺は、ディベートが苦手なのだがこれぐらいの反論を予測する力はある。

まぁどっちも高校の先生が言ってたやつだけど。

俺を含む、特に文系は解法を暗記するだけの「暗記数学」に走りがちなので論理的思考力もへったくれもない気がするしわざわざ数学でこれらの力を身につけなくたって絶対に他の機会が存在するはずだ。

ともかく、まず俺が問いたいのは”勉強”ってなんのためにするのかという話だ。

「日常生活を送る上で、学部によっては大学での研究でさえ使うことないレベル」の多岐に渡る高度な知識は、受験などの評価のため以外にどこで必要となるのだろうか?


ちょっと前にこのnoteコンテストを運営されている教育改革国民運動「推進委員会」の「第一回教育改革国民運動推進委員会」にオンライン参加させてもらったのだが、そのときにあった評価に関するとても興味深いお話を伺った。(名前がわかりずらいっていうツッコミはしちゃだめだぞ。

この方がいい感じにまとめてくださっていたのでぜひ読んでもらえたらと思うのだが、超要約すると人を客観的(勉強)に評価することはクローン人間を作ることと同義であり多様性を損なうとのことだった。

この意見には大賛成だ。

勉強というひとつの事柄ができるorできないで学校教育、とりわけ高校において評価されていくことに対して、学校は生徒それぞれのパーソナリティーや個性を伸ばす気があるのかとツッコミたくなってしまう。評価されることが学生の一番の原動力だもんね。

AI時代に突入する中で勉強以外の部分がより重要視されていく世の中になるはずだ。

その人自身を直接的に評価することのほうが社会に出た時を考えるのならわかりやすく効率的なのではないだろうか?

だが、ツッコミを入れる前に一度冷静になってみる。

先の会では評価する側が無能だから客観的に評価するしかないんだみたいなことが話されていたのだが、その状況が急に変わるわけではない。

俺みたいなテキトーな人間は主観的という感覚が大好きだ。

いちいちいろんなことを鑑みながら物事を判断し評価をするのはとにかくめんどくさい。

そもそも、普段のコミュニケーションで客観を意識しているわけないんだし。

でも、これを許す人ばかりではない。

「勉強は誰にとっても平等で貧乏とかで社会的地位が低かろうと這い上がることのできるチャンスになるんだ」
「努力とか集中力という観点でその“人”についても評価できるんじゃないか」
「客観的じゃないと納得できない」
とかね。

いったん話を戻して俺が言いたいことは、別に勉強で評価をつけるっていうことを頭ごなしに否定することはできないということだ。

ここまでの話は何だったんだって感じだが、やっぱそれなりに今の評価のつけ方は理にかなっている。

つまり、人々を評価、数値化するために勉強をさせるというのも変えるのは難しい。

じゃぁどこを変えるのか。

別に教育=学校だけじゃない

こういうことだ。

学校を変えるのは無理だ。

学校っていうものはでかすぎるから、考慮しないといけないことが多すぎるしこんな長年変わってこなかったものを改革していくのは大変すぎる。

それが、全国で当たり前になるのはいつなんだとか先生とか生徒の順応が大変すぎるんじゃないかとかそういう議論もうまれる。

みなさん学習指導要領って見たことがあるだろうか?教育の指令書みたいなものだが、俺は絶対に読みたくない。

https://www.mext.go.jp/sports/content/1384661_6_1_2.pdf

高校の学習指導要領だと思われるものの目次をもってきたのだが、ページ数をよく見てほしい。なんか651とか書いてある。

そして、文字数カウントに入れてみたらだいたい50万文字ぐらいあった。その辺の小説よりちょっと多いぐらいだ。じゃぁ意外といけるか?

なんてことはさておき、こんな小説1冊以上分の決まりがある学校を根本的に変えるのは絶対に大変だ。っていう話をしたかっただけだ。

じゃぁどうしましょ?

そんなこんなで出てくるのが「第二のコミュニティ」という考え方だ。

ネットで調べると「第二のコミュニティ」は、こういうものだとでてくる。

「第二のコミュニティ」とは、「第一のコミュニティ(家庭や地域など、生まれたときから自然に属している集団)」以外に、自分で選び、共通の価値観や目的で結びついた集団を指します。例えば、趣味や仕事、価値観などを通じて出会った人々と、地域コミュニティとは異なる形で形成される人間関係や集団がこれに当たります。

AIによる概要

今の学校で言ったら部活にあたるものだと思う。学校全体より小さい、好きに選んだ集団で学校では学べないことを学びましょう、学校でできないことを補いましょうという部分は部活と共通している。

でも、部活ではカバーしきれない多くの魅力がこの「第二のコミュニティ」には詰まっている。

例えば部活にはこんな課題が、、、

本当に自分がやりたいことをやれる部活があるのか。

学校の全体教育で養うのが難しい自主性や多様性をどこまで伸ばせるのか。

顧問や周りの部員の雰囲気次第で自分のモチベーションが下がってしまうっていうある意味運的な要素。

顧問の先生方が忙しすぎるっていう問題点。

少なくとも、今自分が思いついた部活の課題点に対してはすべて「第二のコミュニティ」が解決してくれるはずだ。部活のよいところを残したままね。

俺の構想では超簡単にいうと

・やりたいことをやれる、見つけられる
→自主性を養い興味のあるものを見つけ将来に役立たせる。やりたいことに対して探究することできっと人間としての力だってついていく。

・いい仲間と出会える
→学校 学年 大人 子供 関係なしに出会える場になればきっといい化学反応が起こるはず。そして、モチベーション高くみんなで協同できる。

・いろんな人と出会える
→上と似ているが、いろんな人と出会い話すことで自分の世界観はいろんな方向に揺さぶられていくはず。

こんな感じかな。学校単位ではなく、市や区などの大きな単位で学生に限らずいろんな人と出会える、そしてenjoy&challengeっていう感じ。

俺は、一緒にnoteを書く仲間が欲しい。それだってきっと「第二のコミュニティ」でかなえられる。

学校と違って不特定多数の人と出会うことができるので学校が合わないっていう人にもいいし、いっぱいコミュニティに人がいれば一人ぐらいはいっしょに何か挑戦したいと思える人がいるはず。

ちょっと面白そうでしょ?

こんな記事を読んでいるような好奇心旺盛?な方たちにとっては特に魅力的に映ると思うのですがどうでしょうか?

俺は、基本めんどくさがり屋でなにかを成し遂げたいという気持ちも志も雀の涙程度しか持ち合わせていないもののこの「第二のコミュニティ」は、自分で創りあげたいなという気持ちがある。

これについては、後日どういう形式で、どういう運営方法をとるのかとかもうちょっと詳しい内容、具体例を紹介しますね。

こいつを活用する

大学の総合型選抜がいい仕事をしてくれるのではないのかと思う。

旧帝大の一角である東北大学は2050年までにすべての入試を総合型選抜にするらしい。

個人的には、この流れが他の大学にもある程度流れていってほしい。

この選抜方法は、「勉強していることには評価するけどその上であなたについても興味がありますよ」っていうことなのだ。

ちょっと何言ってるのかよく分からんね。

言い直すと、勉強を評価することへの重要度が下がり、やりたいことをクリアにすることを求められるようになるということだ。

こういう流れに「第二のコミュニティ」は相性がいい。この入試の勉強+αの「α」の能力はきっとそれで養われるはずだ。

東大理Ⅲに我々が好き勝手に使えるAIが合格できるような能力を持つ時代には、勉強より「α」のほうが間違いなく大事だと思う。

アメリカの大学では学力ではなく課外活動などの+αが求めらることにも通ずるところがあるだろう。

だから、勉強は基礎学力と評価するためのものという姿勢は変えずにその比率を下げできた隙間に自分のやりたいことというピースを埋めるという総合型選抜のあり方はとてもいいと思う。

大学に入ってからやっぱこれやりたくないかもってなる可能性は下がるし。

Epilogue

このnoteが他の超優秀な方たちのそれと同じ土俵でアップされることが少し怖い。

正直、学校に対して?を感じるところはいっぱいある。

内職してたりYoutube見てたりしながら一応受ける授業に意味はあるのかとかね。

でも、このやりたいことをやれる機会をつくるという「第二のコミュニティ」が、他のことへのやる気を上げることや時間を大切にすることにつながるって他の課題を解決する機会になるかも?

なんか、言いたいこととか聞きたいことでもあればお気軽にXのDMへお願いします!

いやぁこんなに長く書くつもりなかったのになぁ。(4166文字)

おわり。

ぜひ俺のことを知ってください!!





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