教育改革を考える。〜ノーベル化学賞受賞 野依良治先生のお話を聴いて〜
10月25日(土)に、東京ウィメンズプラザで開催された「第1回 教育改革国民運動 推進委員会」に参加してきました。
そこで、2001年にノーベル化学賞を受賞された野依良治先生のご講演を伺うことができました。本当に興味深く、貴重な経験でした。
今回は、野依良治先生のお言葉と共に、私が考えたことを書こうと思います。
私の言葉は、野依先生のように確信を持つ言葉では到底ないのですが、16歳が、等身大で考えたことを自由に書いてみます。
大学や進路のはなし。
・たまたま18歳で入った大学の“名前“で人生が決まる?
・りんごとみかん、どっちかおいしい?という質問と、
A大学とB大学、どっちが良い?という質問は同じようなことで、
二者は比べられるものじゃない。
無理矢理、糖度とか偏差値とかの数値で比べてることはできるけどね。
・大学のそれぞれの理念、目標と入学者の整合をするべき。
なぜ大学に行くのか?を考えさせられる言葉です。
名前よりも大事なことがある、ということなのかな。
私は、高校受験の時に、志望校を偏差値で絞った経験があります。
でも本来学生に求められているのは、「これを学びたい」「これをやりたい」という主体性。その想いに合った学校を、もっと視野を広く持って選びたいものです。
でも、大学のパンフレットを見ても、オープンキャンパスに行っても、結局はその大学と自分が合っているかなんてわからないです。
第一志望校に行けたとしても、ちっとも楽しくないかもしれない。
学びたいことを学べる環境は、どんな学校に行くかに関係なく、手に入るものなんじゃないかとも思います。
そこに辿り着けるかどうかは、自分の意思と努力次第。
人生の目的や軸がはっきりしていたら、どこの大学に行くかなんて関係無いのかな。
18歳で、人生の目的なんて決められるかー!とも思いますが。
評価について。
・人々を称え、感謝するのが「評価」。決して「査定」ではない。
・数値評価への信仰が、主体性を衰退させる。
・評価の目的は、意義ある目標への努力、献身を認め、報いること。
・今の評価方法は、学術、芸術、教育にとって有害。
ノーベル化学賞で世界的に「評価」された野依先生がこのような言葉をおっしゃっているのが、とても深いと感じました。
今の「テストの点数」や「提出物」っていう一軸的な評価基準だと、それに迎合してみんな同じような行動(=勉強・成績をとるための行動)をしてしまう。
しかしその行動は、「成績という数値をとること」が目的になってしまっている。
そこには、自分の頭で考えて何か行動する、という主体性は生まれない。
人が人に数字をつけて評価をするのも、まずおかしいというか、本来は到底できないことなんじゃないかなあと思う。
そもそも、学校という場で「評価」は必要なのか?
それぞれの気付きや頑張り、良いところを「それ最高だね!」「いいね!」っていう言葉と気持ちで認めていければ、それで十分なんじゃないかな。
「多様性がキーワード!
・異に出合いながらオンリーワンを目指す。
・クリエイティビティの根源は多様な知性の累積
・多様な学生に合わせて、多様な大学、多様な評価方法、そして評価をする(できる)人材を、用意することが大事。
・現在は、コピー・クローン人間が大量発生している。
やっぱり、今の教育は画一的すぎると私は思います。
教室っていう箱の中に40人も詰めて、同時に同じことを学んでいくって無理があるよなあ。
(先生方を非難しているわけでは全く無いです。制度の問題だと思う。)
そのうえで、高校生である私が今からするべきことは、多様な人と出会うこと。
学校以外のコミュニティにも身を置き、様々な年齢、出身地の人と交流する。外国に行って、新しい友達に出会い、日本と異なる文化を知る。
出会った人に手伝ってもらいながら、自分にしかできないことをやってみる。
そんなことを、これからもやっていければいいな〜
読んでいただきありがとうございました!
教育改革国民運動に関して、詳しくはこちらの記事を読むのがおすすめです
