3万円の機種変更でコロナに感染し、ボクは崖を登った
これは、コロナ後遺症で歩けなくなった元部長が、人生ハードモードの中で
なんとか笑いを見つけた話です。
しんどい状況でも、少しだけ笑って息をしたい人に読んでもらえたらうれしいです。
コロナ後遺症という未知の病の、始まりの記録。
2022年1月、コロナに感染。
どこで誰にうつされたかがはっきりしている。当時COCOAという接触確認アプリがあって「あなたが接触した人の中から陽性者が発生しました」と通知がきたのだ。要は、あなたが近距離で15分以上一緒にいた人の中に陽性の人が出ましたよ、と教えてくれたわけだ。そのアプリはあまり浸透しなかったようだけど、ボクはダウンロードしてたので発覚。その日に近距離で15分以上接触していた人は一人だけだったのだ。
ボクはコロナにかなりビビっていた。
職場でもいちばん警戒していると周知されているくらいだった。
なぜかというと、2015年にギランバレー症候群という難病に罹って、その後遺症で左半身に軽い運動麻痺が残っている。その病気のせいで主治医から「コロナワクチンは……う〜ん」と勧められていなかった。
というか、、
「打つことで何か症状が出ることがゼロではない」と言われ、
「でも私があなたの立場だとしたら打つ」と言われ、
「感染したらワクチンよりも大変なことになる」と言われ、
「いちばんいいのは感染しないことだ」と、最終的には全ての人類にあてはまるアドバイスされていたのだ。
「打たずに感染しない」に、今後の人生をBetした。
…負けた。
賭け事は苦手だったのを忘れてた。大学時代、麻雀を教えてくれると誘われ、ホイホイついていったらめちゃくちゃカモにされてから苦手になった。
不運に会いがちであることも忘れてた。中学の体育祭の騎馬戦で、クラスで背がいちばん小さかったボクは騎馬戦に参加できなくて、それは別によかったのだが、可哀想に思った熱血教師がお前も参加させてやると言って、先生の肩車で参加することになってしまって、どの騎馬戦よりも高くて死ぬほど恥ずかしかった。トラウマだ。…話がものすごい角度で反れている。
閑話休題。
結局、誰にうつされたかというと…いまから思い返せば、これも人生の選択を試されていた要素満載だった。
その時、スマホの機種変更を考えていた。
前回も妻と同時に機種変したので、今回もまとめてすることにした。調べると、近所のケータイショップより、直営店でしたほうが1台につき1万5千円お得になることを知った。
2台で3万円。でかい。
直営店は職場の近くにあるし。
当時はコロナ第6波なんて騒がれていてオミクロン株全盛だった。
響きが懐かしい。職場からは在宅勤務推奨。必要なければリモート。機種変のためにわざわざリスクを冒してまで行くべきか?
でも3万円はデカい。
3万円で何ができる?結局貯金だと思う。堅実で申し訳ない。
よし、行こう。
妻の分もボクが代理で機種変するつもりだったので、どんな書類を用意すべきかその直営店に電話で確認をした。そのとき対応された店員さんがよく理解しておらず、なんだか横柄だしわかりにくく印象が悪かった。不安だったので職場からは遠くなるが別の直営店に確認した。そちらの対応は優しくて丁寧だった。こっちで機種変しよう、と思った。
当日、電話した時のイライラはもうどこかへ行って、近い方がいいやってことで職場の近所の直営店にした。
担当してくれたイケイケな感じで帰国子女風の店員さんは、若干タメ口っぽいノリで流暢にわかりやすく説明してくれた。だが、書類が足りなかった。がっかり。ここまで来たのに妻の分の機種変できなかった。
三日後、指示通りの書類を用意して再び同じ直営店へ。今度は優しい感じの女性の店員さんだった。丁寧でわかりやすい。店員さんはこうであってほしい。だいたい40分くらい話しながら、機種変の手続きをした。
そう、近距離で15分以上…。
アプリから通知が来て、PCR検査を受けて陽性。
最悪だ。ついに感染してしまった。
いくらでも避けれる選択肢はあったのに。ことごとくハズレに向かって選択していっていたようだ。どんな大変なことが起こるのか。感染直後は軽症だったので別に問題なかった。微熱と怠さくらい。
ひと月ほどしてから、突然後遺症と思われるあらゆる症状のARASHIが始まる。
ボクは映像の監督をしていた(いたと過去形で明言してしまうのは、再起を諦めているようで寂しいが事実である)。CMの仕事で崖のロケハンに行ったのだ。サスペンスに出てくるようないい感じの崖を探していた。クライアントの担当者はわざわざロケする必要あります?と疑問を呈していたし、崖にタレントさんを連れていくのも控え室やらトイレやら色々とケアしなければいけないことも多くてめんどうだ。もちろん合成でも出来たけど、監督のボクが崖でやりたい!とこだわっていたのだ。職権乱用ではない。そういう職種なのだ。
コロナ明けの激しい動きは禁忌であることをボクは知らなかった。
1日に数箇所の崖を見に行った。あんな崖こんな崖。崖のかたちも色々。オラわくわくすっぞ。もちろん崖なので登ったり降りたりするわけだ。病み上がりのボクには、天気も良く海を望む崖なんて久々に気持ちのいい場所。小学5年生のように必要以上にはしゃいだ。そう、禁忌キッズだ。
…その夜からドッと症状が現れた。
とにかく色んな症状が現れては消えてを繰り返す。
倦怠感、脱力感、めまい、ほてり、しびれ、胸痛、耳鳴り、光過敏、音過敏、不安障害etc……ARASHIのメンバーは入れ替わり立ち替わり激しく歌いダンスを踊る。
たった3万円で、人生を揺るがす後遺症のはじまりはじまり。
上司やら後輩やらに説明して仕事を変わってもらう。よくわからんが大変らしいと理解してくれて、みなさんに助けられた。それからは在宅で出来ることをしていた。そもそもリモートが定着してるときだったのでそれほど問題はなくこなせていた。
仕事はなんとか回った。
家庭はどうか。
妻がいっぱいいっぱいだった。
ボクは家事全般なにも出来なくなっていた。もちろん愛犬ぴんこの散歩も。
妻がボクとぴんこの世話を全部する生活になったのだ。もともと家事分担をはっきりしていたわけではなかったが、仕事を優先としながらも、やれることはやるというスタンスだった。当時ぴんこの散歩は朝昼晩の3回。ハイパーセンシティブな性格の犬なのでドッグトレーナーさんに散歩は多めにした方が良いとアドバイスをもらっていたのだ。その3回をボクが行ける時は行っていたし、出勤する時は朝だけボクがするなど、臨機応変にこなしていた。
その全てが妻に集中した。
出勤しないボクは常に家にいるし、食事も毎食必要なわけで、散歩も3回行って、家事も全部一人でこなして。妻も家で自営の仕事をしていた。
妻がパンクした。
モームリ宣言受諾。
話し合って、ボクが一旦実家で療養することにした。
幸い実家は車で20分くらいだ。
45歳で実家に戻る。ボクの部屋はとっくの昔にもうない。大学2年で出たっきりだ。親たちも突然の出戻りに慌てる。しかも療養のための入院的な感覚での帰省。
「いつまでいるの?」
「わからない」
しかし、実家での生活は久々過ぎて新鮮だった。定期的に帰ってはいたが、また暮らすとなると不思議な気持ちだ。小学2年のときに新築した家も、そこかしこに傷みを感じる。父も母も変わってないが変わっている。父親(当時77歳)が、4時に起床、19時に就寝、という日照に合わせた縄文スタイルになっていたのには驚いた。
仕事は実家でもしんどいながら続けてたけど、腕を上げるのもキツくなって絵コンテも描きにくくなってきてしまった。こりゃ一旦身体を休めて治療に専念しないと治らないかもしれないと思い、休職を決断した。
総務からは何ヶ月休職しますか?と聞かれた。何ヶ月で治るんだろう?医師に聞いてみたら、2ヶ月か3ヶ月かな、とのことだった。そんなにかかるのかと思った青臭く若い頃の自分が懐かしい(遠い目)。
2週間ほどすると、妻からもう大丈夫との連絡が入りマンションに戻った。
覚悟や気持ちの整理をしてくれたのだ。ぴんこも無事元気そうな姿で出迎えてくれた(ギャン吠え)。
実家の方は、また何があるかわからないからと、出戻りボーイのために強引に仕立ててくれたマイルームは、残しておいてくれている。
3万円は、今いずこへ。
客観的に見て、不運に見舞われて可哀想そうに映っているかもしれないが、ボクは不幸ではない。ご覧のように頼もしい味方がついているから。
しかしながら、ボクのARASHIはなかなか解散しない。
この頃はまだ、この先に待ち受けている大殺界についてはまだ知る由もない。
━━━━━━━━━━━━━━━━
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
よかったら、こんな記事もどうぞ。
▼この話が面白かった方はこちら
▼治してくれる人を探し求める旅(鍼灸の話)
▼コロナ後遺症シリーズはこちら
▼一覧から記事を選びたい方はこちら
サイトマップ作成中…🙇
━━━━━━━━━━━━━━━━
