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不登校の娘と向き合う私へ──『心に刺さったままの 言葉のトゲを じょうずに抜く本』からの気づき

先日、次女が夏休み前まで通っていた
放課後デイの管理者と会って、話しをしてきた。

いまは、放デイどころか、学校もまったく行けていない。

「不登校が悪じゃないっていう世の中に
だんだんなってきてるじゃないですか~」

管理者のその言葉に、少し救われた気がした。

「ですよね~」(う~ん、話がわかる管理者さん…涙)

いま次女は “家で過ごす時間を大切にする” 
と割り切っている。
YouTubeを見たり、ゲームをしたり、ダラダラしたり。
学校に行けないことを責めても仕方ない。
元気で笑っていればそれだけで十分だと、
私は自分に言い聞かせている。

でも、わかっていても__
ダラダラしている次女に対して、
心ない言葉を言ってしまう時がある。

「ちゃんと〇〇しなさいよ!」
「なにやってるの?」
「みんなは〇〇してるのに」

(あっ、いまの言葉 キツかったな~)

娘と向き合うたびに、
つい強い言葉を投げてしまう自分がいる。
言ったあとでトゲトゲしくて悲しくなる。
そして胸がチクリと痛む。

支援してくれる人の言葉には
“ありがとう” を感じているのに、
自分の口からは暴言ばかり。
そして後悔するのに
なぜか素直に謝ることさえできない。

“ごめんね” ばかりがため息と同時に
胸の中に増えていく。
娘の気持ちに寄り添えていない自分を責める。


そんな日々の中で、一冊の本に出会った。

その本は
『 心に刺さったままの 言葉のトゲを じょうずに抜く本 』

__まるでカウンセリングを受けたような衝撃だった。

“トゲのある言葉 ”  を自分がいわれたらどうだろう?
相手の立場に立たなきゃいけないんだ。
たとえ、自分の子どもであっても、
暴言は ”しつけ” ではない。

次女の心の中に、
母親から言われたトゲのある言葉として
記録されてしまう。
というか、もうインプットされて
修復不可能なのかもしれない。

この本を読んで気づいたのは、
私がトゲのある言葉を使うのは、
両親の影響ではなかったということ。

私はやさしい家庭で育った。
じゃあ私は、誰の言葉にトゲを感じていたんだろう?
思い当たったのは、
離婚した元夫とその父親(舅)だった。
そこに、長年刺さったままのトゲがあったのだ。
そのトゲを抜くのは
“子どものため” だけじゃなく、
“自分のため” でもある。


この本は、私に刺さった言葉のトゲを抜く
トリセツになった。


トゲを抜いたあとで残る “穴” を
「ありがとう」の言葉で埋めていこう。

それが、これからの私の課題であり、
私にできる “やさしさ” だ。

私と同じように、
不登校や障害のある子どもを育てながら
悩んでいるお母さんたちへ。

私も、言葉に迷い、傷つけ、後悔してきました。
それでも、「ありがとう」でやり直せると
この本が教えてくれました。



この本の著者:kokkoさんの記事はこちら👇🏻


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ジャネット|障害育児&不登校児のシンママ ありがとうございます💕いただいたチップは、娘たちのポテトチップに変わります🥔