「~たい」が表すものは?
2024年12月22日付の毎日新聞朝刊「松尾貴史のちょっと違和感」の「『~たい』が表すものは?」というタイトルのコラムはとても興味深い内容だった。
「眠たい」と「眠い」、「重たい」と「重い」、「煙たい」と「煙い」を比較しながら考察したとりあえずの結論は以下の通りである。
ここまで書いて、「眠い」と「眠たい」の違いが突然見えた。関西弁の存在だ。「昨日寝てへんさかい、ごっつい眠たいわ!」という関西弁は自然だ。それを「昨日寝てへんさかい、ごっつい眠いわ!」に変えると、関西弁の雰囲気が少し頼りなくなると思うが、いかがだろう。すると、関西弁はより感情がこもり、主観を表現しやすい、という仮説が成り立つのではないか。
松尾本人が「『軽い』に『軽たい』があってもいいはずだが、それはない。」と指摘しているように、「眠たい」も「重たい」も「煙たい」も発言者にとっては抗いたい負荷であるにも関わらず、逃れられない状況に置かれた「嘆き」といえるのではないだろうか。
