「大丈夫そうだね」と言われるたびに、心の扉を閉めてしまう人へ
「やっと良くなったね」
「もう大丈夫そうだね」
そう声をかけられて、
思わず顔がこわばってしまったことはありませんか。
相手に悪気がないのは分かっている。
むしろ、
心配してくれていたからこその言葉だと理解している。
それなのに、
その言葉を聞くたびに
「私の本当のしんどさは、誰にも見えていないんだ」と、
心のシャッターをそっと下ろしてしまう。
今日は、
そんな「外見の回復」と「内側の痛み」のギャップに
立ちすくんでいるあなたへ、
私の経験を添えて手紙を書くように綴ります。
ギプスが外れてから始まった、本当の孤独
かつての私は、派遣社員として働きながら突然の喘息に襲われ、
さらには足首の骨折という重なりの中で、長い「待つ時間」を
過ごしていました。
一番切なかったのは、足のギプスが外れたときのことです。
周りの人は「良かったね」「もう歩けるね」と安心した顔を
見せてくれました。
外見上は「普通の人」に戻ったように見えたのだと思います。
でも、私の中では全く違いました。
歩けば響くような痛みがあり、階段を降りるのは今も怖い。
喘息だって、完全に消えたわけではなく、
ふとした拍子に息苦しさが戻ってくる。
「見た目には治っているのに、実感としてはまだしんどい」
この差を誰かに説明するのはとても難しく、
伝えようとしても「でも歩けてるしね」と言われてしまいそうで、
私は言葉を飲み込みました。
普通に見えるからこそ、
自分だけが取り残されたような、静かな孤独の中にいたのです。
2. 「優しい人」が抱える、二重の苦しさ
あなたは、自分が一番しんどい時でさえ、
「相手も忙しいだろう」
「悪気はないんだろう」と、
相手の事情を察して自分を納得させてしまっていませんか。
本当は
「まだ痛い」「全然大丈夫じゃない」と叫びたいのに、
理解しようとするあまり自分の気持ちを後回しにしてしまう。
その優しさが、結果として自分の心の扉を重くし、
孤独を深めてしまうことがあります。
私自身、何度も「なんで私だけ」と思いました。
普通に歩き、普通に働いている人たちが眩しくて、
書類を書きながら一人で不安と戦う毎日は、
想像以上に心を削るものでした。
でも、今なら分かります。
しんどい時に「しんどい」と言うこと。
それは、わがままではありません。
あなたの内側にある「目に見えない痛み」は、
確かにそこに存在している大切な事実なのです。
「元通り」を目指すのをやめて、「今の自分でできることを探そう」
と思えるようになってから、ようやく私は自分に優しくなれました。
完璧な回復を目指さなくても、弱さを抱えたままでも、
あなたはちゃんと今日を生き抜いています。
4. あなたのペースで、ゆっくりと
あなたの「見えない苦しさ」は、決してあなた一人のものではありません。
目に見えない痛みや不安を抱えながら、それでも「普通」を装って生きている人は、案外たくさんいるものです。
焦らなくていい。 人と比べなくていい。
あなたの回復は、あなたのペースでいいのです。
今夜は、
周りから期待される「大丈夫な私」を一度脱ぎ捨てて、
ただそのままの自分を抱きしめてあげてください。
今日、不安を抱えながらも生きたあなたは、それだけで満点です。
手のひらをじっと見つめてみてください。
その手は、今日一日、あなたの心を守り抜いてきました。
「今日もお疲れ様。今のあなたのままで、いーよ」
そう自分に声をかけながら、今夜は安心して深い眠りについてくださいね。
周囲の言葉に傷つくのは、あなたがそれだけ感受性豊かで優しいからです。自分を後回しにする癖を手放し、「セルフ・コンパッション(自分への慈しみ)」を育むための具体的なステップを、実践編として準備しています。
🌿関連記事
・ギプスが外れた後のほうが、かえって孤独を感じた理由
(https://note.com/iyohibi/n/n8bebd7cdcc98)
・「元通り」を目指すのをやめたら、呼吸が楽になった話
(https://note.com/iyohibi/n/nf57e93b22b75)
・自分で自分を養えない「情けなさ」を、どうやって手放すか
(https://note.com/iyohibi/n/na96cd22a7ad1)
#療養生活
#労災
#心の整理
#見えない痛み
#自己肯定感
#頑張りすぎる人へ
#50代からの生き方
#エッセイ
#いーよ
#手相とことば
