闇 419(小学校2年生の冬編)
闇 419(小学校2年生の冬編)

2025/12/10 wed
前回の章
家の隣の食堂『ひろむ』には、年上の兄妹がいた。
僕とは五歳離れた一久君と、二歳離れた良江ちゃんは、いつも非常に可愛がってくれた。
いや、良江ちゃんはそうでもないか。
学校が終わり塾に行く時間が空いている時は、いつも遊びに連れて行ってくれた。
近所のデパートのニチイへ遊びに行った時、僕はウンチをしたくて溜まらなくなった。
トイレに飛び込むと大便用のドアにはすべて鍵が掛かっている。
その場で足をバタバタさせながら足踏みしたが、十分経っても誰も出てこない。
「智ちゃんまだー?」
一ちゃんがトイレに入ってきた。
ウンチをしたと思われたくないし、僕は我慢して一緒にトイレを出る事にする。
妹の良江ちゃんは不機嫌そうに外で待っていた。
「遅いよ、智ちゃん」
「うるさいなあ。おかめみたいな膨れっ面してさあ」
「膨れていないよ!」
良江ちゃんは本当に変わった子だ。
僕らがもっと小さい時の話だけど、うちのお風呂で一緒にお風呂に入っていたら、突然良江ちゃんは僕と一ちゃんのチンチンを見て「それ、なーに?」と不思議そうに聞いてくる。
よく見ると、良江ちゃんにはチンチンが無い。
ビックリした僕は「良江ちゃん、どこかにチンチン落としちゃったんじゃないの?」と言った。
「えっ! どうしよ? チンチン落としちゃった! チンチン落としちゃった!」
そう言いながら股間を両手で押さえ、風呂場を飛び出し裸のまま家に帰ってしまった。
あとで一ちゃんから聞いた話だけど、一ちゃんのママに良江ちゃんはずっと「チンチン落としちゃった」と連発で泣き喚いていたらしい。
この件で女の子にはチンチンが全員無いと僕は知ったのだ。
「智ちゃん、早く行くよ。遅いと置いていくからね」
まったくいつもプリプリしやがって、こいつ……。
「うるさいなぁ」
「二人ともやめなよ。あ、一番上のゲームセンター行こうよ」
「うん」
最年長の一ちゃんはいつもまとめてくれ、どこに行くかもすぐに決めてくれた。
三階へ行くと、それぞれ好きなものを勝手に眺めた。
ところが僕は、楽しむどろこではない。
ウンチを我慢するのも限界が近づいている。
恥ずかしさから、またトイレに行くとも言えない。
そろそろ帰ろうかと、エレベーターの前で三人は待つ。
結局我慢できず、僕はその場で漏らしてしまった。
半ズボンの中がこんもりなっている。
エレベーターに乗ると、あっという間に臭いが籠もりだす。
自分でもそのウンチの臭いは強烈に感じた。
一ちゃんは臭いで顔をしかめ、良江ちゃんだけは普通に平然と澄ましていたが、鼻だけはヒクヒクと動いていた。
僕らだけしかエレベーターに乗っていない状況。
普通に考えてもこの三人しかいないのだ。
誰が犯人になるのは目に見えていた。
僕は自分でウンチを漏らしておきながら、絶対に知られたくないと思った。
「くせっ…、誰かウンチかオナラしたろ?」
一ちゃんがデパートの外に出た時、急にそう言い出した。
僕の顔は真っ青になる。
「ぼ、僕じゃないよ……」
咄嗟に僕は嘘をつく。
そうなると、疑われるのは良江ちゃんしかいなくなる。
「わ、私じゃないよ」
良江ちゃんも慌てて否定した。
僕は、このまま良江ちゃんのせいにしてしまえばいいと名案を思いつく。
「一ちゃん。ウンチ漏らしたの、絶対に良江ちゃんだよ。良江ちゃん、臭いよ」
「私じゃない! 私じゃないよ!」
懸命に否定する良江ちゃん。
当たり前の話である。
ウンチをしたのは僕なのだから。
「お兄ちゃん、私じゃないよ。臭いのは智ちゃんだよ」
良江ちゃんは僕を指差した。
「そんな事ないって! 良江ちゃんはいつもオナラの常習犯じゃんか」
「オナラなんか私はしないっ!」
「いつも頬っぺたをプクプク膨らませながら、ブッブッブーってオナラしてるじゃん」
「してないっ!」
お互いに譲らない僕と良江ちゃんは、取っ組み合いの喧嘩になった。
「この野郎!」
「私は野郎じゃない!」
少し身体を動かすとパンツの中の感触が気持ち悪い。
だから上半身だけを動かすよう心掛ける。
「やめなって。良江も智一郎も…。そっか分かった。いい方法を思いついたぞ」
一番年長の一ちゃんは僕らを止め、原因を突き止めようとした。
そんな余計な事なんて、しないでいいよ、一ちゃん!
心の中で必死に叫んだ。
僕は絶対に知られたくない。
「いい方法なんてある訳ないよ。だって良江ちゃんが漏らしたんだもん」
懸命に言い訳をした。
「私は漏らしてない」
良江ちゃんは涙目になっていた。
「二人とも黙って。誰が漏らしたか分かるいい方法があるんだ」
「どうするの?」
不思議そうな顔で良江ちゃんは、一ちゃんに聞く。
一ちゃんはニヤリと不適な笑みを浮かべながら口を開く。
「それはね、俺が一人一人お尻の臭いを嗅げばいいんだよ」
そんな事されたら一発で僕だとバレてしまう。
必死になって抵抗した。
「や、やだよ。そんな事されるんの嫌だよ」
「おいおい、ちょっと。うちの店の前でそんな会話しないでくれよ」
ホットドック屋のおじさんが、僕たちを見て怒っていた。
確かに商売の邪魔になるという以外、言いようがない。
僕はバレるのが嫌で、どさくさに紛れ家に向かって一目散に逃げた。
ある日の夕方、一番下の弟である貴彦が、いつまで経っても泣き止まなかった。
いつものようにママはいない。
途方にくれた僕は、おばあちゃんのところへ貴彦を連れて行った。
おばあちゃんが子守唄をしながら貴彦をあやすと、あっという間に眠りにつく。
ホッとした僕は部屋に戻り、徹也と一緒にテレビを見ていた。
「あ、ママ…。おかえりなさい」
「ただいま」
マズい……。
貴彦はおばあちゃんの部屋で寝たままだ。
「あれ、貴彦はどうしたの?」
いつもいるはずの貴彦がいなければ、ママだってすぐに気づく。
「……」
「智一郎、貴彦は?」
「……」
小刻みに震える身体。
僕の肩に手をかける徹也の手も震えていた。
「貴彦は?」
「……」
「もう一回だけ聞くよ? 貴彦は?」
「お…、おばあちゃんの部屋……」
それを聞くと、ママは血相を変え部屋から出て行く。
「お兄ちゃん……」
徹也が心配そうな表情で声を掛けてくる。
「シッ! 静かにしてろよ」
僕だって何もできやしない。今、できる事……。
それは出来る限り、ママの逆鱗に触れない事である。
弟と二人しかいないはずの部屋で、僕らは何故か正座をして姿勢正しくしていた。
「徹也、テレビ消して」
「え、何で?」
「お願いだから!」
ふてくされ気味の徹也。
理不尽かもしれないけど、少しでもママの怒りそうな要因を減らしておきたかった。
シーンと静まり返った室内。
映画館から流れてくる音楽と、道路を走る車の音だけが聞こえる。
「……!」
それ以外の音…、いや、声が聞こえたような気がした。
慌てて僕は部屋を出て、ベランダのほうへ向かう。
妙な胸騒ぎがしたのだ。
おばあちゃんたちの部屋は、段差違いの隣の家の二階。
何度も増築を重ねた僕の家は、他の家と少し変わった造りになっていた。
四段ほどの鉄筋階段を渡ればベランダ。
扉を開ければおばあちゃんたちの部屋になっている。
「あぁー……」
やっぱり声が聞こえる。
その時、鬼のような形相のママの姿が見えた。
そのあとで右手が視界に映る。
ママの右手には、まだ幼い貴彦の足首が握られていた。
「や、やめてっ!」
信じられない行為に、思わず口を開く。
下がザラザラしたコンクリートの上をママは貴彦の足首を持ち、引きずりながら歩いていたのだ。
弟の貴彦は強引に引きずられ、ただ泣くしかない。
「どきなよ、智一郎」
僕の抵抗など、ママの前では何の役にも立たない。
この間のみゃうの件で、嫌ってほど分かっているつもり。
それでも僕は、懸命に貴彦を助けようと向かう。
何度も殴られ、コンクリートの上に転ぶ。
どうなっても構わなかった。
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